葛の葉狐
楠山正雄



     一


 むかし、摂津国せっつのくにの阿倍野あべのという所ところに、阿倍あべの保名やすなという侍さむらいが住すんでおりました。この人の何代なんだいか前まえの先祖せんぞは阿倍あべの仲麻呂なかまろという名高なだかい学者がくしゃで、シナへ渡わたって、向むこうの学者がくしゃたちの中に交まじってもちっとも引ひけをとらなかった人です。それでシナの天子てんしさまが日本にっぽんへ還かえすことを惜おしがって、むりやり引ひき止とめたため、日本にっぽんへ帰かえることができないで、そのまま向むこうで、一生しょう暮くらしてしまいました。仲麻呂なかまろが死しんでからは、日本にっぽんに残のこった子孫しそんも代々だいだい田舎いなかにうずもれて、田舎侍いなかざむらいになってしまいました。仲麻呂なかまろの代だいから伝つたえた天文てんもんや数学すうがくのむずかしい書物しょもつだけは家いえに残のこっていますが、だれもそれを読よむものがないので、もう何なん百年ねんという間あいだ、古ふるい箱はこの中にしまい込こまれたまま、虫むしの食くうにまかしてありました。保名やすなはそれを残念ざんねんなことに思おもって、どうかして先祖せんぞの仲麻呂なかまろのような学者がくしゃになって、阿倍あべの家いえを興おこしたいと思おもいましたが、子供こどもの時ときから馬うまに乗のったり弓ゆみを射いたりすることはよくできても、学問がくもんで身みを立たてることは思おもいもよらないので、せめてりっぱな子供こどもを生うんで、その子を先祖せんぞに負まけないえらい学者がくしゃに仕立したてたいと思おもい立たちました。そこで、ついお隣となりの和泉国いずみのくにの信田しのだの森もりの明神みょうじんのお社やしろに月詣つきまいりをして、どうぞりっぱな子供こどもを一人ひとりお授さずけ下くださいましと、熱心ねっしんにお祈いのりをしていました。

 ある年としの秋あきの半なかばのことでした。保名やすなは五六人にんの家来けらいを連つれて、信田しのだの明神みょうじんの参詣さんけいに出かけました。いつものとおりお祈いのりをすましてしまいますと、折おりからはぎやすすきの咲さき乱みだれた秋あきの野のの美うつくしい景色けしきをながめながら、保名主従やすなしゅじゅうはしばらくそこに休やすんで、幕張まくばりの中でお酒盛さかもりをはじめました。

 そのうちだんだん日が傾かたむきかけて、短みじかい秋あきの日は暮くれそうになりました。保名主従やすなしゅじゅうはそろそろ帰かえり支度じたくをはじめますと、ふと向むこうの森もりの奥おくで大ぜいわいわいさわぐ声こえがしました。その中には太鼓たいこだのほら貝がいだのの音おとも交まじって、まるで戦争せんそうのようなさわぎが、だんだんとこちらの方ほうに近ちかづいて来きました。主従しゅじゅうは何事なにごとがはじまったのかと思おもって思おもわず立たちかけますと、その時ときすぐ前まえの草叢くさむらの中で、「こんこん。」と悲かなしそうに鳴なく声こえが聞きこえました。そして若わかい牝狐めぎつねが一匹ぴき、中から風かぜのように飛とんで来きました。「おや。」という間まもなく、狐きつねは保名やすなの幕まくの中に飛とび込こんで来きました。そして保名やすなの足あしの下で首くびをうなだれ、しっぽを振ふって、さも悲かなしそうにまた鳴なきました。それは人に追おわれて逃にげ場ばを失うしなった狐きつねが、ほかの慈悲じひ深ぶかい人間にんげんの助たすけを求もとめているのだということはすぐ分わかりました。保名やすなは情なさけ深ぶかい侍さむらいでしたから、かわいそうに思おもって、家来けらいにかつがせた箱はこの中に狐きつねを入いれて、かくまってやりました。すると間まもなく、「うおっうおっ。」というやかましい鬨ときの声こえを上あげて、何なん十人にんとない侍さむらいが、森もりの中から駆かけ出だして来きました。そしていきなり保名やすなの幕まくの中にばらばらと飛とび込こんで来きて、物ものもいわずにそこらを探さがし回まわりました。

 この乱暴らんぼうなしわざを見みて、保名やすなはかっと腹はらを立たてて、

「あなたはだれです。断ことわりもなく、出だし抜ぬけに人の幕まくの中に入はいって来くるのは、乱暴らんぼうではありませんか。」

 ととがめました。

「生意気なまいきをいうな。我々われわれがせっかく見みつけた狐きつねが、この幕まくの中に逃にげ込こんだから探さがすのだ。早はやく狐きつねを出だせ。」

 とその中の頭分かしらぶんらしい侍さむらいがいいました。それから二言ふたこと三言みこといい合あったと思おもうと、乱暴らんぼうな侍共さむらいどもはいきなり刀かたなを抜ぬいて切きってかかりました。保名やすなも家来けらいたちもみんな強つよい侍さむらいでしたから、負まけずに防ふせぎ戦たたかって、とうとう乱暴らんぼうな侍共さむらいどもを残のこらず追おい払はらってしまいました。そして箱はこの中にかくしておいた狐きつねをさっそく出だして、その間まに逃にがしてやりました。狐きつねはまるで人間にんげんが手を合あわせて拝おがむような形かたちをして、二三度ど拝おがんだと思おもうと、さもうれしそうにしっぽを振ふって、草叢くさむらの中へ逃にげて行ってしまいました。

 狐きつねの姿すがたが見みえなくなったと思おもうと、また向むこうの森もりの中で、先せんよりも三倍ばいも四倍ばいもさわがしい人声ひとごえがしました。保名やすなが驚おどろいて振ふり返かえって見みるひまもなく、すぐ目めの前まえに一人ひとり、りっぱな馬うまに乗のった大将たいしょうらしい侍さむらいを先さきに立たてて、こんどは何なん百人にんという侍さむらいが、一塊ひとかたまりになって寄よせて来きて、保名主従やすなしゅじゅうを取とり囲かこみました。そこで又またはげしい戦いくさがはじまりました。保名主従やすなしゅじゅうは幾いくら強つよくっても、先刻せんこくの働はたらきでずいぶん疲つかれている上に、百倍ばいもある敵てきに囲かこまれていることですから、とても敵かないようがありません。保名やすなの家来けらいは残のこらず討うたれて、保名やすなも体中からだじゅう刀傷かたなきずや矢傷やきずを負おった上に、大ぜいに手足てあしをつかまえられて、虜とりこにされてしまいました。

 この馬うまに乗のった大将たいしょうは、やはりお隣となりの河内国かわちのくにに住すんでいる石川悪右衛門いしかわあくうえもんという侍さむらいでした。奥方おくがたがこのごろ重おもい病やまいにかかって、いろいろの医者いしゃに見みせても少すこしも薬くすりの効きき目めが見みえないものですから、ちょうど自分じぶんのにいさんが芦屋あしやの道満どうまんといって、その時分じぶん名高なだかい学者がくしゃで、天子様てんしさまのおそばに仕つかえて、天文てんもんや占うらないでは日本にっぽん一の名人めいじんという評判ひょうばんだったのを幸さいわい、ある時とき悪右衛門あくうえもんは道満どうまんに頼たのんで、来きて見みてもらいますと、奥方おくがたの病気びょうきはただの薬くすりでは治なおらない、若わかい牝狐めぎつねの生いき肝ぎもを取とってせんじて飲のませるよりほかにないということでした。そこで信田しのだの森もりへ大ぜい家来けらいを連つれて狐狩きつねがりに来きたのでした。けれども運悪うんわるく、一日にち森もりの中を駆かけ回まわっても一匹ぴきの獲物えものもありません。すっかりかんしゃくをおこしてぷんぷんしながら引ひき上あげようとしますと、ひょっこり、親子おやこ三匹びきの狐きつねが長ながいすすきの陰かげにかくれているのを見みつけました。大喜おおよろこびでさっそく大ぜいかかりますと、狐きつねは驚おどろいて、牝牡めすおすの狐きつねはとうとう逃にげてしまいましたが、まだ若わかい小狐こぎつねが一匹ぴき逃にげ場ばを失うしなって、大ぜいに追おわれながら、すばやく保名やすなの幕まくの中まで逃にげ込こんだのでした。

 こうしてせっかく手てに入いれかけた狐きつねを横合よこあいから取とられてしまったのですから、悪右衛門あくうえもんはくやしがって、やたらに保名やすなを憎にくみました。そして生いけ捕どったまま保名やすなを殺ころしてしまおうとしますと、ふいに向むこうから、

「もしもし、しばらくお待まちなさい。」

 という声こえが聞きこえました。

 悪右衛門あくうえもんが驚おどろいて振ふり返かえると、それは同おなじ河内国かわちのくにの藤井寺ふじいでらというお寺てらの和尚おしょうさんでした。そのお寺てらは石川いしかわの家いえ代々だいだいの菩提所ぼだいしょで、和尚おしょうさんとは平生へいぜいから大そう懇意こんいな間柄あいだがらでした。

「これはめずらしい所ところでお目にかかりました。どういうわけで、その男を殺ころそうとなさるのです。」

 と和尚おしょうさんはたずねました。

 悪右衛門あくうえもんはそこで、今日きょうの狐狩きつねがりの次第しだいをのべて、とうとうおしまいに保名やすなにじゃまをされて、くやしくってくやしくってたまらないという話はなしをしました。

 和尚おしょうさんは、静しずかに話はなしを聞きいた後あとで、

「なるほど、それはお腹はらの立たつのはごもっともです。けれども人の命いのちを取とるというのは容易よういなことではありません。殊ことに大切たいせつな御病人ごびょうにんの命いのちを助たすけようとしておいでの時とき、ほかの人間にんげんの命いのちを取とるというのは、仏ほとけさまのおぼしめしにもかなわないでしょう。そうすると、せっかく助たすかる御病人ごびょうにんが、かえって助たすからなくなるまいものでもない。」

 こう和尚おしょうさんにいわれると、さすがに傲慢ごうまんな悪右衛門あくうえもんも、少すこし勇気ゆうきがくじけました。和尚おしょうさんはここぞと、

「しかし、ただ助たすけるというのが業腹ごうはらにお思おもいなら、こうしましょう。この男を今日きょうから侍さむらいをやめさせて、わたしの弟子でしにして、出家しゅっけさせます。それで堪忍かんにんしておやりなさい。」

 といいました。

 悪右衛門あくうえもんもとうとう和尚おしょうさんに言いい伏ふせられて、いったん虜とりこにした保名やすなを放はなしてやりました。

 やがて悪右衛門あくうえもんの主従しゅじゅうは和尚おしょうさんに別わかれを告つげて、また森もりの中にすっかり姿すがたが見みえなくなりますと、和尚おしょうさんは、その時ときまで、ぼんやり夢ゆめをみたように座すわっていた保名やすなに向むかって、

「さあ、乱暴者らんぼうものどもが行ってしまいました。また見みつからないうちに、そっと向むこうの道みちを通とおって逃にげていらっしゃい。わたくしはさっきあなたに助たすけて頂いただいた、この森もりの狐きつねです。御恩ごおんは一生いっしょう忘わすれません。」

 こういうが早はやいか、和尚おしょうさんはもうまた元もとの狐きつねの姿すがたになって、しっぽを振ふりながら、悪右衛門あくうえもんたちが帰かえっていった方角ほうがくとは違ちがった向むこうの森もりの中の道みちへ入はいっていきました。それはさも、自分じぶんについて来こいというようでした。保名やすなはいよいよ夢ゆめの中で夢ゆめを見みたような心持こころもちがしながら、うかうかとその後あとについていきました。


     二


 もう日がとっぷり暮くれて、夜よるになりました。暗くらい樹きの間あいだから、吹ふけば飛とびそうに薄うすい三日月みかづきがきらきらと光ひかって見みえていました。保名やすなはいつの間まにか狐きつねの行方ゆくえを見失みうしなってしまって、心細こころぼそく思おもいながら、森もりの中の道みちをとぼとぼと歩あるいて行きました。しばらく行くと、やがて森もりが尽つきて、山と山との間あいだの、谷たにあいのような所ところへ出ました。体中からだじゅうにうけた傷きずがずきんずきん痛いたみますし、もう疲つかれきってのどが渇かわいてたまりませんので、水みずがあるかと思おもって谷たにへずんずん下おりていきますと、はるかの谷底たにぞこに一ひとすじ、白い布ぬのをのべたような清水しみずが流ながれていて、月つきの光ひかりがほのかに当あたっていました。その光ひかりの中にかすかに人らしい姿すがたが見みえたので、保名やすなはほっとして、痛いたむ足あしをひきずりひきずり、岩角いわかどをたどって下おりて行きますと、それはこんな寂さびしい谷たにあいに似にもつかない十六七のかわいらしい少女おとめが、谷川たにがわで着物きものを洗あらっているのでした。少女おとめは保名やすなの姿すがたを見みるとびっくりして、危あやうく踏ふまえていた岩いわを踏ふみはずしそうにしました。それから保名やすなの血ちだらけになった手足てあしと、ぼろぼろに裂さけた着物きものと、それに何なによりも死人しにんのように青あおざめた顔かおを見みると、思おもわずあっとさけび声ごえをたてました。保名やすなは気きの毒どくそうに、

「驚おどろいてはいけません。わたしはけっして怪あやしいものではありません。大ぜいの悪者わるものに追おわれて、こんなにけがをしたのです。どうぞ水みずを一杯ぱい飲のませて下ください。のどが渇かわいて、苦くるしくってたまりません。」

 といいました。

 娘むすめはそう聞きくと大たいそう気きの毒どくがって、谷川たにがわの水みずをしゃくって、保名やすなに飲のませてやりました。そしてそのみじめらしい様子ようすをつくづくとながめながら、

「まあ、そんな痛々いたいたしい御様子ごようすでは、これからどこへいらっしゃろうといっても、途中とちゅうで歩あるけなくなるにきまっています。むさくるしい家いえで、おいやでしょうけれど、ともかくわたくしのうちへいらしって、傷きずのお手当てあてをなさいまし。」

 といいました。

 保名やすなは大たいそうよろこんで、娘むすめの後あとについてその家いえへ行きました。それは山やまの陰かげになった寂さびしい所ところで、うちには娘むすめのほかにだれも人はおりませんでした。この娘むすめは親おやも兄弟きょうだいもない、ほんとうの一人ひとりぼっちで、この寂さびしい森もりの奥おくに住すんでいるのでした。

 その明あくる日保名やすなは目が覚さめてみると、昨日きのううけた体からだの傷きずが一晩ひとばんのうちにひどい熱ねつをもって、はれ上あがっていました。体中からだじゅう、もうそれは搾木しめぎにかけられたようにぎりぎり痛いたんで、立たつことも座すわることもできません。そこで保名やすなは心こころのうちには気きの毒どくに思おもいながら、毎日まいにちあおむけになって寝ねたまま、親切しんせつな娘むすめの世話せわに体からだをまかしておくほかはありませんでした。

 保名やすなの体からだが元もとどおりになるにはなかなか手間てまがかかりました。娘むすめはそれでも、毎日まいにちちっとも飽あきずに、親身しんみの兄弟きょうだいの世話せわをするように親切しんせつに世話せわをしました。保名やすなの体からだがすっかりよくなって、立たって外そとへ出歩であるくことができるようになった時分じぶんには、もうとうに秋あきは過すぎて、冬ふゆの半なかばになりました。森もりの奥おくの住すまいには、毎日まいにち木枯こがらしが吹ふいて、木この葉はも落おちつくすと、やがて深ふかい雪ゆきが森もりをも谷たにをもうずめつくすようになりました。保名やすなはそのままいっしょに雪ゆきの中にうずめられて、森もりを出ることができないでいました。そのうち雪ゆきがそろそろ解とけはじめて、時々ときどきは森もりの中に小鳥ことりの声こえが聞きこえるようになって、春はるが近ちかづいてきました。保名やすなは毎日まいにち親切しんせつな娘むすめの世話せわになっているうち、だんだんうちのことを忘わすれるようになりました。それからまた一年ねんたって、二度どめの春はるが訪おとずれてくる時分じぶんには、保名やすなと娘むすめの間あいだにかわいらしい男の子が一人ひとり生うまれていました。このごろでは保名やすなはすっかりもとの侍さむらいの身分みぶんを忘わすれて、朝あさ早はやくから日の暮くれるまで、家いえのうしろの小ちいさな畑はたけへ出でてはお百姓ひゃくしょうの仕事しごとをしていました。お上かみさんの葛くずの葉はは、子供こどもの世話せわをする合間あいまには、機はたに向むかって、夫おっとや子供こどもの着物きものを織おっていました。夕方ゆうがたになると、保名やすなが畑はたけから抜ぬいて来きた新あたらしい野菜やさいや、仕事しごとの合間あいまに森もりで取とった小鳥ことりをぶら下さげて帰かえって来きますと、葛くずの葉はは子供こどもを抱だいてにっこり笑わらいながら出て来きて、夫おっとを迎むかえました。

 こういう楽たのしい、平和へいわな月日つきひを送おくり迎むかえするうちに、今年ことしは子供こどもがもう七つになりました。それはやはり野面のづらにはぎやすすきの咲さき乱みだれた秋あきの半なかばのことでした。ある日いつものとおり保名やすなは畑はたけに出て、葛くずの葉はは一人ひとり寂さびしく留守居るすいをしていました。お天気てんきがいいので子供こどもも野のへとんぼを取とりに行ったまま、遊あそびほおけていつまでも帰かえって来きませんでした。葛くずの葉ははいつものとおり機はたに向むかって、とんからりこ、とんからりこ、機はたを織おりながら、少すこし疲つかれたので、手を休やすめて、うっとり庭にわをながめました。もう薄うすれかけた秋あきの夕日ゆうひの中に、白い菊きくの花はながほのかな香かおりをたてていました。葛くずの葉はは何なんとなくうるんだ寂さびしい気持きもちになって、我われを忘わすれてうっかりと魂たましいが抜ぬけ出だしたようになっていました。その時とき外そとから、

「かあちゃん、かあちゃん。」

 と呼よびながら、遊あそび疲つかれた子供こどもが駆かけて帰かえって来きました。うっとりしていて、その声こえにも気きがつかなかったとみえて、葛くずの葉はが返事へんじをしないので、不思議ふしぎに思おもって子供こどもはそっと庭にわに入はいってみますと、いつものように機はたに向むかっている母親ははおやの姿すがたは見みえましたが、機はたを織おる手は休やすめて、機はたの上うえにつっぷしたまま、うとうとうたた寝ねをしていました。ふと見みるとその顔かおは、人間にんげんではなくって、たしかに狐きつねの顔かおでした。子供こどもはびっくりして、もう一度ど見直みなおしましたが、やはりまぎれもない狐きつねの顔かおでした。子供こどもは「きゃっ。」と、思おもわずけたたましいさけび声ごえを上あげたなり、あとをも見みずに外そとへ駆かけ出だしました。

 子供こどものさけび声ごえに、はっとして葛くずの葉はは目を覚さましました。そしてちょいとうたた寝ねをした間まに、どういうことが起おこったか、残のこらず知しってしまいました。ほんとうにこの葛くずの葉はは人間にんげんの女ではなくって、あの時とき保名やすなに助たすけられた若わかい牝狐めぎつねだったのです。狐きつねは今日きょうまでかくしていた自分じぶんの醜みにくい、ほんとうの姿すがたを子供こどもに見みられたことを、死しぬほどはずかしくも、悲かなしくも思おもいました。

「もうどうしても、このままこうしていることはできない。」

 こう葛くずの葉ははいって、はらはらと涙なみだをこぼしました。

 そういいながら、八年ねんの間あいだなれ親したしんだ保名やすなにも、子供こどもにも、この住すまいにも、別わかれるのがこの上なくつらいことに思おもわれました。さんざん泣ないたあとで、葛くずの葉はは立たち上あがって、そこの障子しょうじの上に、

「恋こいしくば

たずね来きてみよ、

和泉いずみなる

しのだの森もりの

うらみ葛くずの葉は。」

 とこう書かいて、またしばらく泣なきくずれました。そしてやっと思おもいきって立たち上あがると、またなごり惜おしそうに振ふり返かえり、振ふり返かえり、さんざん手間てまをとった後あとで、ふいとどこかへ出ていってしまいました。

 もう日が暮くれかけていました。保名やすなは子供こどもを連つれて畑はたけから帰かえって来きました。母親ははおやの変かわった姿すがたを見みてびっくりした子供こどもは、泣なきながら方々ほうぼう父親ちちおやのいる所ところを探さがし歩あるいて、やっと見みつけると、今いまし方がた見みたふしぎを父親ちちおやに話はなしたのです。保名やすなは驚おどろいて、子供こどもを連つれて、あわてて帰かえって来きてみると、とんからりこ、とんからりこ、いつもの機はたの音おとが聞きこえないで、うちの中はひっそりと、静しずまり返かえっていました。うち中じゅうたずね回まわっても、裏うらから表おもてへと探さがし回まわっても、もうどこにも葛くずの葉はの姿すがたは見みえませんでした。そしてもう暮くれ方がたの薄明うすあかりの中に、くっきり白く浮うき出だしている障子しょうじの上に、よく見みると、字じが書かいてありました。

「恋こいしくば

たずね来きてみよ、

和泉いずみなる

しのだの森もりの

うらみ葛くずの葉は。」

 母親ははおやがほんとうにいなくなったことを知しって、子供こどもはどんなに悲かなしんだでしょう。

「かあちゃん、かあちゃん、どこへ行ったの。もうけっして悪わるいことはしませんから、早はやく帰かえって来きて下ください。」

 こういいながら、子供こどもはいつまでもやみの中を探さがし回まわっていました。さっき顔かおの変かわったのに驚おどろいて声こえを立たてたので、母親ははおやがおこって行ってしまったのだと思おもって、よけい悲かなしくなりました。狐きつねのかあさんでも、化ばけ物もののかあさんでもかまわない、どうしてもかあさんに会あいたいといって、子供こどもはききませんでした。

 あんまり子供こどもが泣なくので、保名やすなは困こまって、子供こどもの手を引ひいて、当あてどもなく真まっ暗くらやみの森もりの中を探さがして歩あるきました。とうとう信田しのだの森もりまで来くると、とうに夜中よなかを過すぎていました。けっして二度どと姿すがたを見みせまいと心こころに誓ちかっていた葛くずの葉はも、子供こどもの泣なき声ごえにひかれて、もう一度ど草くさむらの中に姿すがたを現あらわしました。子供こどもはよろこんで、あわてて取とりすがろうとしましたが、いったん元もとの狐きつねに返かえった葛くずの葉はは、もう元もとの人間にんげんの女ではありませんでした。

「わたしの体からだにさわってはいけません。いったん元もとの住すみかに帰かえっては、人間にんげんとの縁えんは切きれてしまったのです。」

 と葛くずの葉は狐ぎつねはいいました。

「お前まえが狐きつねであろうと何なんであろうと、子供こどものためにも、せめてこの子が十になるまででも、元もとのようにいっしょにいてくれないか。」

 と保名やすなはいいました。

「十まではおろか一生いっしょうでも、この子のそばにいたいのですけれど、わたしはもう二度どと人間にんげんの世界せかいに帰かえることのできない身みになりました。これを形見かたみに残のこしておきますから、いつまでもわたしを忘わすれずにいて下ください。」

 こういって葛くずの葉は狐ぎつねは一寸すん四方ほうぐらいの金きんの箱はこと、水晶すいしょうのような透すき通とおった白い玉たまを保名やすなに渡わたしました。

「この箱はこの中に入はいっているのは、竜宮りゅうぐうのふしぎな護符ごふです。これを持もっていれば、天地てんちのことも人間界にんげんかいのことも残のこらず目に見みるように知しることができます。それからこの玉たまを耳みみに当あてれば、鳥獣とりけものの言葉ことばでも、草木くさきや石いしころの言葉ことばでも、手に取とるように分わかります。この二つの宝物たからものを子供こどもにやって、日本にっぽん一の賢かしこい人にして下ください。」

 といって、二つの品物しなものを保名やすなに渡わたしますと、そのまますうっと狐きつねの姿すがたはやみの中に消きえてしまいました。


     三


 狐きつねのふしぎな宝物たからものを授さずかったせいでしょうか、狐きつねの子供こどもの阿倍あべの童子どうじは、並なみの子供こどもと違ちがって、生うまれつき大たいそう賢かしこくて、八つになると、ずんずんむずかしい本ほんを読よみはじめ、阿倍あべの家いえに昔むかしから伝つたわって、だれも読よむ者もののなかった天文てんもん、数学すうがくの巻まき物ものから、占うらないや医学いがくの本ほんまで、何なんということなしにみな読よんでしまって、もう十三の年としには、日本中にっぽんじゅうでだれもかなうもののないほどの学者がくしゃになってしまいました。

 するとある日のことでした。童子どうじはいつものとおり一間ひとまに入はいって、天文てんもんの本ほんをしきりに読よんでいますと、すぐ前まえの庭にわの柿かきの木に、からすが二羽わ、かあかあいって飛とんで来きました。そして何なにかがちゃがちゃおしゃべりをはじめました。何なにをからすはいっているのか知しらんと思おもって、童子どうじは例れいのふしぎな玉たまを耳みみに当あてますと、このからすは東ひがしの方ほうから来きた関東かんとうのからすと、西にしの方ほうから来きた京都きょうとのからすでした。京都きょうとのからすは関東かんとうのからすに向むかって、このごろ都みやこで見みて来きた話はなしをしました。

「都みやこの御所ごしょでは、天子てんしさまが大病たいびょうで、大たいそうなさわぎをしているよ。お医者いしゃというお医者いしゃ、行者ぎょうじゃという行者ぎょうじゃを集あつめて、いろいろ手をつくして療治りょうじをしたり、祈祷きとうをしたりしているが、一向いっこうにしるしが見みえない。それはそのはずさ、あれは病気びょうきではないんだからなあ。だがわたしは知しっている。」

「じゃあどういうわけなんだね。」

 と関東かんとうのからすはたずねました。

「それはこういうわけさ。このごろ御所ごしょの建たて替かえをやって、天子てんしさまのお休やすみになる御殿ごてんの柱はしらを立たてた時ときに、大工だいくがそそっかしく、東北うしとらの隅すみの柱はしらの下に蛇へびと蛙かえるを生いき埋うめにしてしまったのだ。それが土台石どだいいしの下で、今いまだに生いきていて、夜よるも昼ひるもにらみ合あって戦たたかっている。蛇へびと蛙かえるがおこって吹ふき出だす息いきが炎ほのおになって、空そらまで立たちのぼると、こんどは天てんが乱みだれる。その勢いきおいで天子てんしさまの体からだにお病やまいがおこるのだ。だからあの蛇へびと蛙かえるを追おい出だしてしまわないうちは、御病気ごびょうきは治なおりっこないのだよ。」

「ふん、それじゃあ人間にんげんになんか分わからないはずだなあ。」

 そこで京都きょうとのからすは、関東かんとうのからすと顔かおを見合みあわせて、あざけるように、かあかあと笑わらいました。そしてまた関東かんとうのからすは東ひがしへ、京都きょうとのからすは西にしへ、別わかれて飛とんでいってしまいました。

 からすの言葉ことばを聞きいて、童子どうじは早速さっそく占うらないを立たててみると、なるほどからすのいったとおりに違ちがいありませんでしたから、おとうさんの前まえへ出て、その話はなしをして、

「どうか、わたしを京都きょうとへ連つれて行って下ください。天子てんしさまの御病気ごびょうきを治なおして上あげとうございます。」

 といいました。

 保名やすなもこれをしおに京都きょうとへ行いって、阿倍あべの家いえを興おこす時ときが来きたと、大たいそうよろこんで、童子どうじを連つれて京都きょうとへ上のぼりました。そして天子てんしさまの御所ごしょに上あがって、お願ねがいの筋すじを申もうし上あげました。天子てんしさまも阿倍あべの仲麻呂なかまろの子孫しそんだということをお聞ききになって、およろこびになり、保名親子やすなおやこの願ねがいをお聞きき届とどけになりました。そこで童子どうじはからすに聞きいたとおり占うらないを立たてて申もうし上あげました。御所ごしょの役人やくにんたちはふしぎに思おもって、なかなか信用しんようしませんでしたが、何なにしろ困こまりきっているところでしたから、ためしに御寝所ごしんじょの東北うしとらの柱はしらの下を掘ほらしてみますと、なるほど童子どうじのいったとおり、火ひのような息いきをはきかけはきかけ戦たたかっている蛇へびと蛙かえるを見みつけて、追おい出だして、捨すてました。するとまもなく天子てんしさまの御病気ごびょうきは薄紙うすがみをへぐように、きれいに治なおってしまいました。

 天子てんしさまは大たいそう阿倍あべの童子どうじの手柄てがらをおほめになって、ちょうど三月がつの清明せいめいの季節きせつなので、名前なまえを阿倍あべの清明せいめいとおつけになり、五位いの位くらいを授さずけて、陰陽頭おんみょうのかみという役やくにおとりたてになりました。後のちに清明せいめいの清せいの字じをかえて、阿倍あべの晴明せいめいといった名高なだかい占うらないの名人めいじんはこの童子どうじのことです。


     四


 たった十三にしかならない阿倍あべの童子どうじが、天子てんしさまの御病気ごびょうきを治なおしてえらい役人やくにんにとりたてられたと聞きいて、いちばんくやしがったのは、あの石川悪右衛門いしかわあくうえもんのにいさんの芦屋あしやの道満どうまんでした。道満どうまんはその時ときまで日本にっぽん一の学者がくしゃで、天文てんもんと占うらないの名人めいじんという評判ひょうばんでしたが、こんどは天子てんしさまの御病気ごびょうきを治なおすことができないで、その手柄てがらを子供こどもに取とられてしまったのですから、くやしがるのも無理むりはありません。そこで御所ごしょへ上あがって天子てんしさまに讒言ざんげんをしました。

「御用心ごようじん遊あそばさないといけません。あの童子どうじは詐欺師さぎしでございます。恐おそれながら、陛下へいかのお病やまいは侍医じいの方々かたがたや、わたくし共どもの丹誠たんせいで、もうそろそろ御平癒ごへいゆになる時ときになっておりました。そこへ折おりよく童子どうじめが来合きあわせて、横合よこあいから手柄てがらを奪うばっていったのでございます。御寝所ごしんじょの下の蛇へびと蛙かえるのふしぎも、あれら親子おやこが御所ごしょの役人やくにんのだれかとしめし合あわせて、わざわざ入いれて置おいたものかも知しれません。どうか軽々かるがるしくお信しんじなさらずに、一度どわたくしと法術ほうじゅつ比くらべをさせて頂いただきとうございます。もしあの童子どうじが負まけましたらば、それこそ詐欺師さぎしの証拠しょうこでございますから、さっそく位くらいを取とり上あげて、追おい返かえして頂いただきとうございます。」

 と申もうし上あげました。

「でもお前まえがもし童子どうじに負まけたらどうするか。」

 と天子てんしさまは少すこしおこって、おたずねになりました。

「はい、万々一まんまんいちわたくしが負まけるようなことがございましたら、それこそわたくしの頂いただいておりますお役やくも位くらいも残のこらずお返かえし申もうし上あげて、わたくしは童子どうじの弟子でしになって、修業しゅぎょうをいたします。」

 と、高慢こうまんな顔かおをしてお答こたえ申もうし上あげました。

 そこで天子てんしさまは阿倍あべの晴明親子せいめいおやこをお呼よび出だしになり、御前ごぜんで術じゅつ比くらべさせてごらんになることになりました。道満どうまんと晴明せいめいが右左みぎひだりに別わかれて席せきにつきますと、やがて役人やくにんが四五人にんかかって、重おもそうに大きな長持ながもちを担かついで来きて、そこへすえました。

「道満どうまん、晴明せいめい、この長持ながもちの中には何なにが入はいっているか、当あててみよ、という陛下へいかの仰おおせです。」

 とお役人やくにんの頭かしらがいいました。

 すると道満どうまんは、さもとくいらしい顔かおをして、

「晴明せいめい、まずお前まえからいうがいい。子供こどものことだ、先さきを譲ゆずってやる。」

 といいました。晴明せいめいはその時とき、丁寧ていねいに頭あたまを下さげて、

「では失礼しつれいですが、わたくしから申もうし上あげましょう。長持ながもちの中にお入いれになったのは猫ねこ二匹ひきです。」

 といいました。

 晴明せいめいがうまくいいあてたので、道満どうまんはぎょっとしました。

「ふん、まぐれ当あたりに当あたったな。いかにも二匹ひきの猫ねこに相違そういありません。それで一匹ぴきは赤猫あかねこ、一匹ぴきは白猫しろねこです。」

 長持ながもちのふたをあけると、なるほど赤あかと白の猫ねこが二匹ひき飛とび出だしました。天子てんしさまも役人やくにんたちも舌したをまいて驚おどろきました。

 今いまのは勝負しょうぶなしにすんだので、又また、四五人にんのお役人やくにんが、大きなお三方さんぽうに何なにか載のせて、その上に厚あつい布ぬのをかけて運はこんで来きました。道満どうまんはそれを見みると、こんどこそ晴明せいめいに先せんをこされまいというので、いきり立たって、

「ではわたくしから申もうし上あげます。お三方さんぽうの上にお載のせになったのは、みかん十五です。」

 といいました。

 晴明せいめいはそれを聞きいて、「ふん。」と心こころの中であざ笑わらいました。そして少すこしいたずらをして、高慢こうまんらしい道満どうまんの鼻はなをあかせてやりたいと思おもいました。そこでそっと物ものを換かえる術じゅつを使つかって、お三方さんぽうの中の品物しなものを素早すばやく換かえてしまいました。そしてすました顔かおをしながら、

「これはみかん十五ではございません。ねずみ十五匹ひきをお入いれになったと存ぞんじます。」

 といいました。天子てんしさまはじめお役人やくにんたちはびっくりしました。こんどこそは晴明せいめいがしくじったと思おもいました。そばについていたおとうさんの保名やすなも真まっ青さおになって、息子むすこのそでを引ひきました。けれども晴明せいめいはあくまで平気へいきな顔かおをしていました。道満どうまんは真まっ赤かになって、

「さあ、詐欺師さぎしの証拠しょうこは現あらわれましたぞ。中を早はやくおあけなさい、早はやく。」

 とさけびました。

 お役人やくにんはお三方さんぽうの覆おおいをとりました。するとどうでしょう。お三方さんぽうの上に載のせたのはみかんではなくって、今いまの今いままで晴明せいめいのほかだれ一人ひとり思おもいもかけなかったねずみが十五匹ひき、ちょろちょろ飛とび出だして、御殿ごてんの床ゆかの上を駆かけ歩あるきました。すると長持ながもちの上に寝ねていた二匹ひきの猫ねこが目早めばやく見みつけて、いきなり飛とび下おりて、ねずみを追おい回まわしました。みんなは「あれあれ。」とさけんで、総立そうだちになって、やがて御殿中ごてんじゅうの大おおさわぎになりました。

 これで勝負しょうぶはつきました。芦屋あしやの道満どうまんは位くらいを取とり上あげられて、御殿ごてんから追おい出だされました。そして阿倍あべの晴明せいめいのお弟子でしになりました。

底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社

   1983(昭和58)年4月10日第1刷発行

入力:鈴木厚司

校正:大久保ゆう

2003年9月29日作成

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