運命論者
国木田独歩



      一


 秋の中過なかばすぎ、冬近くなると何いずれの海浜かいひんを問とわず、大方は淋さびれて来る、鎌倉かまくらも其その通とおりで、自分のように年中住んで居いる者の外ほかは、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網じびきあみの男、或あるいは浜づたいに往通ゆきかよう行商あきんどを見るばかり、都人士とじんしらしい者の姿を見るのは稀まれなのである。

 或日あるひ自分は何時いつものように滑川なめりがわの辺ほとりまで散歩して、さて砂山に登ると、思おもいの外、北風が身に沁しむので直すぐ麓ふもとに下おりて其処そこら日あたりの可よい所、身体からだを伸のばして楽に書ほんの読めそうな所と四辺あたりを見廻みまわしたが、思うようなところがないので、彼方此方あちらこちらと探し歩いた、すると一個所、面白い場所を発見みつけた。

 砂山が急に崩ほげて草の根で僅わずかにそれを支ささえ、其その下したが崕がけのようになって居いる、其根方ねかたに座って両足を投げ出すと、背は後うしろの砂山に靠もたれ、右の臂ひじは傍らの小高いところに懸かかり、恰度ちょうどソハに倚よったようで、真まことに心持の佳よい場処ばしょである。

 自分は持もって来た小説を懐ふところから出して心長閑のどかに読んで居ると、日は暖あたたかに照り空は高く晴れ此こ処こよりは海も見えず、人声も聞えず、汀なぎさに転ころがる波音の穏かに重々しく聞える外ほかは四囲あたり寂然ひっそりとして居るので、何時いつしか心を全然すっかり書籍ほんに取られて了しまった。

 然しかるにふと物音の為したようであるから何心なく頭を上げると、自分から四五間離れた処ところに人が立たって居たのである。何時此処へ来て、何処どこから現われたのか少すこしも気がつかなかったので、恰あだかも地の底から湧出わきでたかのように思われ、自分は驚いて能よく見ると年輩としは三十ばかり、面長おもながの鼻の高い男、背はすらりとした膄形やさがた、衣装みなりといい品といい、一見して別荘に来て居る人か、それとも旅宿やどを取って滞留して居る紳士と知れた。

 彼は其処そこにつッ立って自分の方を凝じっと見て居る其その眼めつきを見て自分は更に驚き且かつ怪しんだ。敵かたきを見る怒いかりの眼か、それにしては力薄し。人を疑う猜忌さいぎの眼か、それにしては光鈍し。たゞ何心なく他を眺ながむる眼にしては甚はなはだ凄味すごみを帯ぶ。

 妙な奴やつだと自分も見返して居ること暫しばし、彼は忽たちまち眼を砂の上に転じて、一歩一歩、静かに歩きだした。されども此この窪地くぼちの外に出ようとは仕しないで、たゞ其処らをブラブラ歩いて居る、そして時々凄すごい眼で自分の方を見る、一たいの様子が尋常でないので、自分は心持が悪くなり、場所を変る積つもりで其処を起たち、砂山の上まで来て、後うしろを顧かえりみると、如何どうだろう怪あやしの男は早くも自分の座って居た場処に身体からだを投げて居た! そして自分を見送って居る筈はずが、そうでなく立たてた膝ひざの上に腕組をして突伏つッぷして顔を腕の間に埋うずめて居た。

 余りの不思議さに自分は様子を見てやる気になって、兎とある小蔭こかげに枯草を敷て這はいつくばい、書ほんを見ながら、折々頭を挙げて彼かの男を覗うかがって居いた。

 彼はやゝ暫しばらく顔を上あげなかった。けれども十分とは自分を待またさなかった、彼の起たちあがるや病人の如ごとく、何となく力なげであったが、起たったと思うと其その儘ままくるりと後向うしろむきになって、砂山の崕がけに面と向き、右の手で其麓ふもとを掘りはじめた。

 取り出した物は大きな罎びん、彼は袂たもとからハンケチを出して罎の砂を払い、更に小な洋盃コップ様のものを出して、罎の栓せんを抜ぬくや、一盃いっぱい一盃、三四杯続けさまに飲んだが、罎を静かに下に置き、手に杯を持たまゝ、昂然こうぜんと頭こうべをあげて大空を眺ながめて居た。

 そして又また一杯飲んだ。そして端はしなく眼まなこを自分の方へ転じたと思うと、洋杯コップを手にしたまゝ自分の方へ大股おおまたで歩いて来る、其歩武ほぶの気力ある様は以前の様子と全然まるで違うて居た。

 自分は驚いて逃げ出そうかと思った。然しかし直すぐ思い返して其そのまゝ横になって居ると、彼は間もなく自分の傍そばまで来て、怪あやしげな笑味えみを浮べながら

「貴様あなたは僕が今何を為したか見て居たでしょう?」

と言った声は少し嗄しわがれて居た。

「見て居ました。」と自分は判然はっきり答えた。

「貴様は他人ひとの秘密を覗うかがって可よいと思いますか。」と彼は益ますます怪げな笑味えみを深くする。

「可よいとは思いません。」

「それなら何故なぜ僕の秘密を覗うかがいました。」

「僕は此こ処こで書籍ほんを読むの自由を持もって居ます。」

「それは別問題です。」と彼は一寸ちょっと眼を自分の書籍ほんの上に注いだ。

「別問題ではありません。貴様が何なにを為しようと僕が何を為しようと、それが他人ひとに害を及ぼさぬ限りはお互の自由です。若もし貴様あなたに秘密があるなら自みずから先まず秘密に為したら可よいでしょう。」

 彼は急にそわ〳〵して左の手で頭の毛を揉むしるように掻かきながら、

「そうです、そうです。けれども彼あれが僕の做なし得るかぎりの秘密なんです。」と言って暫しばらく言葉を途切とぎらし、気を塞つめて居たが、

「僕が貴様を責めたのは悪う御座ございました、けれども何乎どうか今御覧になったことを秘密に仕して下さいませんかお願いですが。」

「お頼たのみとあれば秘密にします。別に僕の関したことではありませんから。」

「難有ありがとう御座います。それで僕も安心しました。イヤ真まことに失礼しました匆卒いきなり貴様を詰とがめまして……」と彼は人を圧おしつけようとする最初の気勢とは打うって変り、如何いかにも力なげに詫わびたのを見て、自分も気の毒になり、

「何もそう謝るには及びません、僕も実は貴様が先刻僕の前に佇立つったって僕ばかり見て居いた時の風が何なんとなく怪あやしかったから、それで此こ処こへ来て貴様あなたの為することを覗うかごうて居たのです。矢張やはり貴様を覗がったのです。けれども彼あの事が貴様の秘密とあれば、堅く僕は其その秘密を守りますから御安心なさい。」

 彼は黙って自分の顔を見て居たが、

「貴様は必定きっと守って下さる方です。」と声をふるわし、

「如何どうでしょう、一つ僕の杯さかずきを受けて下さいませんか。」

「酒ですか、酒なら僕は飲ないほうが可よいのです。」

「飲まないほうが! 飲まないほうが! 無論そうです。もう飲まないで済むことなら僕とても飲まないほうが可いのです。けれども僕は飲のむのです。それが僕の秘密なんです。如何でしょう、僕と貴様と斯こうやって話をするのも何かの運命です、怪あやしい運命ですから、不思議な縁ですから一つ僕の秘密の杯を受けて下さいませんか、え、如何でしょう、受けて下さいませんか。」という言葉の節々、其その声音こわね、其眼元、其顔色は実げに大おおいなる秘密、痛いたましい秘密を包んで居いるように思われた。

「よろしゅう御座います、それでは一つ戴いただきましょう。」と自分の答うるや直すぐ彼は先に立たって元の場処ばしょへと引返えすので、自分も其後あとに従った。


      二


「これは上等のブランデーです。自分で上等も無いもんですが、先日上京した時、銀座の亀屋かめやへ行って最上のを呉くれろと内証ないしょうで三本買かって来て此こ処こへ匿かくして置いたのです、一本は最早もうたいらげて空罎あきびんは滑川なめりがわに投げ込みました。これが二本目です、未まだ一本この砂の中に埋うずめてあります、無くなれば又買って来ます。」

 自分は彼の差した杯さかずきを受け、少すこしずつ啜すすりながら彼の言う処ところを聞きいて居たが、聞くに連れて自分は彼を怪しむ念の益々ますます高たかまるを禁じ得なかった。けれども決して彼の秘密に立入たちいろうとは思なかった。

「それで先刻僕が此こ処こへ来て見ると、意外にも貴様あなたが既に此この場処を占領して居たのです、驚きましたね、怪けしからん人もあるものだ僕の酒庫を犯し、僕の酒宴の莚むしろを奪いながら平気で書籍ほんを読んで居るなんてと、僕はそれで貴様を見つめながら此処を去らなかったのです。」と彼は微笑して言った、其その眼元めもとには心の底に潜ひそんで居る彼の優やさしい、正直な人柄の光さえ髣髴ほのめいて、自分には更に其それが惨いたましげに見えた、其処そこで自分も笑わらいを含み、

「そうでしょう、それでなければあんな眼つきで僕を御覧になる訳は御座いません。さも恨めしそうでした。」

「イヤ恨めしくは御座いません、情なかったのです。オヤ〳〵乃公おれは隠して置いた酒さえも何時いつか他人ひとの尻しりの下に敷しかれて了しまうのか、と自分の運命を詛のろったのです。詛うと言えば凄すごく聞えますが、実は僕にはそんな凄すごい了見りょうけんも亦また気力もありません。運命が僕を詛うて居いるのです──貴様あなたは運命ということを信じますか? え、運命ということ。如何どうです、も一ひとつ」と彼は罎びんを上げたので

「イヤ僕は最早もう戴いただきますまい。」と杯さかずきを彼に返し「僕は運命論者ではありません。」

 彼は手酌てしゃくで飲み、酒気を吐いて、

「それでは偶然論者ですか。」

「原因結果の理法を信ずるばかりです。」

「けれども其その原因は人間の力より発し、そして其結果が人間の頭上に落ち来るばかりでなく、人間の力以上に原因したる結果を人間が受ける場合が沢山ある。その時、貴様は運命という人間の力以上の者を感じませんか。」

「感じます、けれども其それは自然の力です。そして自然界は原因結果の理法以外には働かないものと僕は信じて居ますから、運命という如ごとき神秘らしい名目を其その力に加えることは出来ません。」

「そうですか、そうですか、解わかりました。それでは貴様あなたは宇宙に神秘なしと言うお考かんがえなのです、要之つまり、貴様には此この宇宙に寄する此人生の意義が、極く平易明亮めいりょうなので、貴様の頭は二々ににんが四しで、一切いっせつが間に合うのです。貴様の宇宙は立体でなく平面です。無窮無限という事実も貴様には何等なんら、感興と畏懼いくと沈思とを喚よび起す当面の大いなる事実ではなく、数の連続を以もってインフィニテー(無限)を式で示そうとする数学者のお仲間でしょう。」と言って苦しそうな嘆息を洩もらし、冷ひややかな、嘲あざけるような語気で、

「けれども、実は其方が幸福なのです。僕の言葉で言えば貴様は運命に祝福されて居る方、貴様の言葉で言えば僕は不幸な結果を身に受けて居る男です。」

「それでは此これで失礼します。」と自分は起上たちあがった、すると彼は狼狽あわてて自分を引止め、「ま、ま、貴様怒ったのですか。若もし僕の言った事がお気に触ったら御勘弁を願います。つい其その自分で勝手に苦くるしんで勝手に色々なことを、馬鹿な訳にも立たん事を考かんがえて居おるもんですから、つい見境もなく饒舌しゃべるのです。否いいえ、誰だれにも斯そんなことを言った事はないのです。けれども何んだか貴様あなたには言って見とう感じましたから遠慮もなく勝手な熱を吹いたので、貴様には笑われるかも知れませんが。僕にはやはり怪あやしの運命が僕と貴様を引着ひきつけたように感ぜられるのです。不幸ふしあわせな男と思って、もすこしお話し下さいませんか、もすこし……」

「けれども別にお話しするようなことも僕には有りませんが……」

「そう言わないで何卒どうかもすこし此こ処こに居いて下さいな、もすこし……。噫ああ! 如何どうして斯こう僕は無理ばかり言うのでしょう! 酔よったのでしょうか。運命です、運命です、可よう御座います、貴様にお話がないなら僕が話します。僕が話すから聞いて下さい、せめて聴きいて下さい、僕の不幸ふしあわせな運命を!」

 此この苦痛の叫さけびを聞いて何人なんびとか心を動かさざらん。自分は其その儘まま止とどまって、

「聞きましょうとも。僕が聴きいてお差支さしつかえがなければ何事でも承うけたまわりましょう。」

「聴いて下さいますか。それならお話しましょう。けれども僕の運命の怪しき力に惑まどうて居る者ですから、其積つもりで聴いて下さい。若もし原因結果の理法と貴様あなたが言うならそれでも可よう御座います。たゞ其原因結果の発展が余りに人意の外そとに出て居て、其為ために一人ひとりの若い男が無限の苦悩に沈んで居る事実を貴様が知りましたなら、それを僕が怪しき運命の力と思うのも無理の無いことだけは承知下さるだろうと思います、で貴様に聞きますが此こ処こに一人の男があって、其男が何心なく途みちを歩いて居ると、何処どこからとも知れず一ひとつの石が飛んで来て其男の頭に命中あたり、即死する、そのために其男の妻子は餓うえに沈み、其為めに母と子は争い、其為に親子は血を流す程の惨劇を演ずるという事実が、此世に有り得ることと貴様あなたは信ずるでしょうか。」

「実際有ることか無いことかは知りませんが、有り得ることとは信じます、それは。」

「そうでしょう、それなら貴様は人の意表に出た原因のために、ふとした原因のために、非常なる悲惨がやゝもすれば、人の頭上に落ちてくるという事実を認したたむるのです、僕の身の上の如ごとき、全まったく其それなので、殆ほとんど信ず可べからざる怪あやしい運命が僕を弄もてあそんで居いるのです。僕は運命と言います。僕にはそう外ほかには信じられんですから。」と言って彼は吻ほっと嘆息ためいきを吐つき、

「けれども貴様聴きいて呉くれますか。」

「聴ききますとも! 何卒どうかお話なさい。」

「それなら先まず手近な酒のことから話しましょう。貴様は定めし不思議なことと思って居るでしょうが、実は世間に有りふれたことで、苦悩くるしみを忘れたさの魔酔剤に用いて居おるのです。砂の中に隠して置くのは隠くして飲まなければならない宅の事情があるからなので、その上、此この場所は如何いかにも静で且かつ快濶かいかつで、如何いかな毒々しい運命の魔も身を隠して人を覗うかがう暗い蔭かげのないのが僕の気に入ったからです。此こ処こへ身を横たえて酒精アルコールの力に身を托たくし高い大空を仰いで居る間は、僕の心が幾何いくらか自由を得る時です。その中うちには此激烈な酒精アルコールが左さなきだに弱り果はてた僕の心臓を次第に破って、遂ついには首尾よく僕も自滅するだろうと思って居ます。」

「そんなら貴様あなたは、自殺を願うて居るのですか。」と自分は驚いて問うた。

「自殺じゃアない、自滅です。運命は僕の自殺すら許さないのです。貴様、運命の鬼が最も巧たくみに使う道具の一は『惑まどい』ですよ。『惑』は悲かなしみを苦くるしみに変ます。苦悩くるしみを更に自乗させます。自殺は決心です。始終惑まどいのために苦んで居る者に、如何どうして此決心が起りましょう。だから『惑』という鈍い、重々しい苦悩くるしみから脱れるには矢張やはり、自滅という遅鈍ちどんな方法しか策がないのです。」

と沁々しみじみ言う彼の顔には明あきらかに絶望の影が動いて居いた。

「如何どういう理由わけがあるのか知りませんが、僕は他人の自殺を知って之これを傍観する訳には行きません。自滅というも自殺に違いないのですから。」と自分が言うや、

「けれども自殺は人々の自由でしょう。」と彼は笑味えみを含んで言った。

「そうかも知れません。然しかし之を止め得るならば、止めるのが又人々の自由なり義務です。」

「可よう御座います。僕も決して自滅したくは有りません若もし貴様あなたが僕の物話はなしを悉皆すっかり聴きいて、其その上うえで僕を救うの策を立てて下さるのなら僕は此この上うえもない幸福です。」

 斯こう聞いては自分も黙って居られない、

「可よろしい! 何卒どうか悉皆すっかり聴かして貰もらいましょう。今度は僕の方からお願します。」


      三


「僕は高橋信造たかはししんぞうという姓名ですが、高橋の姓は養家のを冒おかしたので、僕の元の姓は大塚おおつかというです。

 大塚信造と言った時のことから話しますが、父は大塚剛蔵ごうぞうと言って御存知でも御座ございますか、東京控訴院の判事としては一寸ちょっと世間でも名の知れた男で、剛蔵の名の示す如ごとく、剛直一端いっぺんの人物。随分僕を教育する上には苦心したようでした。けれども如何どういうものか僕は小児こどもの時分から学問が嫌きらいで、たゞ物陰ものかげに一人ひとり引込んで、何を考かんがえるともなく茫然ぼんやりして居ることが何より好すきでした。十二歳の時分と覚えて居ます、頃ころは春の末すえということは庭の桜が殆ほとんど散り尽して、色褪いろあせた花弁はなびらの未まだ梢こずえに残って居いたのが、若葉の際ひまからホロ〳〵と一片ひとひら三片みひら落つる様さまを今も判然はっきりと想おもいだすことが出来るので知れます。僕は土蔵くらの石段に腰かけて例いつもの如ごとく茫然ぼんやりと庭の面おもてを眺ながめて居ますと、夕日が斜に庭の木この間まに射さし込こんで、さなきだに静かな庭が、一増ひとしお粛然ひっそりして、凝然じっとして、眺ながめて居ると少年心こどもごころにも哀かなしいような楽たのしいような、所謂いわゆる春愁しゅんしゅうでしょう、そんな心持こころもちになりました。

 人の心の不思議を知って居るものは、童児こどもの胸にも春の静しずかな夕ゆうべを感ずることの、実際有り得ることを否いなまぬだろうと思います。

 兎とも角かくも僕はそういう少年でした。父の剛蔵はこのことを大変苦にして、僕のことを坊頭臭ぼうずくさい子だと数々しばしば小言こごとを言い、僧侶ぼうずなら寺へ与やって了しまうなど怒鳴ったこともあります。それに引かえ僕の弟おととの秀輔ひですけは腕白小僧で、僕より二ツ年齢としが下でしたが骨格も父に肖にて逞たくましく、気象もまるで僕とは変ちがって居たのです。

 父が僕を叱しかる時、母と弟おとととは何時いつも笑って傍はたで見て居たものです。母というはお豊とよといい、言葉の少ない、柔和らしく見えて確固しっかりした気象の女でしたが、僕を叱しかったこともなく、さりとて甘やかす程に可愛かわいがりもせず、言わば寄らず触らずにして居たようです。

 それで僕の気象が性来今言ったようなのであるか、或あるいはそうでなく、僕は小児こどもの時、早く不自然な境に置おかれて、我知らずの孤独な生活を送った故ゆえかも知れないのです。

 成程父は僕のことを苦にしました。けれども其その心配はたゞ普通の親が其子の上を憂うれうるのとは異ちがって居たのです、それで父が『折角男に生れたのなら男らしくなれ、女のような男は育て甲斐がいがない』と愚痴めいた小言を言う、其言葉の中にも僕の怪しい運命の穂先が見えて居たのですが、少年こどもの僕には未まだ気が着きませんでした。

 言うことを忘れて居ましたが、其頃は父が岡山地方裁判所長の役で、大塚の一家いっけは岡山の市中に住んで居いたので、一家が東京に移ったのは未だ余程後のことです。

 或日あるひのことでした、僕が平時いつものように庭へ出て松の根に腰をかけ茫然ぼんやりして居ると、何時いつの間にか父が傍そばに来て、

『お前は何を考がえて居るのだ。持もって生れた気象なら致方しかたもないが、乃父おれはお前のような気象は大嫌だいきらいだ、最少もすこし確固しっかりしろ。』と真面目まじめの顔で言いますから、僕は顔も上げ得ないで黙って居ました。すると父は僕の傍に腰を下して、

『オイ信造』と言って急に声を潜ひそめ『お前は誰だれかに何か聞ききは為しなかったか。』

 僕には何のことか全然すっかり解わからないから、驚いて父の顔を仰ぎましたが、不思議にも我知らず涙含なみだぐみました。それを見て父の顔色は俄にわかに変り、益々ますます声を潜ひそめて、

『慝かくすには及ばんぞ、聞きいたら聞いたと言うが可ええ。そんなら乃父おれには考案かんがえがあるから。サア慝くさずに言うが可え。何か聞いたろう?』

 此この時ときの父の様子は余程狼狽ろうばいして居るようでした。それで声さえ平時いつもと変り、僕は可怕こわくなりましたから、しく〳〵泣き出すと、父は益々ますます狼狽うろたえ、

『サア言え! 聞いたら聞きいたと言え! 慝かくすかお前は』と僕の顔を睨にらみつけましたから、僕も益々可怕こわくなり、

『御免なさい、御免なさい』とたゞ謝罪あやまりました。

『謝罪れと言うんじゃない。若もし何かお前が妙なことを聞きいて、それで茫然ぼんやり考がえて居るじゃないかと思うから、それで訊きくのだ。何なんにも聞かんのなら其それで可ええ。サア正直に言え!』と今度は真実ほんとに怒って言いますから、僕は何なんのことか解わからず、たゞ非常な悪いことでも仕したのかと、おろ〳〵声で、

『御免なさい、御免なさい。』

『馬鹿! 大馬鹿者! 誰たれが謝罪れと言った。十二にもなって男の癖に直すぐ泣く。』

 怒鳴られたので僕は喫驚びっくりして泣きながら父の顔を見て居いると、父も暫しばらくは黙って熟じっと僕の顔を見て居ましたが、急に涙含なみだぐんで、

『泣なかんでも可ええ、最早もう乃父おれも問わんから、サア奥へ帰るが可ええ、』と優やさしく言った其その言葉は少ないが、慈愛に満みちて居たのです。

 其後でした、父が僕のことを余り言わなくなったのは。けれども又其後でした僕の心の底に一片の雲影の沈んだのは。運命の怪しき鬼が其爪つめを僕の心に打込んだのは実に此この時ときです。

 僕は父の言葉が気になって堪たまりませんでした。これも普通の小供こどもなら間まもなく忘れて了しまっただろうと思いますが、僕は忘れる処どころか、間まがな隙すきがな、何故なぜ父は彼あのような事を問うたのか、父が斯かくまでに狼狽ろうばいした処ところを見ると、余程の大事であろうと、少年心こどもごころに色々と考えて、そして其大事は僕の身の上に関することだと信ずるようになりました。

 何故なぜでしょう。僕は今でも不思議に思って居るのです。何故父の問うたことが僕の身の上のことと自分で信ずるに至ったでしょう。

 暗黒くらきに住みなれたものは、能よく暗黒くらきに物を見ると同じ事で、不自然なる境に置おかれたる少年は何時いつしか其その暗き不自然の底に蔭ひそんで居る黒点を認めることが出来たのだろうと思います。

 けれども僕の其黒点の真相を捉とらえ得たのはずっと後のことです。僕は気にかかりながらも、これを父に問い返すことは出来ず、又母には猶更なおさら出来ず、小ちいさな心を痛めながらも月日を送って居ました。そして十五の歳としに中学校の寄宿舎に入れられましたが、其前に一ツお話して置く事があるのです。

 大塚の隣屋敷に広い桑畑くわばたけがあって其横に板葺そぎぶきの小ちいさな家がある、それに老人としより夫婦と其ころ十六七になる娘が住すんで居ました。以前は立派な士族で、桑園くわばたけは則すなわち其屋敷跡だそうです。此この老人としよりが僕の仲善なかよしでしたが、或日あるひ僕に囲碁の遊戯あそびを教えて呉くれました。二三日経たって夜食の時、このことを父母に話しました処ところ、何時いつも遊戯あそびのことは余り気にしない父が眼めに角かどを立たてて叱しかり、母すら驚いた眼を張って僕の顔を見つめました。そして父母が顔を見合わした時の様子の尋常でなかったので、僕は甚はなはだ妙に感じました。

 何故なぜ僕が囲碁を敵としなければならぬか、それも後に解わかりましたが、其それが解った時こそ、僕が全く運命の鬼に圧倒せられ、僕が今の苦悩を甞なめ尽す初はじめで御座いました。


      四


 僕の十六の時、父は東京に転任したので大塚一家いっけは父と共に移転しましたが、僕だけは岡山中学校の寄宿舎に残されました。

 僕は其その後ご三年間の生活を思うと、僕の此この世よに於おける真まことの生活は唯ただ彼あの学校時代だけであったのを知ります。

 学生は皆な僕に親切でした。僕は心の自由を恢復かいふくし、悪運の手より脱のがれ、身の上の疑惑を懐いだくこと次第に薄くなり、沈欝ちんうつの気象までが何時いつしか雪の融とける如ごとく消えて、快濶かいかつな青年の気を帯びて来ました。

 然しかるに十八の秋、突然東京の父から手紙が来て僕に上京を命じたのです。穏おだやかな僕の心は急に擾乱かきみだされ、僕は殆ほとんど父の真意を知るに苦しみ、返書を出して責めて今一年、卒業の日まで此この儘ままに仕て置いて貰もらおうかと思いましたが、思い返して直ぐ上京しました。麹町こうじまちの宅に着くや、父は一室ひとまに僕を喚よんで、『早速さっそくだがお前と能よく相談したいことが有るのだ。お前これから法律を学ぶ気はないかね。』

 思いもかけぬ言葉です。僕は驚いて父の顔を見つめたきり容易に口を開くことが出来ない。

『実は手紙で詳しく言ってやろうかとも思ったが、廻まわりくどいから喚よんだのだ。お前も卒業までと思ったろうし、又大学までとも志こころざして居いたろうけれど、人は一日も早く独立の生活を営む方が可ええことはお前も知って居るだろう。それでお前これから直すぐ私立の法律学校に入るのじゃ。三年で卒業する。弁護士の試験を受ける。そした暁あかつきは私と懇意な弁護士の事務所に世話してやるから、其処そこで四五年も実地の勉強をするのじゃ。其その内うちに独立して事務所を開けば、それこそ立派なもの、お前も三十にならん内、堂々たる紳士となることが出来る。如何どうじゃな、其方が近道じゃぞ。』という父の言葉を聴きいて居る、僕の心の全く顛動てんどうしたのも無理はないでしょう。

 これ実に他人の言葉です。他人の親切です。居候いそうろうの書生に主人の先生が示す恩愛です。

 大塚剛蔵は何時いつしか其自然に返って居たのです。知らず〳〵其自然を暴露しめすに至ったのです。僕を外そとに置くこと三年、其その実子なる秀輔ひですけのみを傍かたわらに愛撫あいぶすること三年、人間が其天真に帰るべき門、墳墓に近ちかづくこと三年、此この三年の月日は彼をして自然に返らしたのです。けれども彼は未まだ其自然を自認することが出来ず、何処どこまでも自分を以前の父の如ごとく、僕を以前の子の如く見ようとして居るのです。

 其処そこで僕は最早もはや進んで僕の希望のぞみを述のべるどころではありません。たゞこれ命めいこれ従したがうだけのことを手短かに答えて父の部屋を出てしまいました。

 父ばかりでなく母の様子も一変して居たのです。日の経たつに従ごうて僕は僕の身の上に一大秘密のあることを益々ますます信ずるようになり、父母の挙動に気をつければつけるほど疑惑の増すばかりなのです。

 一度は僕も自分の癖見ひがみだろうかと思いましたが、合憎あいにくと想起おもいおこすは十二の時、庭で父から問いつめられた事で、彼あれを想おもい、これを思えば、最早もはや自分の身の秘密を疑がうことは出来ないのです。

 懊悩おうのうの中うちに神田の法律学校に通って三月も経たちましたろうか。僕は今日こそ父に向い、断然此方こっちから言い出して秘密の有無うむを訊ただそうと決心し、学校から日の暮方に帰って夜食を済ますや、父の居間にゆきました。父はランプの下もとで手紙を認したためて居いましたが、僕を見て、『何なんぞ用か』と問い、やはり筆を執とって居ます。僕は父の脇わきの火鉢ひばちの傍そばに座って、暫しばらく黙って居ましたが、此この時降りかけて居た空が愈々いよいよ時雨しぐれて来たと見え、廂ひさしを打つ霰みぞれの音がパラ〳〵聞えました。父は筆を擱おいて徐やおら此方こちらに向き、

『何ぞ用でもあるか、』と優やさしく問いました。

『少し訊たずねたいことが有りますので、』と僅わずかに口を切るや、父は早くも様子を見て取ったか

『何じゃ。』と厳おごそかに膝ひざを進めました。

『父様とうさま、私は真実ほんとに父様の児こなのでしょうか。』と兼かねて思い定めて置いた通り、単刀直入に問いました。

『何じゃと』と父の一言、其その眼光の鋭さ! けれども直すぐ父は顔を柔やわらげて、

『何故なぜお前はそんなことを私に聞くのじゃ、何か私わし共がお前に親らしくないことでもして、それでそういうのか。』

『そういう訳では御座いませんが、私には昔から如何どういう者か此この疑うたがいがあるので、始終胸を痛めて居おるので御座ます、知らして益のない秘密だから父上おとうさまも黙ってお居でになるのでしょうけれど、私は是非それが知りたいので御座います。』と僕は静に、決然と言い放ちました。

 父は暫時しばらく腕組をして考えて居ましたが、徐おもむろに顔を上げて、

『お前が疑がって居ることも私わしは知って居たのじゃ。私の方から言うた方がと思ったことも此頃ある。それで最早もはやお前から聞きかれて見ると猶なお言うて了しまうが可ええから言うことに仕よう。』とそれから父は長々と物語りました。

 けれども父の知らして呉くれた事実はこれだけなのです。周防すおう山口の地方裁判所に父が奉職して居いた時分、馬場金之助ばばきんのすけという碁客ごかくが居て、父と非常に懇親を結び、常に兄弟の如ごとく往来して居たそうです。その馬場という人物は一種非凡な処ところがあって、碁以外に父は其その人物を尊敬して居たということです。その一子が則すなわち僕であったのです。

 父は其頃三十八、母は三十四で最早もはや子は出来ないものと諦あきらめて居ると、馬場が病で没し、其妻も間もなく夫の後を襲おそうて此この世を去り、残ったのは二歳ふたつになる男の子、これ幸さいわいと父が引取って自分の児ことし養ったので、父からいうと半分は孤児を救う義侠ぎきょうでしたろう。

 僕の生うみの父母は未まだ年が若く、父は三十二、母は二十五であったそうです。けれども母の籍が未だ馬場の籍に入らん内に僕が生れ、其為ためでしょう、僕の出産届が未だ仕てなかったので、大塚の父は僕を引取るや直ただちに自分の子として届けたのだそうです。

 以上の事を話して大塚の父のいうには、

『其その後ご私わしは間もなく山口を去ったから、お前を私の実子でないと知るものは多くないのじゃ。私達夫婦は飽あくまで実子の積つもりでこれまで育てて来たのじゃ。この先も同じことだからお前も決して癖見根生ひがみこんじょうを起さず、何処どこまでも私達を父母と思って老先おいさきを見届けて呉れ。秀輔ひですけは実子じゃがお前のことは決して知らさんから、お前も真実の兄となって生涯彼あれの力ともなって呉れ。』と、老おいの眼めに涙を見るより先に僕は最早もう泣いて居たのです。

 其処そこで養父と僕とは此等これらの秘密を飽あくまで人に洩もらさぬ約束をし、又また僕が此この先何かの用事で山口にゆくとも、たゞ他所よそながら父母の墓に詣もうで、決して公けにはせぬということを僕は養父に約しました。

 其その後ごの月日は以前よりも却かえって穏おだやかに過すぎたのです。養父も秘密を明けて却かえって安心した様子、僕も養父母の高恩を思うにつけて、心を傾けて敬愛するようになり、勉学をも励むようになりました。

 そして一日も早く独立の生活を営み得るようになり、自分は大塚の家から別れ、義弟の秀輔に家督かとくを譲りたいものと深く心に決する処ところがあったのです。

 三年の月日は忽たちまち逝ゆき、僕は首尾よく学校を卒業しましたが、猶なお養父の言葉に従い、一年間更に勉強して、さて弁護士の試験を受けました処ところ、意外の上首尾、養父も大よろこびで早速其友なる井上博士の法律事務所に周旋しゅうせんして呉くれました。

 兎とも角かくも一人前いちにんまえの弁護士となって日々京橋区きょうばしくなる事務所に通うて居いましたが、若もし彼あのまゝで今日になったら、養父も其目的通りに僕を始末し、僕も平穏な月日を送って益々ますます前途の幸福を楽たのしんで居たでしょう。

 けれども、僕は如何どうしても悪運の児こであったのです。殆ほとんど何人なんびとも想像することの出来ない陥穽おとしあなが僕の前に出来て居て、悪運の鬼は惨刻ざんこくにも僕を突き落しました。


      五


 井上博士は横浜にも一ヶ所事務所を持もって居ましたが、僕は二十五の春、此この事務所に詰めることとなり、名は井上の部下であっても其その実は僕が独立でやるのと同じことでした。年齢としの割合には早い立身と云いっても可よいだろうと思います。

 処ところが横浜に高橋という雑貨商があって、随分盛大にやって居ましたが、其主人あるじは女で名は梅うめ、所天つれあいは二三年前に亡なくなって一人娘ひとりむすめの里子さとこというを相手に、先まず贅沢ぜいたくな暮くらしを仕して居たのです。

 訴訟用から僕は此家に出入することとなり、僕と里子は恋仲になりました、手短に言いますが、半年経たたぬうちに二人ふたりは離れることの出来ないほど、逆のぼせ上げたのです。

 そして其その結果は井上博士が媒酌ばいしゃくとなり、遂ついに僕は大塚の家を隠居し高橋の養子となりました。

 僕の口から言うも変ですが、里子は美人というほどでなくとも随分人目を引く程の容色きりょうで、丸顔の愛嬌あいきょうのある女です。そして遠慮なくいいますが全く僕を愛して呉くれます、けれども此この愛は却かえって今では僕を苦しめる一大要素になって居るので、若もし里子が斯かくまでに僕を愛し、僕が又た斯こうまで里子を愛しないならば、僕はこれほどまでに苦しみは仕ないのです。

 養母の梅は今五十歳ですが、見た処ところ、四十位にしか見えず、小柄の女で美人の相を供そなえ、なか〳〵立派な婦人です。そして情の烈はげしい正直な人柄といえば、智慧ちえの方はやゝ薄いということは直すぐ解わかるでしょう。快活で能よく笑い能よく語りますが、如何どうかすると恐しい程沈欝な顔をして、半日何人なんびととも口を交まじえないことがあります。僕は養子とならぬ以前から此この人柄に気をつけて居いましたが、里子と結婚して高橋の家うちに寝起することとなりて間もなく、妙なことを発見したのです。

 それは夜の九時頃になると、養母は其その居間に籠こもって了しまい、不動明王を一心不乱に拝むことで、口に何ごとか念じつゝ床の間にかけた火炎の像の前に礼拝して十時となり十一時となり、時には夜半過よなかすぎに及ぶのです、居間の中うち、沈欝ふさいで居た晩は殊ことにこれが激しいようでした。

 僕も始めは黙って居ましたが、余り妙なので或日あるひこのことを里子に訊たずねると、里子は手を振って声を潜ひそめ、『黙って居らっしゃいよ。あれは二年前から初めたので、あのことを母に話すと母は大変気嫌きげんを悪くしますから、成るべく知らん顔して居たほうが可いいんですよ。御覧なさい全然まるで狂気きちがいでしょう。』と別に気にもかけぬ様なので、僕も強しいては問いもしなかったのです。

 けれども其その後ご一月もして或日あるひ、僕は事務所から帰り、夜食を終て雑談して居いると、養母は突然、

『怨霊おんりょうというものは何年経たっても消えないものだろうか。』と問いました。すると里子は平気で、

『怨霊なんて有るもんじゃアないわ。』と一言で打消そうとすると、母は向むきになって、

『生意気を言いなさんな。お前見たことはあるまい。だからそんなことを言うのだ。』

『そんなら母上おっかさんは見て?』

『見ましたとも。』

『オヤそう、如何どんな顔をして居て? 私も見たいものだ。』と里子は何処どこまでも冷かしてかゝった。すると母は凄すごいほど顔色を変えて、

『お前怨霊おんりょうが見たいの、怨霊が見たいの。真実ほんとに生意気なこというよ此この人ひとは!』と言い放ち、つッと起たって自分の部屋に引込ひっこんで了しまった。僕は思わず、

『母上おっかさん如何どうか仕て居なさるよ、気を附けんと……』

 里子は不安心な顔をして、

『私真実ほんとに気味が悪いわ。母上おっかさんは必定きっと何にか妙なことを思って居るのですよ。』

『ちっと神経を痛めて居なさるようだね。』と僕も言いましたが、さて翌日になると別に変ったことはないのです。変って居るのは唯々ただ何時いつもの通り夜になると不動様を拝むことだけで、僕等ぼくらもこれは最早もはや見慣れて居るから強しいて気にもかゝりませんでした。

 処ところが今歳ことしの五月です、僕は何時いつもよりか二時間も早く事務所を退ひいて家へ帰りますと、其その日ひは曇って居たので家の中は薄暗い中うちにも母の室へやは殊ことに暗いのです。母に少し用事があったので別に案内もせず襖ふすまを開あけて中に入ると母は火鉢ひばちの傍そばにぽつねんと座って居いましたが、僕の顔を見るや、

『ア、ア、アッ、アッ!』と叫んで突起つったったかと思うと、又尻餅しりもちを舂ついて熟じっと僕を見た時の顔色! 僕は母が気絶したのかと喫驚びっくりして傍そばに駈寄かけよりました。

『如何どうしました、如何しました』と叫さけんだ僕の声を聞いて母は僅わずかに座り直し、

『お前だったか、私は、私は……』と胸を撫さすって居ましたが、其その間あいだも不思議そうに僕の顔を見て居たのです。僕は驚ろいて、

『母上おっかさん如何どうなさいました。』と聞くと、

『お前が出抜だしぬけに入って来たので、私は誰だれかと思った。おゝ喫驚びっくりした。』と直すぐ床を敷しかして休んで了しまいました。

 此この事ことの有った後は母の神経に益々ますます異常を起し、不動明王を拝むばかりでなく、僕などは名も知らぬ神符おふだを幾枚となく何処どこからか貰もらって来て、自分の居間の所々しょしょに貼はりつけたものです。そして更に妙なのは、これまで自分だけで勝手に信じて居たのが、僕を見て驚ろいた後は、僕に向っても不動を信じろというので、僕が何故なぜ信じなければならぬかと聞くと、

『たゞ黙って信じてお呉くれ。それでないと私が心細い。』

『母上おっかさんの気が安まるのなら信仰も仕ましょうが、それなら私よりもお里の方が可いいでしょう。』

『お里では不可いけません。彼あれには関係のないことだから。』

『それでは私には関係があるのですか。』

『まアそんなことを言わないで信仰してお呉れ、後生だから。』という母の言葉を里子も傍そばで聞て居ましたが、呆あきれて、

『妙ねえ母上おっかさん、不動様が如何どうして母上おっかさんと信造さんとには関係があって私には無いのでしょう。』

『だから私が頼むのじゃアありませんか、理由わけが言われる位なら頼たのみはしません。』

『だって無理だわ、信造さんに不動様を信仰しろなんて、今時の人にそんなことを勧すすめたって……』

『そんなら頼みません!』と母は怒って了しまったので、僕は言葉を柔げ、

『イヤ私だって不動様を信じないとは限りません。だから母上おっかさんまア其その理由いわれを話て下さいな。如何どんなことか知りませんが、親子の間だから少すこしも明あかされないようなことは無いでしょう。』と求めました。これは母の言う処ところに由よって迷信を圧おさえ神経を静める方法もあろうかと思ったからです。すると母は暫しばらく考えて居いましたが、吐息といきをして声を潜ひそめ、

『これ限ぎりの話だよ、誰たれにも知しらしてはなりませんよ。私が未まだ若い時分、お里の父上おとうさまに縁えんづかない前に或ある男に言い寄られて執着しゅうねく追い廻まわされたのだよ。けれども私は如何どうしても其男の心に従わなかったの。そうすると其男が病気になって死ぬ間際に大変私を怨うらんで色々なことを言ったそうです。それで私も可いい心持こころもちは仕しなかったが、此こ処こへ縁づいてからは別に気にもせんで暮して居ました。ところが所天つれあいが死なくなってからというものは、其その男の怨霊おんりょうが如何どうかすると現われて、可怖こわい顔をして私を睨にらみ、今にも私を取殺とりころそうとするのです。それで私が不動様を一心に念ずると其怨霊がだん〳〵消きえて無なくなります。それにね、』と、母は一増ひとしお声を潜め『この頃ごろは其怨霊が信造に取ついたらしいよ。』

『まア嫌いやな!』里子は眉まゆを顰ひそめました。

『だってね、如何どうかすると信造の顔が私には怨霊そっくりに見えるのよ。』

 それで僕に不動様を信じろと勧めるのです。けれども僕にはそんな真似まねは出来ないから、里子と共に色々と怨霊などいうものの有るべきでないことを説いたけれど無益でした。母は堅く信じて疑がわないので、僕等も持余もてあまし、此この鎌倉へでも来て居て精神を静めたらと、無理に勧めて遂ついに此こ処この別荘に入いれたのは今年の五月のことです。」


      六


 高橋信造は此こ処こまで話して来て忽たちまち頭かしらをあげ、西に傾く日影を愁然しゅうぜんと見送って苦悩に堪たえぬ様であったが、手早く杯さかずきをあげて一杯飲み干し、

「この先を詳しく話す勇気は僕にありません。事実を露骨に手短に話しますから、其それ以上は貴様あなたの推察を願うだけです。

 高橋梅たかはしうめ、則すなわち僕の養母は僕の真実の母、生うみの母であったのです。妻さいの里子さとこは父を異ことにした僕の妹であったのです。如何どうです、これが奇あやしい運命でなくて何としましょう。斯かくの如ごときをも源因結果の理法といえばそれまでです。けれども、かゝる理法の下に知らず〳〵此この身みを置おかれた僕から言えば、此天地間にかゝる惨刻ざんこくなる理法すら行なわるゝを恨みます。

 先まず如何どうして此等これらの事実が僕に知れたか、其その手続を簡単に言えば、母が鎌倉に来てから一月後ひとつきのち、僕は訴訟用で長崎にゆくこととなり、其途中山口、広島などへ立寄る心組で居いましたから、見舞かた〴〵鎌倉へ来て母に此この事を話しますと、母は眼めの色を変かえて、山口などへ寄るなと言います。けれども僕の心には生うみの父母の墓に参る積つもりがありますから、母には可よい加減に言って置いて、遂ついに山口に寄ったのです。

 兼かねて大塚の父から聞いて居たから寺は直すぐ分りました。けれども僕は馬場金之助ばばきんのすけの墓のみ見出して、死しんだと聞きいた母の墓を見ないので、不審に思って老僧に遇あい、右の事を訊たずねました。尤もっとも唯ただ所縁ゆかりのものとのみ、僕の身の上は打明けないのです。

 すると老僧は馬場金之助の妻お信のぶの墓のあるべき筈はずはない。彼あの女は金之助の病中に、碁の弟子で、町の豪商某なにがしの弟と怪しい仲になり、金之助の病気は其その為ため更に重くなったのを気の毒とも思ず、遂ついに乳飲児ちのみごを置去りにして駈落かけおちして了しまったのだと話しました。

 老僧は猶なおも父が病中母を罵ののしったこと、死際しにぎわに大塚剛蔵に其一子いっしを托したことまで語りました。

 其お信が高橋梅であるということは、誰だれも知らないのです。僕も証拠は持もって居いません。けれども老僧がお信のことを語る中に早くも僕は今の養母が則すなわちそれであることを確信したのです。

 僕は山口で直すぐ死んで了おうかと思いました。彼あの時、実に彼の時、僕が思い切きって自殺して了ったら、寧むしろ僕は幸さいわいであったのです。

 けれども僕は帰って来ました。一ひとつは何とかして確たしかな証拠を得たいため、一は里子に引寄せられたのです。里子は兎とも角かくも妹ですから、僕の結婚の不倫であることは言うまでもないが、僕は妹として里子を考えることは如何どうしても出来ないのです。

 人の心ほど不思議なものはありません。不倫という言葉は愛という事実には勝てないのです。僕と里子の愛が却かえって僕を苦しめると先程言ったのは此この事です。

 僕は里子を擁ようして泣きました。幾度も泣きました。僕も亦また母と同じく物狂ものぐるおしくなりました、憐あわれなるは里子です。総すべての事が里子には怪しき謎なぞで、彼はたゞ惑まどいに惑うばかり、遂ついには母と同じく怨霊おんりょうを信ずるようになり、今も横浜の宅で母と共に不動明王に祈念を凝こらして居るのです。里子は怨霊の本体を知らず、たゞ母も僕も此怨霊に苦しめられて居るものと信じ、祈念の誠を以もって母と所天おっとを救すくおうとして居るのです。

 僕は成るべく母を見ないようにして居ます。母も僕に遇あうことを好みません。母の眼めには成程僕が怨霊の顔と同じく見えるでしょうよ。僕は怨霊の児こですもの!

 僕には母を母として愛さなければならん筈はずです、然しかし僕は母が僕の父を瀕死ひんしの際きわに捨て、僕を瀕死の父の病床に捨てて、密夫みっぷと走ったことを思うと、言うべからざる怨恨えんこんの情が起るのです。僕の耳には亡父なきちちの怒罵どばの声が聞こえるのです。僕の眼めには疲れ果はてた身体からだを起して、何も知らない無心の子を擁いだき、男泣きに泣き給たもうた様が見えるのです。そして此この声を聞き此様さまを見る僕には実に怨霊の気が乗移のりうつるのです。

 夕暮の空ほの暗い時に、柱に靠もたれて居いた僕が突然、眼まなこを張り呼吸いきを凝こらして天の一方を睨にらむ様を見た者は母でなくとも逃げ出すでしょう。母ならば気絶するでしょう。

 けれども僕は里子のことを思うと、恨うらみも怒いかりも消えて、たゞ限りなき悲哀かなしみに沈み、この悲哀の底には愛と絶望が戦うて居るのです。

 処ところが此この九月でした、僕は余りの苦悩くるしさに平常殆ほとんど酒杯さかずきを手にせぬ僕が、里子の止とめるのも聴きかず飲めるだけ飲み、居間の中央に大の字になって居ると、何なんと思ったか、母が突然鎌倉から帰って来て里子だけを其その居間に呼びつけました。そして僕は酔って居ながらも直すぐ其理由わけの尋常でないことを悟ったのです。

 一時間ばかり経たつと里子は眼を泣き膨はらして僕の居間に帰て来ましたから、『如何どうしたのだ。』と聞くと里子は僕の傍そばに突伏つっぷして泣きだしました。

『母上おっかさんが僕を離婚すると云いったのだろう。』と僕は思わず怒鳴りました。すると里子は狼狽あわてて、

『だからね、母が何と言っても所天あなた決して気にしないで下さいな。気狂きちがいだと思って投擲うっちゃって置いて下さいな、ね、後生ですから。』と泣声を振わして言いますから、『そういうことなら投擲うっちゃって置く訳に行かない。』と僕はいきなり母の居間に突入しました。里子は止める間ひまもなかったので僕に続いて部屋に入ったのです。僕は母の前に座るや、

『貴女あなたは私を離婚すると里子に言ったそうですが、其その理由わけを聞きましょう。離婚するなら仕ても私は平気です。或あるいは寧むしろ私の望む処ところで御座います。けれども理由わけを被仰おっしゃい、是非其その理由を聞きましょう。』と酔よいに任まかせて詰寄つめよりました。すると母は僕の剣幕の余り鋭いので喫驚びっくりして僕の顔を見て居いるばかり、一言も発しません。

『サア理由わけを聞きましょう。怨霊おんりょうが私に乗移って居るから気味が悪いというのでしょう。それは気味が悪いでしょうよ。私は怨霊の児こですもの。』と言い放はなちました、見る〳〵母の顔色は変り、物をも言わず部屋へやの外へ駈かけ出て了しまいました。

 僕は其まゝ母の居間に寝て了ったのです。眼めが覚さめるや酒の酔も醒さめ、頭の上には里子が心配そうに僕の顔を見て坐すわって居ました。母は直すぐ鎌倉に引返したのでした。

 其その後ご僕と母とは会わないのです。僕は母に交かわって此方こちらに来て、母は今、横浜の宅に居ますが、里子は両方を交かわる〴〵介抱して、二人ふたりの不幸をば一人ひとりで正直に解釈し、たゞ〳〵怨霊おんりょうの業わざとのみ信じて、二人の胸の中うちの真まことの苦悩くるしみを全然まるきり知らないのです。

 僕は酒を飲むことを里子からも医師からも禁じられて居ます。けれども如何どうでしょう。此このような目に遇あって居る僕がブランデイの隠飲かくしのみをやるのは、果はたして無理でしょうか。

 今や僕の力は全く悪運の鬼に挫ひしがれて了いました。自殺の力もなく、自滅を待つほどの意久地いくじのないものと成り果はてて居るのです。

 如何どうでしょう、以上ザッと話しました僕の今日までの生涯の経過を考がえて見て、僕の心持になって貰もらいたいものです。これが唯ただ源因結果の理法に過すぎないと数学の式に対するような冷かな心持で居いられるものでしょうか。生うみの母は父の仇あだです、最愛の妻は兄妹きょうだいです。これが冷かなる事実です。そして僕の運命です。

 若もし此この運命から僕を救い得る人があるなら、僕は謹つつしんで教おしえを奉じます。其その人は僕の救主すくいぬしです。」


      七


 自分は一言を交えないで以上の物語を聞いた。聞き終って暫しばらくは一言も発し得なかった。成程悲惨なる境遇に陥った人であるとツク〴〵気の毒に思ったのである。けれども止やむなくんばと、

「断然離婚なさったら如何どうです。」

「それは新らしき事実を作るばかりです。既に在る事実は其為ために消えません。」

「けれども其それは止やむを得ないでしょう。」

「だから運命です。離婚した処ところで生うみの母が父の仇あだである事実は消きえません。離婚した処ところで妹を妻として愛する僕の愛は変りません。人の力を以もって過去の事実を消すことの出来ない限り、人は到底運命の力より脱のがるゝことは出来ないでしょう。」

 自分は握手して、黙礼して、此この不幸なる青年紳士と別れた、日は既に落ちて余光華かに夕ゆうべの雲を染め、顧れば我運命論者は淋さびしき砂山の頂に立って沖を遙はるかに眺ながめて居た。

 其その後自分は此男に遇あわないのである。

底本:「日本の文学6 武蔵野・春の鳥」ほるぷ出版

   1985(昭和60)年8月1日初版第1刷発行

底本の親本:「運命」左久良書房

   1906(明治39)年3月18日発行

      「國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社

   1964(昭和39)年10月30日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※疑問点の確認にあたっては、「國木田獨歩全集 第三卷」1964(昭和39)年10月30日発行を参照しました。

入力:Mt.fuji

校正:福地博文

1999年5月13日公開

2004年6月28日修正

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