矢はずぐさ
永井荷風



一


『矢筈草やはずぐさ』と題しておもひ出いづるままにおのが身の古疵ふるきずかたり出いでて筆とる家業なりわいの責せめふさがばや。


二


 さる頃も或人の戯たわむれにわれを捉へて詰なじりたまひけるは今の世に小説家といふものほど仕合しあわせなるはなし。昼の日中ひなかも誰たれ憚はばかるおそれもなく茶屋小屋ちゃやこやに出入りして女に戯れ遊ぶこと、これのみにても堅気かたぎの若きものの目には羨うらやましきかぎりなるべきに、世の常のものなれば強しひても包みかくすべき身の恥身の不始末、乱行狼藉らんぎょうろうぜき勝手次第のたはけをば尾に鰭ひれ添へて大袈裟おおげさにかき立つれば世の人これを読みて打興うちきょうじ遂にはほめたたへて先生と敬うやまふ。実げにや人倫五常の道に背そむきてかへつて世に迎へられ人に敬はるる卿けいらが渡世たつきこそ目出度めでたけれ。かく戯れたまひし人もし深き心ありてのことならんか。この『矢筈草』目にせば遂にはまことに憤いきどおりたまふべし。『矢筈草』とは過すぎつる年わが大久保おおくぼの家いえにありける八重やえといふ妓ぎの事を記しるすものなれば。

 八重その頃は家いえの妻となり朝餉あさげ夕餉ゆうげの仕度はおろか、聊いささかの暇いとまあればわが心付こころづかざる中うちに机の塵ちりを払ひ硯すずりを清め筆を洗ひ、あるいは蘭の鉢物はちものの虫を取り、あるいは古書の綴糸とじいとの切れしをつくろふなど、余所よその見る目もいと殊勝しゅしょうに立働たちはたらきてゐたりしが、故ゆえあつて再び身を新橋しんばしの教坊きょうぼうに置き藤間某ふじまなにがしと名乗りて児女じじょに歌舞かぶを教おしゆ。浄瑠璃じょうるりの言葉に琴三味線の指南しなんして「後家ごげの操みさおも立つ月日」と。八重かくてその身の晩節ばんせつを全まっとうせんとするの心か。我不レ知われしらず。


三


 そもそも小説家のおのれが身の上にかかはる事どもそのままに書綴かきつづりて一篇の物語となすこと西洋にては十九世紀の始はじめつ方かたより漸ようやく世に行はれ、ロマンペルソネルなどと称となへられて今にすたれず。即ちゲーテが作『若きウェルテルの愁うれい』、シャトオブリヤンが作『ルネエ』の類たぐいなり。わが国にては紅葉山人こうようさんじんが『青葡萄あおぶどう』なぞをやその権輿けんよとすべきか。近き頃森田草平もりたそうへいが『煤煙ばいえん』小粟風葉おぐりふうようが『耽溺たんでき』なぞ殊の外世に迎へられしよりこの体ていを取れる名篇佳什かじゅう漸く数ふるに遑いとまなからんとす。わけても最近の『文芸倶楽部ぶんげいクラブ』大正四年
十一月号
に出でし江見水蔭えみすいいんが『水さび』と題せし一篇の如き我身には取分けて興きょう深し。されば我今更となりて八重にかかはる我身のことを種たねとして長き一篇の小説を編あみ出いださん事かへつてたやすき業わざならず。小説を綴らんには是非にも篇中人物の性格を究きわめ物語の筋道もあらかじめは定め置く要あり。かかる苦心は近頃病やまい多く気力乏しきわが身の堪たふる処ならねば、むしろ随筆の気儘なる体裁ていさいをかるに如しかじとてかくは取留とりとめもなく書出かきいだしたり。小説たるも随筆たるも旨むねとする処は男女だんじょの仲のいきさつを写すなり。客と芸者の悶着を語るなり。亭主と女房の喧嘩犬も喰くはぬ話をするなり。犬は喰はねど煩悩ぼんのうの何とやら血気けっきの方々これを読みたまひてその人もし殿方とのがたならばお客となりて芸者を見ん時、その人もし芸者衆げいしゃしゅならばお座敷かかりてお客の前に出いでん時、前車ぜんしゃの覆轍ふくてつ以てそれぞれ身の用心ともなしたまはばこの一篇の『矢筈草』豈あに徒いたずらに男女の痴情ちじょうを種とする売文とのみ蔑さげすむを得んや。


四


 矢筈草は俗に現げんの証拠しょうこといふ薬草なること、江戸の人山崎美成やまざきよししげが『海録かいろく』といふ随筆第五巻目に見えたり。曰く、「矢筈草俗に現の証拠といふこの草をとりみそ汁にて食する時は痢病りびょうに甚はなはだ妙なり又瘧病おこり及び疫病等えきびょうなどにも甚効こうあり云々うんぬん」。

 この草また御輿草みこしぐさと呼ぶ。萩はぎの家や先生が辞典『ことばのいづみ』を見るに、「げんのしようこ牻牛児ぼうぎゅうじ。植物。草の名。野生やせいにして葉は五つに分れ鋸歯のこぎりばの如き刻きざみありて長さ一寸すんばかり、対生たいせいす。夏のころ梅の如き淡紅たんこうの花を開き後のち莢みをむすび熟するときは裂さけて御輿みこしのわらびでの如く巻きあがる。茎も葉も痢病の妙薬なりといふ。みこしぐさ。」とあり。我われこの草のことをば八重より聞きて始めて知りしなり。八重その頃明治四十
三、四年
新橋しんばしの旗亭花月きていかげつの裏手に巴家ともえやといふ看板かかげて左褄ひだりづまとりてゐたり。好まぬ酒も家業なれば是非もなく呑過して腹いたむる折々日本橋通一丁目反魂丹はんごんたん売る老舗しにせその名失
念したり
に人を遣つかわして矢筈草購あがなはせ土瓶どびんに煎せんじて茶の代りに呑みゐたりき。われ生来多病なりしかどその頃は腹痛む事稀なりしかば八重が頻しきりにかの草の効験ききめあること語出かたりいでても更に心に留とむる事もなくて打過うちすぎぬ。然しかるをそれより三、四年にして一夜いちや激しき痢病に襲はれ一時いちじは快こころよくなりしかど春より夏秋より冬にと時候の変り目に雨多く降る頃ともなれば必ず腹痛み出いで鬱ふさぎがちとはなりにけり。かつては寒夜客来テ茶当ツレ酒ニ竹罏湯沸テ火初メテ紅ナリ〔寒夜かんやに客きゃく来きたりて茶を酒に当あつ 竹罏ちくろに湯ゆ沸わきて火ひ初はじめて紅くれないなり〕といへる杜小山としょうざんが絶句ぜっくなぞ口ずさみて殊更煎茶せんちゃのにがきを好みし朱泥しゅでいの茶缾さへい、今は矢筈草押込みて煎じつめ夜よごと眠ねむりにつく時持薬じやくにする身とはなり果てけり。

 八重近頃は身もいとすこやかになりしと聞く。さらば今は矢筈草も用なきこそ目出度けれ。


五


 およそ人の一生血気の盛さかりを過ぎて、その身はさまざまの病やまいに冒おかされその心はくさぐさの思おもいに悩みて今日は咋日にまして日一日と老い衰へ行くを、時折物にふれては身にしみじみと思知るほど情なきはなし。

 宿昔青雲ノ志、蹉跎ス白髪ノ年、誰カ知ル明鏡裏、形影自ラ相憐ム〔宿昔しゅくせき 青雲せいうんの志こころざし。蹉跎さたす 白髪はくはつの年とし。誰か知る明鏡めいきょうの裏うち。形影けいえい自みずから相あい憐あわれむ〕とはこれ人口に膾炙かいしゃする唐詩なり。鏡に照して白髪に驚くさまは仏蘭西フランスの小説家モオパサンが『終局フィニイ』といふ短篇にも書綴かきつづられたり。

 われ髪はついまだ白からず。しかも既にわれながら老いたりと感ずること昨日今日のことにはあらず。父を喪うしなひてその一週忌も過ぎける翌年よくねんの夏の初、突然烈しき痢病りびょうに冒され半月あまり枕につきぬ。元来酒を嗜たしなまざれば従つて日頃悪食あくじきせし覚えもなし。強しひて罪を他に負はしむれば慶応義塾けいおうぎじゅくにて取寄する弁当の洋食にあてられしがためともいはんか。そも三田みたの校内にては奢侈しゃしの風をいましめんとて校内に取寄すべき弁当にはいづれもきびしく代価を制限したり。されば料理の材料おのづから粗悪となりてこれを食くらへば終日ひねもす胸苦むなぐるしきを覚ゆ。紅がらにて染めたるジャム鬢付びんつけのやうなるバタなんぞ見る折々いつも気味わるしと思ひながら雨降る日なぞはつい門外の三田通みたどおりまで出いで行くに懶ものうく、その日も何心なにごころなく一皿の中うち少しばかり食べしがやがて二日目の暁方あけがた突然腸はらわた搾しぼらるるが如き痛いたみに目ざむるや、それよりは夜よの明放あけはなるるころまで幾度いくたびとなく廁かわやに走りき。

 その頃わが住める家いえはいと広かりき。われは二階なる南の六畳に机を置き北の八畳を客間、梯子段はしごだんに臨のぞむ西向の三畳を寝間ねまと定さだめければ、幾度となき昇降あがりおりに疲れ果て両手にて痛む下腹したはら押へながらもいつしかうとうととまどろみぬ。目覚めさむれば早はや午ごに近し。召使ふものの知らせにて離れの一間ひとまに住み給ひける母上捨て置きてはよろしからずと直様すぐさま医師を呼迎よびむかへられけり。われは心窃ひそかに赤痢せきりに感染せしなるべしと思ひ付くや人の話にてこの病の苦しさを知り心は戦々兢々せんせんきょうきょうたり。幸にして医師の診断によればわが病はかかる恐しきものにてはなかりしかど、昼夜ちゅうや絶たゆる間ひまなく蒟蒻こんにゃくにて腹をあたためよ。肉汁ソップとおも湯の外ほかは何物も食くらふべからず。毎朝まいちょう不浄ふじょうのもの検査すべければ薬局に送り届けよなぞ、医師はおごそかにいひ置きて帰り行きぬ。わが家やには父いませし頃より二十年あまりも召使ふ老婆あり。このもの医師の命ぜし如く早速蒟蒻あたためて持来もちきたりしかばそれをば下腹におし当てて再びうとうとと眠りき。

 南向の小窓に雀の子の母鳥呼ぶ声頻しきりなり。梯子段に誰たれやら昇り来きたる足音聞付け目覚めさむれば老婆の蒟蒻取換へに来きたりしにはあらで、唐桟縞とうざんじまのお召めしの半纏はんてんに襟付えりつきの袷あわせ前掛まえかけ締めたる八重なりけり。根下ねさがりの丸髷まるまげ思ふさま髱後たぼうしろに突出つきいだし前髪まえがみを短く切りて額ひたいの上に垂たらしたり。こは過すぐる日八重わが書斎に来きたりける折書棚の草双紙くさぞうし絵本えほんの類たぐい取卸とりおろして見せける中なかに豊国とよくにが絵本『時勢粧いまようすがた』に「それ者しゃ」とことわり書したる女の前髪切りて黄楊つげの横櫛よこぐしさしたる姿の仇あだなる、今時の芸者もかうありたしとわれの戯たわむれにいひけるを、何事も気早きばやの八重、机の上にありける西洋鋏せいようばさみ手に取るより早く前髪ぷツつり切落し、鏡よ鏡よとて喜びさわぎしその名残なごりなりかし。

 八重その年二月の頃よりリウマチスにかかりて舞ふ事叶かなはずなりしかば一時ひとしきり山下町やましたちょうの妓家ぎかをたたみ心静に養生せんとて殊更山の手の辺鄙へんぴを選び四谷荒木町よつやあらきちょうに隠れ住みけるなり。わが家やとは市いちヶ谷や谷町たにまちの窪地くぼちを隔てしのみなれば日ごと二階なるわが書斎に来りてそこらに積載つみのせたる新古の小説雑書のたぐひ何くれとなく読みあさりぬ。彼女元もと北地ほくちの産。年十三にして既に名をその地の教坊きょうぼうに留とどめき。生来文墨ぶんぼくの戯を愛しよく風流を解せり。読書とくしょに倦うめば後庭こうていに出いで菜圃さいほを歩み、花を摘つみて我机上わがきじょうを飾る。今わが家蔵かぞうの古書法帖ほうじょうのたぐひその破れし表紙切れし綴糸とじいとの大方おおかたは見事に取つぐなはれたる、皆その頃八重が心づくしの形見ぞかし。八重かくの如く日ごとわが家やに来りて夕暮近くなる時は、われと共に連れ立ちて芝口しばぐちの哥沢芝加津うたざわしばかつといふ師匠の許もとまで端唄はうたならひに行くを常としたり。

 前の夜よも哥沢節の稽古に出でて初夜しょや過すぐる頃四ツ谷宇うの丸まる横町よこちょうの角かどにて別れたり。さればわが病臥やみふすとは夢にも知らず、八重は襖ふすま引明ひきあけて始めて打驚うちおどろきたるさまなり。


六


 八重申しけるはわが身かつて伊香保いかほに遊びし頃谷間の小流こながれ掬くみ取りて山道の渇かわきをいやせし故ゆえか図はからず痢病りびょうに襲はれて命も危あやうき目に逢あひたる事あり。その後ごは幾年月いくとしつき人の酒興しゅきょうを助くる家業なりわいの哀れはかなき、その身の害とは知りながら客の勧むる盃さかずきはいなまれず、家いえに帰らば今宵こよいもまた苦しみ明あかすべしと心に泣きつつも酒呑みてくらせし故腹の病やまいはよく知りたり。養生の法とても、わが身かへつて医師にまさりて明あきらかならん。医のととのへ勧むる薬は元より怠おこたり給ふな。さりながら古老の昔よりいひ伝ふるものには何事に限らず霊験れいげんある事あり。わが身いまだ妓籍ぎせきを脱せざりし頃絶えず用ひたるかの矢筈草今も四谷の家いえにあり。煎じて参らすべければ聊いささかその匂ひの悪しきを忍びたまへとて、直ただちに人を走はせて矢筈草取寄せ煎じけり。

 われ生れて煎薬せんやくといふもの呑みたるはこれが始めてなり。この薬たしかに効能あるやうに覚えければその後は風邪心地かざごこちの折とてもアンチフェブリンよりは葛根湯かっこんとう妙振出みょうふりだしなぞあがなひて煎じる事となしぬ。例へば雪みぞれの廂ひさしを打つ時なぞ田村屋好たむらやごのみの唐桟とうざんの褞袍どてらに辛からくも身の悪寒おかんを凌しのぎつつ消えかかりたる炭火すみび吹起し孤燈ことうの下もとに煎薬煮立つれば、夜気やき沈々たる書斎の中うちに薬烟やくえん漲みなぎり渡りて深ふけし夜よのさらにも深け渡りしが如き心地、何となく我身ながらも涙ぐまるるやうにてよし。


七


 八重が心づくしにて病はほどもなく癒いえけり。芍薬しゃくやくの花散りて世は早くも夏となりぬ。梅雨つゆのあくるを待ち兼ねてその年の土用どように入いるやわれは朝な朝な八重に誘いざなはれて其処そこ此こ処こと草ある処に赴おもむきかの薬草摘つむにいそがしかりけり。

 矢筈草はちよつと見たる時その葉蓬よもぎに似たり。覆盆子いちごの如くその茎くき蔓つるのやうに延びてはびこる。四谷見附よつやみつけより赤坂喰違あかさかくいちがいの土手に沢山あり。青山あおやま兵営の裏手より千駄せんだヶ谷やへ下くだる道のほとりにも露草つゆくさ車前草おおばこなぞと打交うちまじりて多く生ず。採とり来きたりてよく土を洗ひ茎もろともにほどよく刻きざみて影干かげぼしにするなり。

 われは東京市中の閑地あきち追々おいおい土木工事のために伐きり開かるべきことを憂ひて止まざるものなれば、やがては矢筈草生ずる土手もなくなるべしと思ひ、その一束ひとたばをわが家やの庭に移し植ゑぬ。われその年の秋母の許ゆるしを得て始めて八重を迎へ家いえを修めしめしが、それとても僅わずか半歳はんさいの夢なりけり。その人去りて庭の籬まがきには摘むものもなくて矢筈草徒いたずらに生おひはびこりぬ。万事傷心の種たねならざるはなし。その翌年よくねん草の芽再び萌出もえいづる頃なるを、われも一夜いちや大久保を去りて築地つきじに独棲どくせいしければかの矢筈草もその後のちはいかがなりけん。近頃新あらたに住む人ありと聞けば廃園の雑草と共に大方は刈除かりのぞかれしや知るべからず。


八


 事新らしく自然主義の理論説き出づるにも及ぶまじ。この世をよしと言ひあしと観る十人十色といろの考その人々によりて異り行くも、一つにはその人々の健康によることなり。われその身の衰行おとろえゆくを知るにつけて世をいとふの念押へがたく日に日に弥増いやまさり行くこそ是非なけれ。

 わが知れる人々の中うちにはいかにもして我国の演劇を改良なし意味ある芸術を起さんものをと家人かじんの誤解世上の誹謗ひぼうもものかは、今になほ十年の宿志しゅくしをまげざるものあり。聞くだに涙こぼるる美談ぞかし。然るにわれは早くも心こころ挫くじけてひたすら隠栖いんせいの安きを求めんとす。しかもそは取立てていふべきほどの絶望あるにもあらず将はた悲憤慷慨のためにもあらず。唯劇場の燈火とうかあまりにあかるく目を射るに堪たへざるが如き心地したるがためのみ。それに引換へて父の世より住古すみふるせし我家の内の薄暗く書斎の青燈せいとう影もおぼろに床とこの花を照すさま何事にもかへがたく覚初おぼえそめたるがためのみ。茶屋といふものなくなりて、劇場内の食堂の料理何となく気味わるき心地せられしがためのみ。雨の降る夜よなぞとぼとぼと遠道とおみちを帰り行くことの苦しくなりしがためのみ。これらのことその身すこやかなれば元もとよりいふにも足らぬことなれど、寒さを恐れて春も彼岸ひがん近くまで外出そとでの折には必ず懐炉かいろ入れ歩くほどの果敢はかなき身には、以上の事皆観劇のために払ふべき大だいなる犠牲の如くに感ぜらる。新聞屋の種取たねとりにと尋来たずねきたるに逢ひてもその身丈夫にて人の顔さへ見れば臆面おくめんなく大風呂敷おおぶろしきひろぐる勇気あらば願うてもなき自慢話の相手たるべきに、しからざる身には唯々うるさく辛つらきものとなるなり。世上の文学雑誌にわが身のことども口ぎたなく悪しざまに書立つるを見てさへ反駁はんばくの筆執とるに懶ものうきほどなれば、見当違ひの議論する人ありとて何事もただ首肯うなずくのみにてその非をあぐる勇気もなし。いはんやその誤を正さん親切気しんせつぎにおいてをや。時折遠国えんごくの見知らぬ人よりこまごまと我が拙つたなき著作の面白き節々ふしぶし書きこさるるに逢ひてもこれまたそのままに打過して厚き志こころざしを無にすること度々たびたびなり。

 心地すぐれざるも打臥うちふすほどにもあらねば病やめりとはいひがたし。病やまいなくして病あるが如き身のさまこそいぶかしけれ。下谷したやの外祖父がいそふ毅堂きどう先生の詩に小病無クレ名怯ル二暮寒ヲ一〔小病しょうびょうに名な無なく 暮寒ぼかんを怯おそる〕といはれしもかくの如き心地にや。老杜ろうとが登高とうこうの七律しちりつにも万里ノ悲秋常ニ作ナルレ客ト百年ノ多病独登ルレ台ニ〔万里ばんりの悲秋ひしゅう 常に客と作なる、百年の多病 独り台だいに登る〕の句あり。

 正月二月の寒風に吹かれて家いえに入いれば、眼くるめくばかり頭痛を催し、八月の炎天を歩み汗を拭はんとて物かげに憩いこひ風を迎ふれば凉しと思ふ間もなく、忽たちまち肌ひやひやとして気味わるき寒さを覚ゆ。冬の日はわれ人ひと共に寒きものなればさして悲しとも思はねど夏はつくづく情なき事のみなり。夕方の行水ぎょうずいにも湯ざめを恐れ、咽喉のどの渇かわきも冷きものは口に入るること能あたはざれば、これのみにても人並の交りは出来ぬなり。人にさそはれ夕凉ゆうすずみに出いづる時もわれのみは予あらかじめ夜露の肌を冒おかさん事を慮おもんばかりて気のきかぬメリヤスの襯衣シャツを着込み常に足袋たびをはく。酒楼しゅろうに上のぼりても夜よる少しく深ふけかかると見れば欄干らんかんに近き座を離れて我のみ一人葭戸よしどのかげに露持つ風を避けんとす。をちこちに夜番よばんの拍子木ひょうしぎ聞えて空には銀河の流ながれ漸く鮮あざやかならんとするになほもあつしあつしと打叫うちさけびて電気扇でんきせん正面まともに置据ゑ貸浴衣かしゆかたの襟えりひきはだけて胸毛を吹きなびかせ麦酒ビールの盃に投入るるブツカキの氷ばりばりと石を割るやうに噛砕かみくだく当代紳士の豪興ごうきょう、われこれを以て野蛮なる哉かなや没趣味なる哉やと嘆息するも誠はわが虚弱の妬ねたみに過ぎず。何事に限らずわが言ふ処生きまじめの議論と思給はば飛とんでもなき買冠かいかぶりなるべし。


九


 慶応義塾のつとめもかくては日に日に退儀たいぎとなりぬ。朝早く出掛でかけ間際まぎわに腹痛み出いづることも度々たびたびにて、それ懐中の湯婆子ゆたんぽよ懐炉かいろよ温石おんじゃくよと立騒ぐほどに、大久保より札ふだの辻つじまでの遠道とおみちとかくに出勤の時間おくれがちとはなるなり。時雨しぐれそぼふる午下ひるすぎ火の気け乏しき西洋間の教授会議または編輯へんしゅう会議も唯々わけなくつらきものの中うちに数へられぬ。何時いつの幾日いくかには遊びに行かんと親しき友より軽き約束申出もうしいでられてももしやその日に腹痛まば如何いかにせん、雨降らば出でにくからんなぞ取越苦労のみ重れば折角の興きょうもとく消えがちなるこそ悲しけれ。

 心柄こころがらとはいひながら強しひて自みずから世をせばめ人の交まじわりを断ち、家いえにのみ引籠ひきこもれば気随気儘きずいきままの空想も門外世上の声に妨げ覚さまさるる事なければ、いつとしもなくわれは誠に背も円まるく前にかがみ頭かしらに霜置く翁おきなとなりけるやうの心とはなりにけり。

 八重も女の身の既に三十路みそじを越えたり。始めのほどはリウマチスの病やまいさへ癒いえて舞ふに苦しからずなりなば再び新橋にや帰らん新に柳橋にや出でんあるひは地を選びて師匠の札ふだをや掲げんなぞ思ひ企くわだつる処さまざまなりしかども、いつか我が懶惰らんだの習ひにや馴れ染めけん、かつは日頃親しく尋来たずねきたる向島の隠居金子かねこ翁といふ老人のすすめもありてや、浮世の夢をよそに、思出多き一生を大久保の里に埋うずめ、早衰のわが身が朝夕あさゆうの世話する事とはなりぬ。そは甲寅きのえとらの年も早や秋立ち初そめし八月末の日なりけり。目出度き相談まとまりて金子翁を八重が仮の親元に市川左団次いちかわさだんじ夫妻を仲人なこうどにたのみ山谷さんやの八百屋やおやにて形かたばかりの盃事さかずきごといたしけり。金子翁名元助天保御趣意の前年江戸和蘭陀屋敷御同心の家に生るといふ清元の三絃をよくしまた宇治の太夫となりて金紫と
号す瓦解の後商となり横浜に出で産を起し濹上に有馬温泉を建つ二子あり坂東秀調はその長子藤間金之助はその次子なり
八百屋善四郎ぜんしろうが家いえはその時庭の地揚じあげ土台の根つぎなぞ致すため客をことわりてゐたりしかど金子翁かつて八百屋が先代の主人とは懇意なりける由にて事の次第を咄はなして頼みければ今の若き主人心よく承知して池に臨のぞむ下座敷したざしきを清め床の間の軸も光琳こうりんが松竹梅の三幅対さんぷくついをかけその日のみわれらがために一日いちにち商売あきないの面倒をいとはざりけり。

 この日残暑の夕陽せきよう烈しきに山谷の遠路えんろをいとはずしてわが母上も席に連つらなり給ひぬ。母は既に父在いませし頃よりわが身の八重といふ妓ぎに狎なれそめける事を知り玉ひき。去歳さるとしわが病伏やみふしける折日々にちにち看護に来きたりしより追々に言葉もかけ給ふやうになりて窃ひそかにその立居たちい振舞を見たまひけるが、癇癖かんぺき強く我儘なるわれに事つかへて何事も意にさからはぬ心立こころだての殊勝なるに加へて、殊に或日わが居間の軸を掛替かけかゆる折滬上こじょう当今とうこんの書家高邕こうようといふ人の書きける小杜しょうとが茶煙禅榻さえんぜんとうの七絶しちぜつすらすらと読下よみくだしける才識に母上このもの全く世の常の女にあらじと感じたまひてこの度たびの婚儀につきては深くその身元のあしよしを問ひたまはざりき。

 八重竹柏園ちくはくえんに遊びて和歌を学びしは久しき以前の事なり。近頃四谷に移住うつりすみてよりはふと東坡とうばが酔余の手跡しゅせきを見その飄逸ひょういつ豪邁ごうまいの筆勢を憬慕けいぼし法帖ほうじょう多く購求あがないもとめて手習てならい致しける故唐人とうじんが行草ぎょうそうの書体訳もなく読得よみえしなり。何事も日頃の心掛によるぞかし。


十


 八重家いえに来きたりてよりわれはこの世の清福限無かぎりなき身とはなりにけり。人は老おいを嘆ずるが常なり。然るにわれは俄にわかに老の楽たのしみの新なるを誇らんとす。人生の哀楽唯その人の心一ツによる。木枯こがらしさけぶ夜よすがら手摺てずれし火桶ひおけかこみて影もおぼろなる燈火とうかの下もとに煮る茶の味あじわいは紅楼こうろうの緑酒りょくしゅにのみ酔ふものの知らざる所なり。寝屋ねやの屏風太鼓張たいこばりの襖ふすまなぞ破れたるを、妻と二人して今までは互に秘置ひめおきける古き文ふみ反古ほご取出とりいだして読返しながら張りつくろふ楽しみもまた大厦高楼たいかこうろうを家とする富貴ふうきの人の窺知うかがいしるべからざる所なるべし。菊植ゆる籬まがきまたは廁かわやの窓の竹格子たけごうしなぞの損じたるを自みずから庭の竹藪より竹切来きりきたりて結びつくろふ戯たわむれもまた家を外そとなる白馬銀鞍はくばぎんあんの公子こうしたちが知る所にあらざるべし。わが物書くべき草稿の罫紙けいしは日頃暇いとまある折々われ自らバレン持ちて板木はんぎにて摺すりてゐたりしが、八重今は襷たすきがけの手先墨にまみるるをも厭いとはず幾帖いくじょうとなくこれを摺る。かかる楽しみも近頃西洋紙に万年筆走らせて議論する文士の知らざる所とやいはん。

 わが家やには亡父なきちちの遺のこし給ひし書籍盆栽文房の器具尠すくなからず。八重はわれを助けて家いえを修めんがため『林園月令りんえんげつれい』、『雅遊漫録がゆうまんろく』、『草木育種そうもくいくしゅ』、『庭造秘伝鈔にわつくりひでんしょう』、『日本家居秘用にほんかきょひよう』なぞいふ類たぐいの和漢の書取出して読みあさり、硯すずりの海の底深う巌いわのやうにこびりつきたる墨のかす洗ひ落すには如何いかにすればよき。蒔絵まきえの金銀のくもりを拭清ふききよむるには如何にせばよきや。堆朱ついしゅの盆香合こうごうなどその彫ほりの間の塵を取るには如何にすべきや。盆栽の梅は土用どようの中うちに肥料こやしやらねば来春花多からず。山百合やまゆりは花終らば根を掘りて乾ける砂の中なかに入れ置けかし。あれはかくせよ。これはかうせよと終日ひねもす襷たすきはづす暇いとまだになかりけり。

 わが父はこの上なく物堅き人なりき。然れども生前自ら選みたまひしその詩稿『来青閣集らいせいかくしゅう』といふを見れば

良辰佳会古難並 〔良よき辰ときと佳よき会かいは古いにしえより並び難し

玉手摻摻酒幾巡  玉手ぎょくしゅ摻摻さんさんとして酒さけ幾たびか巡めぐる

休道詩人無艶分  道いう休なかれ詩人しじんに艶分えんぶん無なしと

先従花国賦迎春  先まず花国かこく従より賦ふして春を迎えん

   新歳竹枝            新歳しんさい 竹枝ちくし〕


春鳥無心喚友啼 〔春鳥しゅんちょうは無心むしんに友を喚びて啼なき

蘭舟繋在水祠西  蘭舟らんしゅうは繋つながれて水祠すいしの西にしに在あり

暖波一面花三面  暖波だんぱは一面いちめん 花はなは三面さんめん

真個温柔郷此堤  真個しんこの温柔郷おんじゅうきょうなり 此この堤つつみ

   看花七絶            看花かんか 七絶しちぜつ〕

の如き艶体えんたいの詩を誦しょうし得るなり。またかつて中国に遊び給ひける時姑蘇こそ城外を過ぎて妓ぎに贈り給ひし作多きが中なかに

麗質嬌姿本絶羣 〔麗質れいしつ 嬌姿きょうし 本もとより羣ぐんを絶ぜっす

蘭房別占四時春  蘭房らんぼうは別わけても占しむ四時しじの春

相逢無語翻多恨  相あい逢あいて語ことば無なく翻かえって多恨なごりおし

桃葉桃根画裏人  桃葉とうよう 桃根とうこん 画裏がりの人ひと


如在沉香亭北看 〔沈香亭じんこうていの北きたに在ありて看みるが如ごとく

妖姿冶態正春闌  妖姿ようし 冶態やたい 正まさに春はる闌たけなわなり

多情卿是傾城種  多情たじょうの卿きみは是これ傾城けいじょうの種しゅ

不信小名呼墨蘭  信ぜず 小名しょうみょうに墨蘭ぼくらんと呼べるを〕

の如き能よくわが記憶する所なり。現に城南新橋じょうなんしんきょうの畔ほとり南鍋街なんこがいの一旗亭きていにも銀屏ぎんぺいに酔余の筆を残したまへるがあり。

 われ家いえを継ぎいくばくもなくして妓を妻とす。家名を辱はずかしむるの罪元より軽かろきにあらざれど、如何にせんこの妓心ざま素直すなおにて唯我に事つかへて過ちあらんことをのみ憂うれふるを。何事も宿世しゅくせの因縁なりかし。初手しょては唯かりそめの契ちぎりも年とし経へぬれば人にいはれぬ深きわけ重なりてまことの涙さそはるる事も出いで来きぬるなり。これらをや迷の夢と悟りし人はいふなるべし。世の誚そしり人の蔑さげすみも迷へるものは顧かえりみず。われは唯この迷ありしがためにいはゆる当世の教育なるもの受けし女学生上あがりの新夫人を迎ふる災厄を免まぬかれたり。盃さかずき持つ妓女ぎじょが繊手せんしゅは女学生が体操仕込の腕力なければ、朝夕あさゆうの掃除に主人が愛玩あいがんの什器じゅうきを損そこなはず、縁先えんさきの盆栽も裾袂すそたもとに枝引折ひきおらるる虞おそれなかりき。世の中一度いちどに二つよき事はなし。


十一


 親しき友にも八重との婚儀は改めて披露ひろうせず。祝儀しゅうぎの心配なぞかけまじとてなり。物堅き親戚一同へはわれら両人ふたりが身分を省かえりみて無論披露は遠慮致しけり。人のいやがる小説家と世の卑しむ妓女ぎじょとの野合やごう、事々しく通知致されなば親類の奥様や御嬢様方かへつて御迷惑なるべしと察したればなり。然れども世は情知らぬ人のみにはあらず。我らがこの度たびの事目出度しとて物祝ひ賜はる向むきも尠すくなからざりしかば、八重は口やかましき我が身が世話の手すきを見計みはからひて諸処方々返礼に出歩きけり。秋も忽たちまち過ぎ去りぬ。菊の花萎しおるる籬まがきには石蕗花つわぶき咲き出で落葉らくようの梢に百舌鳥もずの声早や珍しからず。裏庭の井いのほとりに栗熟みのりて落ち縁先えんさきには南天なんてんの実、石燈籠いしどうろうのかげには梅疑うめもどき色づき初そめぬ。

 初冬はつふゆの山の手ほどわが家やの庭なつかしく思はるる折はなし。人は樹木じゅもく多ければ山の手は夏のさかりにしくはなけんなど思ふべけれど、藪蚊やぶかの苦しみなき町中まちなかの住居すまいこそ夏はかへつて物干台ものほしだいの夜凉よすずみ縁日えんにちのそぞろ歩きなぞ興きょう多けれ。簾すだれ捲上まきあげし二階の窓に夕栄ゆうばえの鱗雲うろこぐも打眺め夕河岸ゆうがしの小鰺こあじ売行く声聞きつけて俄にわかに夕餉ゆうげの仕度待兼まちかぬる心地するも町中なればこそ。翻ひるがえつて冬となりぬる町の住居を思へば建込む家いえにさらでも短き日脚ひあしの更に短く長火鉢置く茶の間は不断の宵闇よいやみなるべきに、山の手の庭は木々の葉落尽すが故に夏よりも明あかるく晴々しく、書斎の丸窓も芭蕉ばしょう朽ちて穏おだやかなる日の光終日ひねもす斜にさすなり。露時雨つゆしぐれ夜ごとにしげくなり行くほどに落葉朽ち腐るる植込うえごみのかげよりは絶えず土の香か薫くんじて、鶺鴒せきれい四十雀しじゅうから藪鶯やぶうぐいすなぞ小鳥の声は春にもまして賑にぎわし。げに山の手は十一月十二月かけての折ほど忘れがたく住心地すみごこちよき時はなきぞかし。

 八重諸処への礼歩きもすまして今は家いえにのみあり。障子しょうじは皆新しう張替へられたり。家の柱縁側えんがわなぞ時代つきて飴色あめいろに黒みて輝ひかりたるに障子の紙のいと白く糊のりの匂も失せざるほどに新しきは何となくよきものなり。座敷も常よりは明くなりたるやうにて庭樹にわきの影小鳥の飛ぶ影の穏かなる夕日に映りたるもまた常よりは鮮あざやかなる心地す。夕風裏窓の竹を鳴して日暮るれば、新しき障子の紙に燈火とうかの光もまた清く澄みて見ゆ。冬となりてここにまた何よりも嬉しき心地せらるるは桐の火桶ひおけ、炉ろ、置炬燵おきごたつ、枕屏風まくらびょうぶなぞ春より冬にかけて久しく見ざりし家具に再び遇ふ事なり。去年の冬より今年も春なほ寒き折までは毎朝つやぶきん掛けてよく拭き込みたる火鉢、夏の中うち仕舞ひ込みたる押入の塵ちりに大分光沢つやうせながら然しかも見馴れたる昔のままの形して去年ありける同じき処に置据おきすゑられたる宛さながら旧知の友に逢ふが如し。君もすこやかなりしか。我もまた幸さいわいに余生を保ちぬと言葉もかけたき心地なり。寔まことに初冬はつふゆの朝初めて火鉢見るほど、何ともつかず思出多き心地するものはなし。わが友江戸庵えどあんが句に

冬来るやまたなつかしき古火桶

 これ聊いささかも巧たくむ所なくして然もその意を尽したる名吟めいぎんならずや。去歳こぞの冬江戸庵主人画帖がじょう一折ひとおり携たずさへ来きたられ是非にも何か絵をかき句を題せよとせめ給ひければ我止む事を得ず机の側にありける桐の丸火鉢まるひばちを見てその形を写しけるが、俳想乏しくて即興の句出でざる苦しさに、何やら訳もわからぬ文句左の如く書流したる事あり。

折おりかがむ背中もやがて円火鉢まるひばち

  かどのとれたる老を待つかな

 それはさて置き、八重わが家やに来りてよりはわが稚おさなき時より見覚えたるさまざまの手道具てどうぐ皆手入よく綺麗にふき清められて、昨日まではとかく家を外そとなる楽しみのみ追ひ究めんとしける放蕩の児じも此ここに漸く家居かきょの楽たのしみを知り父なき後のちの家を守る身となりしこそうれしけれ。


十二


 おほよその人は詩を賦ふし絵をかく事をのみ芸術なりとす。われも今まではかく思ひゐたり。わが芸術を愛する心は小説を作り劇を評し声楽を聴くことを以て足れりとなしき。然れども人間の欲情もと極きわまる処なし。我は遂に棲すむべき家いえ着るべき衣服食くらふべき料理までをも芸術の中うちに数へずば止まざらんとす。進んで我わが生涯をも一個の製作品として取扱はん事を欲す。然らざればわが心遂にまことの満足を感ずる事能あたはざるに至れり。我が生涯を芸術品として見んとする時妻はその最も大切なる製作の一要件なるべし。

 人はかかる言草いいぐさを耳にせば直ただちに栄耀えいようの餅の皮といひ捨すつべし。されど芸術を味ひ楽しむ心はもと貧富の別に関せず。深刻の情致じょうちは何事によらずかへつて富者の知らざる処なり。わが衣食住とわが生涯を以て活いきたる詩活きたる芸術の作品となすに何の費ついえをか要せん。裏路地うらろじの佗住居わびずまいも自みずから安やすんずる処あらばまた全く画興詩情なしといふべからず、金殿玉楼も心なくんば春花秋月なほ瓦礫がれきに均ひとしかるべし。

 わが家いえ山の手のはづれにあり。三月春泥しゅんでい容易に乾かず。五月早くも蚊に襲はる。市いちヶ谷やの喇叭らっぱは入相いりあいの鐘の余韻を乱し往来の軍馬は門前の草を食はみ塀を蹴破る。昔は貧乏御家人ごけにんの跋扈ばっこせし処今は田舎いなか紳士の奥様でこでこ丸髷まるまげを聳そびやかすの地ち、元より何の風情ふぜいあらんや。然れどもわが書庫に蜀山人しょくさんじんが文集あり『山手やまのて閑居かんきょの記き』はよくわれを慰む。わが庭広からず然れども屋後おくごなほ数歩の菜圃さいほを余あまさしむ。款冬ふき、芹せり、蓼たで、葱ねぎ、苺いちご、薑荷しょうが、独活うど、芋、百合、紫蘇しそ、山椒さんしょ、枸杞くこの類たぐい時に従つて皆厨房ちゅうぼうの料りょうとなすに足る。八重日々にちにち菜園に出で繊手せんしゅよくこれを摘つみ調味してわが日頃好みて集めたる器うつわに盛りぬ。

 つらつら按おもふに我国の料理ほど野菜に富めるはなかるべし。西洋にては巴里パリーに赴きて初めて菜蔬さいその味あじわい称美すべきものに遇あふといへどもその種類なほ我国の多きに比すべくもあらず。支那には果実の珍しきもの多けれど菜蔬に至つては白菜はくさい菱角りょうかく藕子ぐうし嫩筍どんじゅん等の外ほかわれまた多くその他を知らず、菜蔬と魚介ぎょかいの味あじわい美なるもの多きはこれ日本料理の特色ならずとせんや。

 食器の清洒せいしゃ風雅なるまた大おおいに誇るに足るべし。西洋支那の食器金銀珠玉を以てこれを製するあり、その質堅牢にしてその形の壮麗なる元より我国の及ぶ処ならず。洋人銀の肉叉にくさを用ひ漢人翡翠ひすいの箸はしを把とる。しかして我俗わがぞく杉の丸箸を以て最上の礼式とす。万事皆かくの如し。また思ふに西洋支那の食卓共に華麗荘厳の趣あれども四時しじを通じてその模様大抵同じきが如く、その料理とこれを盛る食器との調和対照に意を用ゆる事我国の如く甚しからざるに似たり。我国の膳部ぜんぶにおけるや食器の質とその色彩紋様もんようの如何いかんによりてその趣全く変化す。夏には夏冬には冬らしき盃盤はいばんを要す。誰たれか鮪まぐろの刺身を赤き九谷くたにの皿に盛り新漬しんづけの香物こうのものを蒔絵まきえの椀に盛るものあらんや。日本料理は器物の選択を最も緊要となす。ここにおいてその法全く特殊の芸術たり。盃盤の選択は酒楼にあつては直ただちに主人が風懐ふうかいの如何いかんを窺うかがはしめ一家にあつては主婦が心掛の如何を推知せしむ。八重多年教坊きょうぼうにあり都下の酒楼旗亭にして知らざるものなし。加くわうるに骨董こっとうの鑑識浅しとせず。わが晩餐の膳をして常に詩趣俳味に富ましめたる敢て喋々ちょうちょうの弁を要せず。いつも痒いところに手が届きけり。されば八重去つてよりわれ復また肴饌こうせんのことを云々うんぬんせず。机上の花瓶かへい永とこしなへにまた花なし。


十三


 八重何が故に我家わがやを去れるや。われまた何が故にその後を追はざりしや。『矢筈草』の一篇もとこの事を書綴りて愛読者諸君のお慰みにせんと欲せしなり。新聞紙三面の記事は世人せじんの喜ぶ所なり。実録とさへ銘打めいうてば下手な小説もよく売れるなり。作者くだらぬ長談義にのみ耽りて容易に本題に入らざる所以ゆえんのものそれ果して何ぞ。


十四


 目出度き甲寅きのえとらの年は暮れて新しき年もいつか鶯の初音はつね待つ頃とはなりけり。一日いちにちわれ芝辺しばへんに所用あつて朝早くより家いえを出で帰途築地の庭後庵ていごあんをおとづれしにいつもながら四方山よもやまの話にそのまま夜よをふかし車を頂戴して帰りけり。門かどの戸あく音に主人の帰りを待つ飼犬の裾すそにまつはる事のみ常に変らざりしが家いえの内何なにとなく寂然せきぜんとして、召使ふ子女こおんな一人いちにんのみ残りて八重は既に家にはあらざりき。八畳の茶の間に燈火とうか煌々こうこうと輝きて、二人が日頃食卓に用ひし紫檀したんの大きなる唐机とうづくえの上に、箪笥たんすの鍵を添へて一通の手紙置きてあり。初め小婢しょうひのわが帰るを見るや御新造ごしんぞ様は御風呂めして九時頃お出掛になりやがて何処いずこよりとも知らず電話にて今夜はおそくなる故帰らぬ由よし申越されぬと告げけるが、その折にはわれさまでは驚かず、大方新橋あたりの妓家ぎかならずば藤間ふじまが弟子のもとに遊べるならんと思ひしに、唐机の上の封書開くに及び初めて事の容易ならぬを知りけり。


十五


『矢筈草』いよいよこれより本題に入いらざるべからざる所となりぬ。然るに作者俄にわかに惑まどうて思案投首なげくび煙管キセル銜くわへて腕こまねくのみ。

 その年の桜咲く頃八重は五年振りにて再び舞扇まいおうぎ取つて立つ身とはなれるなり。好奇の粋客すいきゃくもしわが『矢筈草』の後篇を知らんことを望み玉はば喜楽きらく可かなり香雪軒こうせつけん可なり緑屋みどりやまたあしからざるべし随処の旗亭きていに八重を聘へいして親しく問ひ玉へかし。八重唯舞ふ事を能よくするのみにあらず哥沢節うたざわぶしは既に名取なとりなり近頃また河東かとうを修むと聞く。彼女もし問ふものに向つてあらはに事の仔細を語る事を欲せずとせんか、代るに低唱微吟ていしょうびぎん以てその所思しょしを託せしむべき歌曲に乏しからざるべし。凡そ人その思ふ所を伝へんとするや必ずしも田舎議員の如く怒号する事を要せざるべし。何ぞまた新しき女に傚ならつてやたらに告白しむやみに懺悔ざんげするに及ばんや。われ近頃人より小唄こうたなるものを教へらる。

 〽三ツの車に法のりの道ソウラ出た……悋気りんきと金貸かねかしや罪なもの

また以てわが一時いちじの情懐を託するに足りき。


十六


 昨日きのうとなれば何事もただなつかし。何ぞ事の是非を究きわめて彼我ひがの過あやまちを明あきらかにするの要あらんや。青春まことに一夢いちむ。老の寝覚ねざめに思出の種一つにても多からんこそせめての慰めなるべけれ。活いきがひありしといふべけれ。石橋いしばしをたたいて五十年無事に世を渡り得しものは誠に結構と申すの外なし。一度ひとたび足踏みすべらせて橋下きょうかの激流に陥おちいれば渾身こんしんの力尽して泳がんのみ。彼岸ひがんに達せんとすれども流ながれ急なれば速すみやかに横断すべくもあらず。あるひは流に従つて漂ひあるひは巌角がんかくに攀よぢて憩いこひ、徐おもむろにその道を求めざるべからず。ここにおいてか無事石橋を歩むものの知らざる処を知る。話の種多く持つ身とはなるなり。


十七


 芸者その朋輩ほうばいの丸髷まるまげ結ゆふを見ればわたしもどうぞ一度はと茶断ちゃだち塩断しおだち神かけて念ずるが多し。芸者も女なり。いやな旦那をつとめて好きな役者狂ひの口直くちなおしにも少し飽きが来れば、定さだまる男一人ひとりにかしづいて見たい殊勝の願ひを起す。これ波瀾より平坦に入いるものけだし自然の人情なるべし、決して咎とがむべきにあらず。さればそんじよそこらの姐ねえさんたちそれぞれよい客見付けて足を洗ひ、中には鳥子餅とりのこもちくばるもあれど、その噂朋輩の口よりまだ消えもやらぬに、早くもああくさくさしちまつたよと、泣いたり笑つたりした揚句の果は復また旧もとの古巣に還るもの甚はなはだ頻々ひんぴん。去就出没常ならず。さればお上かみにては一度ひとたび芸者の鑑札返上致せしものには半歳はんとしを経ざれば再びこれを下さげ渡さざるの制を設くといふ。けだし役人衆の繁忙を防がんがためなるべし。

 そんな事はどうでもよいとして、芸者何が故にかくは出たり引込んだり致すぞや。通人いふ。一度いちど商売したものは辛抱の置き処が違ふ故当人いかほど殊勝の覚悟ありても素人しろうとのやうには行ゆかぬなり。これを巧たくみに使つて身を落ちつかせてやるは亭主となつた男の思遣おもいやり一ツによる事なり。年増盛としまざかりを過ぎて一度商売を止やめた女、また二度出るは気の毒なものと察してやるが訳知つた人の情なさけなり。男の顔に泥塗るやうな事さへせぬかぎり大抵のことは大目に見てやるがよし。漢学者のやうに子し曰のたまわくで何か事あれば直ぐに七去しちきょの教おしえ楯たてに取るやうな野暮な心ならば初めから芸者引かせて女房にするなぞは大きな間違ならんと。

 駁ばくするものは言ふ。芸者したものは酸すいも甘あまいも知つてゐるはずなり。栄耀栄華えいようえいがの味を知つたもの故芝居も着物もさして珍らしくは思はぬはずなり。何があつても素人のやうには立騒がずともすむ咄はなしなり。万事さばけて呑込み早かるべきはずなり。亭主の癇癪かんしゃくも巧たくみにそらして気嫌を直さすべきはずなり。素人では気のつかぬ処に気がつく故にそれ者しゃはそれ者たる値打があるなり。もしそれ持参金つきの箱入娘貰つたやうに万事遠慮我慢して連添つれそふ位ならば何も世間親類に後指うしろゆびさされてまでそれ者しゃを家うちに入るるの要あらんや。

 いやに済すました人おつに咳払せきばらひして進み出でて曰く両君の宣のたまふ所各おのおの理あり。皆その人とその場合とに因つてこれを施して可なるべし。素人も芸者も元これ女なり。生れて女となる。女の身を全うするの道古来唯従ふの一語のみ。従はざれば今の処日本にては女の身は立ちがたし。芸者気随気儘勝手次第にその日を送り得るやうに見ゆれどもさにあらず。元これ愛嬌商売なれば第一に世間に従つて行かねばならぬなり。お客に従はねばならぬなり。出先でさきの茶屋の女中に従はねばならぬなり。足を洗つて素人となる。則すなわち旦那に従はねばならぬなり。その家いえに従はねばならぬなり。同じく皆従ふなり。一人ひとりに従ふと諸人しょにんに従ふとの相違のみ。そのいづれかを選ぶべきやはこれその人の任意なり。素人となれば素人の苦楽共にあり商売に出れば商売の苦楽また共に生ず。無事平坦を望まば素人たるべし。変化を欲せば芸者たるべし。これまたその人とその場合によつて論ずべきなり。孔明こうめい兵を祁山きざんに出いだす事七度ななたびなり。匹婦ひっぷの七現七退しちげんしちたい何ぞ改めて怪しむに及ばんや。唯その身の事よりして人に累るいを及およぼしために後生ごしょうの障さわりとなる事なくんばよし。皆時の運なり。素人とならばその日その日の金銭出入帳でいりちょう書く事怠らぬがよし。商売に出でなば勤めべき処よく勤むべし。朝起きた時奥歯に物のはさまつたやうな心持する事なくその日その日を送り得ば妓ぎとなるも妻となるも何ぞ選ばん。あれも一生これも一生ぞかし。いづれにしても柔和は女徳にょとくの第一なり。加ふるに悋気りんきを慎つつしまば妓となるとも人に愛され立てられて身を全うし得べし。いはんや正路せいろの妻となるにおいてをや。

 おつにすました人弁出べんじいだして尽くる所を知らず。これでは作者よりも皆様が御迷惑とここに横槍を入れて『矢筈草』を終る。

大正五丙辰暮春稿

底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店

   1986(昭和61)年11月17日第1刷発行

   2007(平成19)年7月13日第23刷発行

底本の親本:「荷風随筆 一~五」岩波書店

   1981(昭和56)年11月~1982(昭和57)年3月

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。

※「漢詩文の訓読は蜂屋邦夫氏を煩わした。」旨の記載が、底本の編集付記にあります。

入力:門田裕志

校正:米田

2010年9月5日作成

2011年4月2日修正

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