心眼
三遊亭円朝



 さてこれは外題げだいを心眼しんがんと申まうす心の眼めといふお話でござりますが、物の色を眼めで見ましても、只たゞ赤あかいのでは紅梅こうばいか木瓜ぼけの花か薔薇ばらか牡丹ぼたんか分わかりませんが、ハヽア早咲はやぎきの牡丹ぼたんであるなと心で受けませんと、五色しきも見分みわけが付つきませんから、心眼しんがんと外題げだいを致しましたが、大坂町おほさかちやうに梅喜ばいきと申まうす針医はりいがございましたが、療治れうぢの方はうは極ごく下手へたで、病人に針はりを打ちますと、それがためお腹なかが痛くなつたり、頭痛の所へ打ちますと却かへつて天窓あたまが痛んだり致しますので、あまり療治れうぢを頼たのむ者はありません。すると横浜よこはまの懇意こんいな人が親切に横浜よこはまへ出稼でかせぎに来くるが宜いい、然さうやつてゐては何時いつまでも貧乏してゐる事では成ならん、浜はまはまた贔屓強ひいきづよい処ところだからと云いつてくれましたので、当人たうにんも参まゐる気になりましたが、横浜よこはまへ参まゐるには手曳てひきがないからと自分の弟の松之助まつのすけといふ者を連つれまして横浜よこはまへまゐりまして、野毛のげの宅うちへ厄介やつかいになつて居をり、せめて半年か今年一年位ぐらゐ稼かせいで帰かへつて来くるだらうと、女房にようばうも待つて居をりますと、直すぐに三日目に帰かへつてまゐりました。鼻の尖頭あたまへ汗をかき、天窓あたまからポツポと煙けむを出し、門口かどぐちへ突立つツたつたなり物も云いひません。女房「おやお前まへお帰かへりか。梅「い……今帰かへつたよ。女房「おや何どうしたんだね、まア何どうも余あんまり早いぢやアないか、浜はまへ往いつて直すぐに帰かへつて来きたの。梅「直すぐにたツて居ゐられねえもの、どうも幾許いくら居ゐたくつても居ゐられません、あまり馬鹿馬鹿ばかばかしくつて口惜くやしいたツて口惜くやしくねえたツて耐たまらないもの……。と鼻息はないき荒あらく思ふやうに口もきけん様子。女房「何どうしたんだねえ、まア何なんだね。梅「何どうしたつて、フン〳〵あの松まつン畜生ちくしやうめ……。女房「松まつさんが何どうしたんだえ。梅「彼奴あいつが、己おれを置去おきざりにして先へ帰けへりやアがつたが、岩田屋いはたやさんは親切だから此方こつちへ来きな、浜はまは贔屓強ひいきづええから何なんでも来きねえと仰おつしやるので、他ほかに手曳てひきがねえから松まつを連つれていくと、六畳でふの座敷ざしきを借切かりきつてゐると、火鉢ひばちはここへ置おくよ、烟草盆たばこぼんも置おくよ、土瓶どびんも貸かしてやる、水指みづさしもこゝに有あるは、手水場てうづばへは此処こゝから往いくんだ、こゝへ布巾ふきんも掛かけて置おくよ、この戸棚とだなに夜具やぐ蒲団ふとんもあるよと何なにから何なにまで残のこらず貸かして下すだすつてよ、往いつた当座たうざだから療治れうぢはないや、退屈たいくつだらうと思つて岩田屋いはたやの御夫婦ごふうふが来きて、四方山よもやまの話をして居をると、松まつが傍そばで土瓶どびんをひつくりかへして灰神楽はいかぐらを上あげたから、気きを附つけろ、粗忽そこつをするなつて他人ひとさまの前まへだから小言こごとも云いはうぢやアねえか、すると彼奴あいつが己おれにむかツ腹ぱらア立たつて、よく小言こごとをいふ、兄振あにいぶつたことを云いふな、己おれが手を曳ひいてやらなけりやア何処どこへも往いかれめえ、御飯おまんまの世話せわから手水場てうづばへ往いくまで己おれが附ついてツてやるんだ、月給げつきふを取るんぢやアなし、何なんぞと云いふと小言こごとを云いやアがる、兄あにきもねえもんだ、兄あにき(狸たぬき)の腹鼓はらつゞみが聞いて呆あきれると吐ぬかしやアがるから、やい此こン畜生ちくしやう、手前てめえは懶惰者なまけもんでべん〳〵と遊んでゐるから、何処どこへ奉公ほうこうに遣やつたつて置いてくれる者もないから、己おれが養やしなつて置くからには、己おれの手を曳ひくぐらゐは当然あたりまいだ、何なにを云いやアがるつて立上たちあがつて戸外そとへ出たが、己おれも眼めが見えないから追掛おつかけて出ても仕様しやうはなし、あんな奴やつにまで馬鹿ばかにされると腹を立つのを、岩田屋いはたやの御夫婦ごふうふが心配して、なに松まつさんだつて家うちへ帰かへれば姉あねさんに小言こごとを云いはれるから、帰かへつて来くるに違ちがひない、なに彼奴あいつは銭ぜにを持もつてゐる気遣きづかひは有ありませんから、停車場ステイシヨンへ往いつたツて切符を買ふ手当てあてもありませんから、いまに帰かへりませうと待つたが、帰かへつて来こねえ、処ところで悪い顔もしず、御飯ごはんの世話せわから床とこの揚下あげおろしまで岩田屋いはたやさん御夫婦ごふうふが為して下くださるんだが、宜いい気きになつて其様そんなことがさせられるかさせられねえか考へて見ねえ、とてもそれなりに世話せわに成なつてもゐられねえから帰かへつて来きたのよ。女房「本当ほんたうに困るぢやアないかね、私わたしも義理ぎりある間なかだから小言こごとも云いへないが、たつた一人の兄にいさんを置去おきざりにして帰かへつて来くるなんて……なに屹度きつと早晩いまにぶらりと帰かへつて来くるのが落おちだらうが、嚥さぞ腹が立つたらうね。梅「腹が立つたつて立たねえツてえ、詰つまらねえ事ことを腹ア立てやアがつて、たつた一人の血を分けた兄の己おれを置去おきざりにしやアがつてよ、是これと云いふのも己おれの眼めが悪いばつかりだ、あゝ口惜くやしい、何どうかしてお竹たけや切せめて此この眼めを片方かた〳〵でも宜いいから明けてくんなよ。女房「明けてくんなと云いつて、私わたしア医者いしやぢやアなし、そんな無理なことを云いつたツて私わたしがお前めへの眼めを明あける訳わけにはいかないが、苦しい時の神頼かみだのみてえ事も有るから、二人で信心しん〴〵をして、一生懸命になつたら、また良いいお医者いしやに出会であふことも有らうから、夫婦で茅場町かやばちやうの薬師やくしさまへ信心しん〴〵をして、三七、二十一日にち断食だんじきをして、夜中参よなかまゐりをしたら宜よからう。と是これから一生懸命に信心しん〴〵を始めました。すると一心いつしんが通とほりましてか、満願まんぐわんの日に梅喜ばいきは疲れ果てゝ賽銭箱さいせんばこの傍そばへ打倒ぶつたふれてしまふ中うちに、カア〳〵と黎明しのゝめ告つぐる烏からす諸共もろともに白々しら〳〵と夜よが明け離はなれますと、誰たれやらん傍そばへ来きて頻しきりに揺ゆり起おこすものが有ります。×「梅喜ばいきさん〳〵、こんな処ところに寐ねて居ゐちやアいけないよ、風かぜえ引くよ……。梅「はい〳〵……(眼めを擦こすり此方こつちを見る)×「おや……お前まい眼めが開あいたぜ。梅「へえゝ……成程なるほど……是これは……あゝ(両手りやうてを合あはせ拝をがみ)有難ありがたう存ぞんじます、南無薬師瑠璃光如来なむやくしるりくわうによらい、お庇陰かげを以もちまして両眼りやうがんとも明あきらかになりまして、誠に有難ありがたう存ぞんじます……成程なるほどウ是これは手でございますか。×「然さうよ。梅「へえゝ巧うまく出来できてゐますね。×「お前まへ何どうして眼めが明あいたんだ。梅「へえ実じつは二十一日にち断食だんじきをしました、一心しんが届とゞいたものと見えます。×「ムヽウ、まゝ此位このくらゐな目出度めでたい事はないぜ。梅「へえ誠に有難ありがたう存ぞんじます……あなたは何方どちらのお方かたで。×「フヽヽ何方どちらだつて、お前まへ毎日まいにちのやうに宅うちへ来きてえるぢやアねえか、大坂町おゝさかちやうの近江屋金兵衛あふみやきんべゑだよ。梅「へえ、是これは何どうも誠にへえゝ……あなたは其様そんなお顔でございましたか。近江屋「フヽヽ其様そんなお顔と云いふものもねえもんぢやアねえか、何なににしても眼めの明あいたは共に悦よろこばしい、ま結構けつこうな事で。梅「へえ有難ありがたう存ぞんじます、毎度また御贔屓ごひいきになりまして……これは何なんです、一体たいにかう有あるのは……。近江屋「成程なるほどな、眼めのない人が始めて眼めの明あいた時には、何尺なんじやく何間なんげんが解わからんで、眼めの前さきへ一体たいに物ものが見みえると云いふが、妙めうなもんだね、是これは薬師やくしさまのお堂だうだよ。梅「へえゝ、お堂だうで、是これは……。近江屋「お賽銭箱さいせんばこ。梅「成程なるほど皆みんながお賽銭さいせんを上あげるんで手を突込つツこんでも取れないやうに…巧うまく出来できて居ゐますなア…あの向むかうに二つ吊下ぶらさがつて居ゐますのは…。近江屋「あれは提灯ちやうちんよ。梅「家内かないなどが夜よる点つけて歩きますのは彼あれでげすか。近江屋「なに、それはもつと小さい丸いので、ぶら提灯ぢやうちんといふのだが、あれは神前しんぜんへ奉納ほうなふするので、周囲まはりを朱あかで塗ぬり潰つぶして、中なかへ墨くろで「魚うをがし」と書いてあるのだ、周囲まはりは真まツ赤か中なかは真まツ黒くろ。梅「へえゝ真まツ赤か……真まツ黒くろ旨うまく名つけましたな、成程なるほど真まツ赤からしい色で……彼あれは。近江屋「彼家あれは宮松みやまつといふ茶屋ちややよ。梅「へえゝ……これは甃石しきいしでございませう。近江屋「おや〳〵よく解わかつたね。梅「へえ是これは下駄げたを履はいて通とほると、がら〳〵音がしますから解わかりますが、是これは盲人まうじんが歩きいゝやうに何処どこへでも敷しいて有あるのでせう。近江屋「なアに社内しやないばかりだアね、そろ〳〵出掛でかけようか。梅「へえ有難ありがたう存ぞんじます、只今たゞいま杖つゑを持つてまゐりませう。近「もう杖つゑも要いらねえから薬師やくしさまへ納をさめて往いきな。梅「へえ誠に有難ありがたう存ぞんじます……へえゝ何どうも日本晴につぽんばれがしたやうだてえのは、旦那だんなさま此事このことでございませう、本当に有難ありがたいことで。近「まア芽出度めでたかつた。梅「旦那だんな々々〳〵これは何なんでげす。近「生薬屋きぐすりやの看板かんばんだよ。梅「あれは……。近「糸屋いとやの看板かんばんだ。梅「へえゝ……あれは。近「人が見て笑つてるに、水菓子屋みづぐわしやだ。梅「へえゝ……あ彼処あすこに在ある円まアるいものは何なんです、かう幾いくつも有あるのは。近「あれは密柑みかんだ。梅「あの色は何なんと云いふんです。近「黄色きいろいてえのだ。梅「へえゝ……密柑みかんには異ちがつたのが有ありますなア、かう細長ほそながいやうな。近「フヽヽあれは乾柿ころがきだ。梅「乾柿ころがき、へえゝ彼あれは。近「第一の銀行よ。梅「成程なるほど噂うはさには聞いて居をりましたが立派りつぱなもんですね……あれは。近「橋だ、鎧橋よろひばしといふのだ。梅「へえゝ立派りつぱな物もんですね何どうも……あの向うへ往いきますのは女をんなぢやアございませんか。近「然さうよ。梅「へえゝ女をんなてえものは綺麗きれいなものですなア、男をとこが迷まよふな無理もありませんね。近「あれは何処どこかの権妻ごんさいだか奥おくさんだか知れんが、人柄ひとがらで別嬪べつぴんだのう。梅「へえゝ綺麗きれいなもんですなア、私共わたしどもの家内かないは、時々とき〴〵私わたしが貴方あなたの処ところへお療治れうぢに参まゐつて居ゐると迎むかひに来きた事もありますが、私わたしの女房にようばうは今のやうな好いい女をんなですか。近「ウフヽヽ、アハヽヽ梅喜ばいきさん腹はらア立たつちやアいけないよ、お前まへん処とこのお内儀かみさんは失敬しつけいだが余あまり器量きりやうが好よくないよ。梅「へえゝ何どんな工合ぐあひですな。近「フヽヽ何どんな工合ぐあひだツて……あ彼処あそこへ味噌漉みそこしを提さげて往いく何処どこかの雇やとひ女をんなが有あるね、彼あれよりは最もう少し色が黒くろくツて、ずんぐりしてえて好よくないよ。梅「彼あれより悪わるうございますと、それは恐入おそれいりましたな、私わたくしは美人だと思つてましたが、器量きりやうの善悪よしあしは撫なでたツて解わかりません……あ……危あぶねえなア、何なんですなア……是これは……。近「人力車じんりきだ。梅「へえゝ眼めの見えない中うちは却かへつて驚おどろきませんでした、何どうでも勝手にしねえと云いふ気きが有ありましたから、眼めが明あいたら何なんだか怖こはくツて些ちつとも歩けません。近「それぢやア車くるまに乗のせよう、然さうして浅草あさくさの観音くわんおんさまへ連つれて往ゆかう。と是これから合乗あひのりで、蔵前通くらまへどほりから雷神門かみなりもんの際きはで車くるまを下おり、近「梅喜ばいきさん、是これが仲見世なかみせだよ。梅「へゝえ何処どこウ……。近「なアにさ、ここが観音くわんおんの仲見世なかみせだ。梅「何なにかゞございませう玩具店おもちやみせが。近「べた玩具店おもちやみせだ。梅「どれが……。近「あの種々いろんなものを玩具おもちやと云いふのだ。梅「へえゝ……種々いろんな物ものが有ありますな、此間このあひだね山田やまださんの坊ぼつちやんが持もつていらしつたのを私わたしが握にぎつたら、玩具おもちやだと仰おつしやいましたが、成程なるほどさま〴〵の物ものが有ありますよ、此方こつちも玩具おもちや……彼方あつちも玩具おもちや、其その隣となりも玩具おもちや、あゝ玩具おもちやを引張ひつぱつて伸のばして居をります。近「フヽヽあれは飴あめやだよ。梅「へえゝ成程なるほど、此方こつちは。近「人形屋にんぎやうや。梅「向むかうのは。近「料理茶屋萬梅れうりぢややまんばいといふのだ。梅「あら〳〵。近「見みつともねえなア、大きな声こゑであらあらと云いひなさんな。梅「あれは。近「絵草紙ゑざうしだよ。梅「へえゝ綺麗きれいなもんですな、撫なでて見ちやア解わかりませんが、此間このあひだ池田いけださんのお嬢ぢやうさまが、是これは絵ゑだと仰おつしやいましたが解わかりませんでした。梅「おゝ突当つきあたりやがつて、気きを附つけろい、盲人めくらに突当つきあたる奴やつが有あるかい。近「眼めが明あいて居ゐるぢやアないか。梅「ヘヽヽ今日けふ明あきましたんで、不断ふだん云いひ慣つけて居ゐるもんですから。と云いひながら両手りやうてを合あはせ、梅「南無大慈大悲なむだいじだいひの観世音菩薩くわんぜおんぼさつ……いやア巨おほきなもんですな、人が盲目めくらだと思つて欺だますんです、浅草あさくさの観音くわんおんさまは一寸すん八分ぶだつて、虚言うそばツかり、巨おほきなもんですな。近「そりやア仁王門にわうもんだ、是これから観音くわんおんさまのお堂だうだ。梅「道理だうりで巨おほきいと思ひました……あゝ……危あぶない。と驚おどろいて飛下とびさがる。近「フヽヽ何なんだい、見みつともない、鳩はとがゐるんだ。梅「へえゝ豆をやるのは是これですか……鳩はとがお辞儀じぎをして居ゐますよ。近「なに豆を喰くつてゐるんだ。梅「異ちがつたのが居をりますね、頭あたまの赤あかい。近「あれは鶏鳥にはとりだ……ま此方こつちへお出いで、こゝがお堂だうだ。梅「へえゝ成程なるほど、十八間けん四面めんとは聞いてゐましたが、立派りつぱなもんですな。近「さ此この段々だん〴〵を昇のぼるんだ。梅「へえ何なんだか何どうも滅茶めちやでげすな……おゝ〳〵大層たいさう絵双紙ゑざうしが献あがつてゐますな。近「額がくだアな、此方こつちへお出いで、こゝで抹香まつかうを供あげるんだ、是これがお堂だうだよ。梅「へえゝ是これが観音くわんおんさまで……これは何なんで。近「お賽銭箱さいせんばこだ。梅「成程なるほど先刻さつきも薬師やくしさまで見ましたが、薬師やくしさまより観音くわんおんさまの方はうが工面くめんが宜いいと見えてお賽銭箱さいせんばこが大きい……南無大慈大悲なむだいじだいひの観世音菩薩くわんぜおんぼさつ、今日こんにち図はからず両眼りやうがん明あきらかに相成あひなりましてございます、誠に有難ありがたき仕合しあはせに存ぞんじます……。近「梅喜ばいきさん、此方こつちへお出いでよ。梅「へえ……こゝに大層たいそう人が立つてゐますな。近「なに彼ありやア此方こつちの人が映うつるんだ、向うに大きな姿見すがたみが立つてゐるのさ。梅「此方こつちの人が向うへ……(前後ぜんごを見返みかへり)え成程なるほど近江屋あふみやさん貴方あなたが向うに立つてゐますな、成程なるほど能よく似にてゐますこと。近「似にてゐる筈はずよ、鏡かゞみへ映うつるんだから、並んで見えるだらう。梅「私わたしは何方どれで。近「何方どれだツて二人並んで居ゐるだらう。梅「へえ……。首を動かし見て、「成程なるほど此方こつちで首を振ふるやうに向うでも振ふり、舌したを出せば彼方あつちでも出しますな。近「止よしねえ、見みつともねえから。梅「ムヽウ私わたしは随分ずゐぶん好いい男をとこですな。近「ウン……。梅「私わたしは此この位くらゐな器量きりやうを持もつてゐながら、家内かないは鎧橋よろひばしで味噌漉みそこしを提さげて往いつた下婢をんなより悪いとは、ちよいと欝ふさぎますなア。近「其様そんなことを云いつたつて為しやうがない、さアこゝは奥山おくやまだ。梅「へえ……。ときよろ〳〵してゐる中に、近江屋あふみやの旦那だんなを見失みはぐつてしまひました。梅「金兵衛きんべゑさアん……近江屋あふみやさアん……。と大きな声こゑを出して山中やまぢう呶鳴どなり歩きます中うちに、田圃たんぼの出口でぐちの掛茶屋かけぢややに腰を掛かけて居ゐました女をんなは芳町辺よしちやうへんの芸妓げいしやと見えて、お参まゐりに来きたのだから余あまり好よい装なりでは有ありません、南部なんぶの藍あゐの萬筋まんすぢの小袖こそでに、黒縮緬くろちりめんの羽織はおり、唐繻子たうじゆすの帯おびを〆しめ、小さい絹張きぬばりの蝙蝠傘かうもりがさを傍そばに置き、後丸あとまるののめりに本天ほんてんの鼻緒はなをのすがつた駒下駄こまげたを履はいた小粋こいきな婦人ふじんが、女「ちよいと梅喜ばいきさん、ちよいと。梅「へえへえ何処どこウ……(彼方あちら此方こちらを見廻みまはす)女「何なんだよう、私わたしが先刻さつきから見てゐると、お前まへがこゝを往いつたり来きたりしてえるが、眼めが開あいて居ゐるから能よく似にた人が有あると思おもつてゐたら、矢張やつぱり梅喜ばいきさんなんだよ、ま何どうしたえ。梅「へえ、今日けふ眼めが開あきました。女「眼めが開あいたえ……だから馬鹿ばかには出来できないものだよ、本当ほんたうに神かみさまの御利益ごりやくだよ、併しかしまア見違みちがへるやうな好いい男をとこになつたよ。梅「へえ、あなたは何処どこのお方かたで。女「いやだよ、大概たいがい声こゑでも知れさうなもんだアね、小春こはるだよ。梅「え……小春姐こはるねえさんで、成程なるほど……美うつくしいもんですなア。小春「いやだよ、大概たいがいにおし。梅「へゝゝお初はつにお目めに懸かゝりました。小春「何なんだね、お初はつウなんて。梅「いえ、お顔を見るのはお初はつウで。小春「お前まへは眼めが開あいてちよいと子柄こがらを上あげたよ、本当ほんたうにまア見違みちがいちまつたよ、一人で来きたのかい、なに近江屋あふみやの旦那だんなを、ムヽ失はぐれて、然さうかい、ぢやア何処どこかで御飯ごぜんを食たべたいが、惣そうざい料理れうりもごた〳〵するし、重おんもりする処ところも忌いやだし、あゝ釣堀つりぼりの師匠しゝやうの処ところへ往ゆかうぢやアないか。梅「へえゝ釣堀つりぼりさまとは。小「何なんだね釣堀つりぼりだね。梅「有難ありがたい……私わたしは二十一日にち御飯ごぜんを食たべないので、腹はらの空へつたのが通とほり過すぎた位くらゐなので、小「ぢやア合乗あひのりで往ゆかう。と是これから釣堀つりぼりへまゐりますと、男女なんによの二人連ふたりづれゆゑ先方せんぱうでも気きを利きかして小間こまへ通とほして、蜆しゞみのお汁つけ、お芋いもの煑転につころがしで一猪口いつちよこ出ました。小「さ、お喫たべよ、お前まへの目めが開あいて芽出度めでたいからお祝いはひだよ、私わたしがお酌しやくをして上あげよう……お猪口ちよこは其処そこに有あらアね。梅「へえゝ是これがお猪口ちよこ……ウンナ……手には持慣もちつけて居ゐますが、巧うまく出来できてるもんですな、ヘヽヽ、是これはお徳利とくり、成程なるほど此こン中なかからお酒さけが出るんで、面白おもしろいもんですな。小「何なんだよ、猪口ちよこの中へ指を突つつ込こんでサ、もう眼めが開あいて居ゐるから、お酒さけの覆こぼれる気遣きづかひはないは。梅「へゝゝ不断ふだんやりつけてるもんですから……(一口くち飲のんで猪口ちよこを下に置き)有難ありがたう存ぞんじます、どうも……。小「冷さめない中うちにお吸すひよ、お椀わんを。梅「へえ是これがお椀わんで……お箸はしは……これですか、成程なるほど巧うまく出来できて居ゐますな……ズル〳〵ズル〳〵(汁を吸ふ音)ウン結構けつこうでございます……が、どうもカ堅かたくつて……。小「ホヽいやだよ此人このひとは、蜆しゞみの貝かひごと食たべてさ……あれさお刺身さしみをおかつこみでないよ。梅「へえ……あゝ好いい心持こゝろもちになつた。と漸々だん〴〵盞さかづきがまはつて参まゐるに従したがつて、二人とも眼めの縁ふちほんのり桜色さくらいろとなりました。小「梅喜ばいきさん、本当ほんたうにお前まへ男振をとこぶりを上あげたよ。梅「へえ私わたしは随分ずゐぶん好いい男をとこで、先刻さつき鏡かゞみでよく見ましたが。小「お前まへに去年きよねん私わたしが寸白すばこで引ひいてゐる時分じぶん、宅うちへ療治れうぢに来きたに、梅喜ばいきさんの療治れうぢは下手へただが、何処どこか親切しんせつで彼様あんな実じつの有ある人はないツて、宅うちの小梅こうめが大変たいへんお前まへに岡惚をかぼれをしてゐたよ、あれで眼めが有あつたら何どうだらうと云いつたが、眼めが開あいたから誰だれでも惚ほれるよ、私わたしは本当に岡惚をかぼれをしたワ。梅「えへゝゝゝ冗談じようだん云いつちやアいけません、盲人めくらにからかつちやア困ります。小「盲目めくらだつて眼めが開あいたぢやアないか、冗談じようだんなしに月々つき〴〵一度ど位ぐらゐづゝ遊んでおくれな、え梅喜ばいきさん。梅「あなた、そりやア本当でげすかい。小「本当にも嘘うそにも女をんなの口から此様こんなことを云いひ出すからにやア一生懸命だよ。梅「え……本当なれば私わたしア嬶かゝあを追ひ出しちまひます、へえ鎧橋よろひばしの味噌漉提みそこしさげより醜わるいてえひどい顔で、直すぐにさらけだしちまひます、あなたと三日かでも宜いいから一緒しよに成なり度たいね。と云いつて居をりますと、突然いきなり後うしろの襖ふすまをがらりと開あけて這入はいつて来きた婦人ふじんが怒いかりの声こゑにて、婦人「何なんだとえ。梅「え……何処どこの人ひとだえ。婦人「何処どこの人ひとだつて、お前まへの女房にようばうのお竹たけだよ。梅「お竹たけえ……是これはどうも……。竹「何なんだとえ、今いま聞きいてゐれば、彼奴あいつの顔は此こんなだとか彼あんなだとかでいけないから、さらけだしてしまひ、小春姐こはるねえさんと夫婦ふうふに成ならうと宜よく云いつたな、お前まへ其様そんなことが云いはれた義理ぎりかえ、岩田屋いはたやの旦那だんなに連つれられて浜はまへ往いつて、松まつさんと喧嘩けんくわアして帰かへつて来きた時に何なんとお云いひだえ、あゝ口惜くやしい、真実しんじつの兄弟きやうだいにまで置去おきざりにされるのも己おれの眼めが悪いばかりだ、お竹たけや何卒どうぞ一方かた〳〵でも宜いいから明あけてくれ、どうかエ然さうして薄くも見えるやうにして呉くれと云いふから、私わたしも医者いしやぢやアなし、お前まへの眼めを明あけやうはないが、夫程それほどに思ふなら定さだめし口惜くやしかつたらう、何どうかして薄うすくとも見えるやうにして上あげたいと思つて、茅場町かやばちやうの薬師やくしさまへ願掛ぐわんがけをして、私わたしは手探てさぐりでも御飯ごぜんぐらゐは炊たけますから、私わたしの眼めを潰つぶしても梅喜ばいきさんの眼めを明あけて下くださるやう、御利益ごりやくを偏ひとへに願ひますと無理な願掛ぐわんがけをして、寿命じゆみやうを三年ねん縮ちゞめたので、お前まへの眼めが開あいたのは二十一日目にちめの満願まんぐわんぢやアないか、私わたしは今朝けさ眼めが覚さめてふと見みると、四辺あたりが見えないんだよ、はてな……私わたしの眼めが潰つぶれたか知らん、私わたしが見えなければきつと梅喜ばいきさんの眼めが開あいたらう、それとも無理な願掛ぐわんがけを為したから私わたしへ罰ばちが中あたつて眼めが潰つぶれたのかと思つて、おど〳〵してゐる所ところへ、近江屋あふみやの旦那だんなが帰かへつて来きて、梅喜ばいきの眼めが開あいたから浅草あさくさへ連つれて往いつたが、奥山おくやまで見失みはぐつたけれども、眼めが開あいたから別べつに負傷けがはないから安心して居ゐなと云いはれた時には、私わたしは本当に飛立とびたつ程ほどに嬉うれしく、自分の眼めが潰つぶれた事も思はないでサ、早くお前まへに遇あつて此事このことを聞かしたいと思つたから、お前まへの空杖あきづゑを突ついて方々はう〴〵探さがして歩くと、彼処あすこの茶店ちややで稍やうやく釣堀つりぼりへ往いつたといふ事が解わかつたから、こゝへ来きてもお前まへの女房にようばうとは云いはない。只たゞ梅喜ばいきさんに遇あひたうございます。何卒どうぞ遇あはしておくんなさいまし、私わたしは女按摩をんなあんまでお療治れうぢにまゐりましたと云いつたら、按摩あんまさんなら茲こゝにおいで、今お酒さけが始まつて居ゐるからと云いふので、私わたしは次つぎの間まに居ゐるとも知らず、お前まへは眼めが開あいたと思つて宜よくのめのめと増長ぞうちやうして私わたしを出すと云いつたね。梅喜ばいきは天窓あたまを両手りやうてで押おさへ、梅「はあア誠に面目次第めんぼくしだいもない、お前まへが次つぎの間まに居ゐやうとは知らず、誠に済すまない……。女房にようばうは暫しばらく泣伏なきふし涙を拭ぬぐひつゝ、竹「どうも本当に呆あきれちまつたね、私わたしは死にます……何なにを押おさへるんだ、放はなしておくれ。と止める手先てさきを振切ふりきつて戸外そとへ出る途端とたんに、感が悪いから池の中へずぶり陥はまりました。梅「おゝ……お竹たけや〳〵。竹「何なんだよ、しつかりお為しよ、梅喜ばいきさん〳〵、お起おきよ。と揺ゆり起おこされ、欠伸あくびをしながら手先てさきを掻かき、梅「ハアー……おや燈火あかりを消したかえ。竹「何なにを云いふんだね、しつかりおしよ、お前まへ何なにか夢でも見たのかえ、額ひたひへ汗をかいてゝさ。梅「へえゝ……お前まへは誰だれだえ。竹「ホヽヽ何なんだよ、お竹たけだアね。梅「こゝは釣堀つりぼりかい。竹「何なんだね、宅うちに寐ねて居ゐるんだよ、お前まへ寐耄ねぼけたね、何どうか夢でも見たんだよ。梅「あ……夢かア、おや〳〵盲人めくらてえものは妙めうな者もんだなア、寐ねてゐる中うちには種々いろ〳〵のものが見えたが、眼めが醒さめたら何なにも見えない。……心眼しんがんと云いふお話でございます。

(拠酒井昇造筆記)

底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房

   2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行

底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫

   1964(昭和39)年6月発行

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2009年8月14日作成

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