唐模樣
泉鏡太郎



麗姫りき


 惟おもふに、描ゑがける美人びじんは、活いける醜女しうぢよよりも可か也なり。傳つたへ聞きく、漢かんの武帝ぶていの宮人きうじん麗娟りけん、年としはじめて十四。玉たまの膚はだへ艷つややかにして皓しろく、且かつ澤うるほふ。たきもしめざる蘭麝らんじやおのづから薫かをりて、其その行ゆくや蛺蝶けふてふ相飛あひとべり。蒲柳ほりう纖弱せんじやく、羅綺らきにだも勝たへ難がたし。麗娟りけん常つねに身みの何處いづくにも瓔珞やうらくを挂かくるを好このまず。これ袂たもとを拂はらふに當あたりて、其その柔やはらかなる膚はだへに珠たまの觸ふれて、痕あとを留とゞめむことを恐おそれてなり。知しるべし、今いまの世よに徒いたづらに指環ゆびわの多おほきを欲ほつすると、聊いさゝか其その抱負はうふを異ことにするものあることを。

 麗娟りけん宮中きうちうに歌うたふ時ときは、當代たうだいの才人さいじん李延年りえんねんありて是これに和わす。かの長生殿裡ちやうせいでんり日月じつげつのおそき處ところ、ともに𢌞風くわいふうの曲きよくを唱しやうするに當あたりてや、庭前ていぜん颯さつと風かぜ興おこり、花はなひら〳〵と飜ひるがへること、恰あたかも霏々ひゝとして雪ゆきの散ちるが如ごとくなりしとぞ。

 此この姫きまた毎つねに琥珀こはくを以もつて佩おびとして、襲衣しふいの裡うちに人知ひとしれず包つゝみて緊しむ。立居たちゐ其その度たびになよやかなる玉たまの骨ほね、一ひとつ〳〵琴ことの絲いとの如ごとく微妙びめうの響ひゞきを作なして、聞きくものの血ちを刺さし、肉にくを碎くだかしめき。

 女子ぢよし粧よそほはば寧むしろ恁かくの如ごときを以もつて會心くわいしんの事こととせん。美顏術びがんじゆつに到いたりては抑々そも〳〵末也すゑなり。


勇將ゆうしやう


 同おなじ時とき、賈雍將軍かようしやうぐんは蒼梧さうごの人ひと、豫章よしやうの太守たいしゆとして國くにの境さかひを出いで、夷賊いぞくの寇あだするを討たうじて戰たゝかひに勝かたず。遂つひに蠻軍ばんぐんのために殺ころされ頭かうべを奪うばはる。

 見みよ、頭かしらなき其その骸むくろ、金鎧きんがい一縮いつしゆくして戟ほこを横よこたへ、片手かたてを擧あげつゝ馬うまに跨またがり、砂煙すなけむりを拂はらつてトツ〳〵と陣ぢんに還かへる。陣中ぢんちう豈あに驚おどろかざらんや。頭かうべあるもの腰こしを拔ぬかして、ぺた〳〵と成なつて瞪目たうもくして之これを見みれば、頭かしらなき將軍しやうぐんの胴どう、屹然きつぜんとして馬上ばじやうにあり。胸むねの中なかより聲こゑを放はなつて、叫さけんで曰いはく、無念むねんなり、戰いくさ利りあらず、敵てきのために傷そこなはれぬ。やあ、方々かた〴〵、吾わが頭かうべあると頭かうべなきと何いづれが佳よきや。時ときに賈雍かようが從卒じうそつ、おい〳〵と泣ないて告まをして曰いはく、頭かしらあるこそ佳よく候さふらへ。言いふに從したがうて、將軍しやうぐんの屍しかばね血ちを噴ふいて馬うまより墜おつ。

 勇將ゆうしやうも傑僧けつそうも亦また同おなじ。むかし行簡禪師ぎやうかんぜんじは天台智大師てんだいちだいしの徒弟とていたり。或時あるとき、群盜ぐんたうに遇あうて首かうべを斬きらる。禪師ぜんじ、斬きられたる其その首くびを我手わがてに張子はりこの面めんの如ごとく捧さゝげて、チヨンと、わけもなしに項うなじのよき處ところに乘のせて、大手おほでを擴ひろげ、逃にぐる數十すうじふの賊ぞくを追おうて健すこやかなること鷲わしの如ごとし。尋ついで瘡きず癒いえて死しせずと云いふ。壯さかんなる哉かな、人々ひと〴〵。


愁粧しうしやう


 むかし宋そうの武帝ぶていの女むすめ、壽陽じゆやう麗姫れいき、庭園ていゑんを歩ほする時とき梅うめの花はな散ちりて一片ひとひら其その顏かんばせに懸かゝる。其その俤おもかげまた較たぐふべきものなかりしより、當時たうじの宮女きうぢよ皆みな爭あらそつて輕粉けいふんを以もつて顏かほに白梅しらうめの花はなを描ゑがく、稱しようして梅花粧ばいくわしやうと云いふ。

 隋ずゐの文帝ぶんていの宮中きうちうには、桃花たうくわの粧よそほひあり。其その趣おもむき相似あひにたるもの也なり。皆みな色いろを衒てらひ寵ちようを售うりて、君きみが意こゝろを傾かたむけんとする所以ゆゑん、敢あへて歎美たんびすべきにあらずと雖いへども、然しかれども其その志こゝろざしや可憐也かれんなり。

 司馬相如しばさうじよが妻つま、卓文君たくぶんくんは、眉まゆを畫ゑがきて翠みどりなること恰あたかも遠山とほやまの霞かすめる如ごとし、名なづけて遠山ゑんざんの眉まゆと云いふ。魏ぎの武帝ぶていの宮人きうじんは眉まゆを調とゝのふるに青黛せいたいを以もつてす、いづれも粧よそほふに不可ふかとせず。然しかるに南方なんぱうの文帝ぶんてい、元嘉げんかの年中ねんちう、京洛きやうらくの婦女子ふぢよし、皆みな悉こと〴〵く愁眉しうび、泣粧きふしやう、墮馬髻だばきつ、折要歩せつえうほ、齲齒笑うしせうをなし、貴賤きせん、尊卑そんぴ、互たがひに其その及およばざるを恥はぢとせり。愁眉しうびは即すなはち眉まゆを作つくること町内ちやうないの若旦那わかだんなの如ごとく、細ほそく剃あたりつけて、曲まがり且かつ竦すくむを云いふ。泣粧きふしやうは目めの下したにのみ薄うすく白粉おしろいを塗ぬり一刷ひとはけして、ぐいと拭ぬぐひ置おく。其その状さま涙なみだにうるむが如ごとし。墮馬髻だばきつのものたるや、がつくり島田しまだと云いふに同おなじ。案あんずるに、潰つぶしと云いひ、藝子げいこと云いひ投なげと云いひ、奴やつこはた文金ぶんきん、我わが島田髷しまだまげのがつくりと成なるは、非常ひじやうの時ときのみ。然しかるを、元嘉げんか、京洛きやうらくの貴婦人きふじん、才媛さいゑんは、平時へいじに件くだんの墮馬髻だばきつを結ゆふ。たとへば髷まげを片潰かたつぶして靡なびけ作つくりて馬うまより墮おちて髻もとゞりの横状よこざまに崩くづれたる也なり。折要歩せつえうほは、密そつと拔足ぬきあしするが如ごとく、歩行あゆむに故わざと惱なやむを云いふ、雜ざつと癪持しやくもちの姿すがたなり。齲齒笑うしせうは思おもはせぶりにて、微笑ほゝゑむ時とき毎つねに齲齒むしばの痛いたみに弱々よわ〳〵と打顰うちひそむ色いろを交まじへたるを云いふ。これなん當時たうじの國色こくしよく、大將軍梁冀たいしやうぐんりやうきが妻つま、孫壽夫人そんじゆふじん一流いちりうの媚態びたいより出いでて、天下てんかに洽あまねく、狹土けふど邊鄙へんぴに及およびたる也なり。未いまだ幾いくほどもあらざりき、天下てんか大おほいに亂みだれて、敵軍てきぐん京師けいしに殺倒さつたうし、先まづ婦女子ふぢよしを捕とらへて縱ほしいまゝに凌辱りようじよくを加くはふ。其その時とき恥辱はぢと恐怖おそれとに弱よわきものの聲こゑをも得立えたてず、傷いたみ、悲かなしみ、泣なける容かたち、粧よそほはざるに愁眉しうび、泣粧きふしやう。柳腰りうえう鞭むちに折くじけては折要歩せつえうほを苦くるしみ、金釵きんさい地ちに委ゐしては墮馬髻だばきつを顯實けんじつす。聊いさゝかも其その平常ふだんの化粧けしやうと違たがふことなかりしとぞ。今いまの世よの庇髮ひさしがみ、あの夥おびたゞしく顏かほに亂みだれたる鬢びんのほつれは如何いかに、果はたしてこれ何なんの兆てうをなすものぞ。


捷術せふじゆつ


 隋ずゐの沈光ちんくわう字あざなは總持そうぢ、煬帝やうだいに事つかへて天下第一てんかだいいち驍捷はやわざの達人たつじんたり。帝ていはじめ禪定寺ぜんぢやうじを建立こんりふする時とき、幡はたを立たつるに竿さをの高たかさ十餘丈じふよぢやう。然しかるに大風たいふう忽たちまち起おこりて幡はたの曳綱ひきづな頂いたゞきより斷きれて落おちぬ。これを繋つながんとするに其その大おほいなる旗竿はたざをを倒たふさずしては如何いかんともなし難がたし。これを倒たふさんは不祥ふしやうなりとて、仰あふいで評議ひやうぎ區々まち〳〵なり。沈光ちんくわうこれを見みて笑わらつて曰いはく、仔細しさいなしと。太綱ふとづなの一端いつたんを前齒まへばに銜くはへてする〳〵と竿さをを上のぼりて直たゞちに龍頭りうづに至いたる。蒼空あをぞらに人ひとの點てんあり、飄々へう〳〵として風かぜに吹ふかる。これ尚なほ奇きとするに足たらず。其その綱つなを透とほし果はつるや、筋斗もんどりを打うち、飜然ひらりと飛とんで、土つちに掌てのひらをつくと齊ひとしく、眞倒まつさかさまにひよい〳〵と行ゆくこと十餘歩じふよほにして、けろりと留とまる。觀みるもの驚歎きやうたんせざるはなし。寺僧じそうと時人じじんと、ともに、沈光ちんくわうを呼よんで、肉飛仙にくひせんと云いふ。

 後のちに煬帝やうだい遼東れうとうを攻せむる時とき、梯子はしごを造つくりて敵てきの城中じやうちうを瞰下みおろす。高たかさ正まさに十五丈じふごぢやう。沈光ちんくわう其その尖端とつさきに攀よぢて賊ぞくと戰たゝかうて十數人じふすうにんを斬きる。城兵じやうへい這奴しやつ憎にくきものの振舞ふるまひかなとて、競懸きそひかゝりて半なかばより、梯子はしごを折くじく。沈光ちんくわう頂いたゞきよりひつくりかへりざまに梯子はしごを控ひかへたる綱つなを握にぎり、中空なかぞらより一ひとたび跳返はねかへりて劍けんを揮ふるふと云いへり。それ飛燕ひえんは細身さいしんにしてよく掌中しやうちうに舞まふ、絶代ぜつだいの佳人かじんたり。沈光ちんくわうは男兒だんじのために氣きを吐はくものか。


驕奢けうしや


 洛陽伽藍記らくやうがらんきに云いふ。魏ぎの帝業ていげふを承うくるや、四海しかいこゝに靜謐せいひつにして、王侯わうこう、公主こうしゆ、外戚ぐわいせき、其その富とみ既すでに山河さんがを竭つくして互たがひに華奢くわしや驕榮けうえいを爭あらそひ、園ゑんを脩をさめ宅たくを造つくる。豐室ほうしつ、洞門どうもん、連房れんばう、飛閣ひかく。金銀きんぎん珠玉しゆぎよく巧たくみを極きはめ、喬木けうぼく高樓かうろうは家々かゝに築きづき、花林曲池くわりんきよくちは戸々こゝに穿うがつ。さるほどに桃李たうり夏なつ緑みどりにして竹柏ちくはく冬ふゆ青あをく、霧きり芳かんばしく風かぜ薫かをる。

 就中なかんづく、河間かかん王深わうしんの居邸きよてい、結構けつこう華麗くわれい、其その首しゆたるものにして、然しかも高陽王かうやうわうと華くわを競きそひ、文柏堂ぶんはくだうを造營ざうえいす、莊さかんなること帝居ていきよ徽音殿きおんでんと相齊あひひとし、清水しみづの井ゐに玉轆轤ぎよくろくろを置おき、黄金わうごんの瓶つるべを釣つるに、練絹ねりぎぬの五色ごしきの絲いとを綆つなとす。曰いはく、晉しんの石崇せきそうを見みずや、渠かれは庶子しよしにして尚なほ狐腋雉頭こえきちとうの裘かはごろもあり。況いはんや我われは太魏たいぎの王家わうかと。又また迎風館げいふうくわんを起おこす。

 室しつに、玉鳳ぎよくほうは鈴すゞを啣ふくみ、金龍きんりうは香かうを吐はけり。窓まどに挂かくるもの列錢れつせんの青瑣せいさなり。素しろき柰からなし、朱あかき李すもゝ、枝えだ撓たわゝにして簷のきに入いり、妓妾ぎせふ白碧はくへき、花はなを飾かざつて樓上ろうじやうに坐ざす。其その宗室そうしつを會くわいして、長夜ちやうやの宴えんを張はるに當あたりては、金瓶きんべい、銀榼ぎんかふ百餘ひやくよを陳つらね、瑪瑙めなうの酒盞しゆさん、水晶すゐしやうの鉢はち、瑠璃るりの椀わん、琥珀こはくの皿さら、いづれも工こうの奇きなる中國ちうごく未いまだ嘗かつてこれあらず、皆みな西域せいゐきより齎もたらす處ところ。府庫ふこの内うちには蜀江しよくこうの錦にしき、呉均ごきんの綾あや、氷羅ひようら、罽氈せん、雪穀せつこく、越絹ゑつけん擧あげて計かぞふべからず。王わう、こゝに於おいて傲語がうごして曰いはく、我われ恨うらむらくは石崇せきそうを見みざることを、石崇せきそうも亦また然しからんと。

 晉しんの石崇せきそうは字あざなを季倫きりんと云いふ。季倫きりんの父ちゝ石苞せきはう、位くらゐ已すでに司徒しとにして、其その死しせんとする時とき、遺産ゐさんを頒わかちて諸子しよしに與あたふ。たゞ石崇せきそうには一物いちもつをのこさずして云いふ。此この兒じ、最もつとも少いとけなしと雖いへども、後のちに自おのづから設得まうけえんと。果はたせる哉かな、長ひととなりて荊州けいしうの刺し史しとなるや、潛ひそかに海船かいせんを操あやつり、海うみを行ゆく商賈しやうこの財寶ざいはうを追剥おひはぎして、富とみを致いたすこと算さんなし。後のちに衞尉ゑいゐに拜はいす。室宇しつう宏麗くわうれい、後房こうばう數百人すうひやくにんの舞妓ぶぎ、皆みな綺紈きぐわんを飾かざり、金翠きんすゐを珥はむ。

 嘗かつて河陽かやうの金谷きんこくに別莊べつさうを營いとなむや、花果くわくわ、草樹さうじゆ、異類いるゐの禽獸きんじう一ひとつとしてあらざるものなし。時ときに武帝ぶていの舅しうとに王鎧わうがいと云いへるものあり。驕奢けうしやを石崇せきそうと相競あひきそふ。鎧がい飴あめを以もつて釜かまを塗ぬれば、崇そうは蝋らふを以もつて薪たきゞとす。鎧がい、紫むらさきの紗しやを伸のべて四十里しじふりの歩障ほしやうを造つくれば、崇そうは錦にしきに代かへて是これを五十里ごじふりに張はる。武帝ぶてい其その舅しうとに力ちからを添そへて、まけるなとて、珊瑚樹さんごじゆの高たかさ二尺にしやくなるを賜たまふ。王鎧わうがいどんなものだと云いつて、是これを石崇せきそうに示しめすや、石崇せきそう一笑いつせうして鐵てつ如意によいを以もつて撃うつて碎くだく。王鎧わうがい大おほいに怒いかる。石崇せきそう曰いはく、恨うらむることなかれと即すなはち侍僮じどうに命めいじて、おなじほどの珊瑚さんご六七株ろくしちしゆを出いだして償つぐのひ遷かへしき。

 然しかれども後のち遂つひに其その妓ぎ、緑珠ろくじゆが事ことによりて、中書令ちうしよれい孫秀そんしうがために害がいせらる。

 河間王かかんわうが宮殿きうでんも、河陰かいんの亂逆らんぎやくに遇あうて寺院じゐんとなりぬ。唯たゞ、堂觀廊廡だうくわんらうぶ、壯麗さうれいなるが故ゆゑに、蓬莱ほうらいの仙室せんしつとして呼よばれたるのみ。歎たんずべきかな。朱荷曲池しゆかきよくちのあと、緑萍りよくへう蒼苔さうたい深ふかくく封とざして、寒蛩かんきよう喞々そく〳〵たり、螢流けいりう二三點にさんてん。


空蝉うつせみ


 唐たうの開元年中かいげんねんちう、呉ご楚そ齊せい魯ろの間あひだ、劫賊こふぞくあり。近頃ちかごろは不景氣ふけいきだ、と徒黨とたう十餘輩じふよはいを語かたらうて盛唐縣せいたうけんの塚原つかはらに至いたり、數十すうじふの塚つかを發あばきて金銀寶玉きんぎんはうぎよくを掠取かすめとる。塚つかの中なかに、時ときの人ひとの白茅冢はくばうちようと呼よぶものあり。賊等ぞくら競きそうてこれを發あばく。方はう一丈いちぢやうばかり掘ほるに、地中ちちう深ふかき處ところ四個しこの房閣ばうかくありけり。唯たゞ見みる東ひがしの房ばうには、弓繒きうそう槍戟さうげきを持もちたる人形にんぎやうあり。南みなみの房ばうには、繒綵そうさい錦綺きんき堆うづたかし。牌はいありて曰いはく周夷王所賜しうのいわうたまふところ錦三百端にしきさんびやくたんと。下したに又また棚たなありて金銀きんぎん珠玉しゆぎよくを裝もれり。西にしの房ばうには漆器しつきあり。蒔繪まきゑ新あらたなるものの如ごとし。さて其その北きたの房ばうにこそ、珠たま以もて飾かざりたる棺ひつぎありけれ。内うちに一人いちにんの玉女ぎよくぢよあり。生いけるが如ごとし。緑みどりの髮かみ、桂かつらの眉まゆ、皓齒かうし恰あたかも河貝かばいを含ふくんで、優美いうび端正たんせい畫ゑと雖いへども及およぶべからず。紫むらさきの帔かけ、繍ぬひある〓(「韈」の「罘-不」に代えて「囚」)、珠たまの履くつをはきて坐ざしぬ。香氣かうき一脈いちみやく、芳霞はうか靉靆たなびく。いやな奴やつあり。手てを以もつて密そと肌はだへに觸ふるゝに、滑なめらかに白しろく膩あぶらづきて、猶なほ暖あたゝかなるものに似にたり。

 棺ひつぎの前まへに銀樽ぎんそん一個いつか。兇賊等きようぞくら爭あらそつてこれを飮のむに、甘あまく芳かんばしきこと人界じんかいを絶ぜつす。錦綵寶珠きんさいはうじゆ、賊等ぞくらやがて意こゝろのまゝに取出とりいだしぬ。さて見みるに、玉女ぎよくぢよが左ひだりの手てのくすり指ゆびに小ちひさき玉たまの鐶わを嵌はめたり。其その彫ほりの巧たくみなること、世よの人ひとの得えて造つくるべきものにあらず。いざや、と此これを拔ぬかんとするに、弛ゆるく柔やはらかに、細ほそく白しろくして、然しかも拔ぬくこと能あたはず。頭領陽知春とうりやうやうちしゆん制せいして曰いはく、わい等ら、其それは止よせと。小賊せいぞく肯きかずして、則すなはち刀かたなを執とつて其その指ゆびを切きつて珠たまを盜ぬすむや、指ゆびより紅くれなゐの血ち衝つと絲いとの如ごとく迸ほとばしりぬ。頭領とうりやう面おもてを背そむけて曰いはく、於戲痛哉あゝいたましいかな。

 冢つかを出いでんとするに、矢やあり、蝗いなごの如ごとく飛とぶ。南房なんばうの人形氏にんぎやうし、矢繼早やつぎばやに射いる處ところ、小賊せうぞく皆みな倒たふる。陽知春やうちしゆん一人いちにんのみ命いのちを全まつたうすることを得えて、取とり得えたる寶貝はうばいは盡こと〴〵くこれを冢つかに返かへす。官くわんも亦また後のち、渠かれを許ゆるしつ。軍士ぐんしを遣つかはし冢つかを修をさむ。其時そのとき銘誌めいしを尋たづぬるに得うることなく、誰たが冢つかたるを知しらずと云いふ。


人妖じんえう


 晉しんの少主せうしゆの時とき、婦人ふじんあり。容色ようしよく艷麗えんれい、一代いちだいの佳か。而しかして帶おびの下した空むなしく兩りやうの足あしともに腿もゝよりなし。餘よは常人じやうじんに異ことなるなかりき。其その父ちゝ、此この無足婦人むそくふじんを膝行軌ゐざりぐるまに乘のせ、自みづから推おしめぐらして京都けいとの南みんなみの方かたより長安ちやうあんの都みやこに來きたり、市いちの中なかにて、何どうぞやを遣やる。聚あつまり見みるもの、日ひに數千人すうせんにんを下くだらず。此この婦をんな、聲こゑよくして唱うたふ、哀婉あいゑん聞きくに堪たへたり。こゝに於おいて、はじめは曲巷ちまたの其處此處そここゝより、やがては華屋くわをく、朱門しゆもんに召めされて、其その奧おくに入いらざる處ところ殆ほとんど尠すくなく、彼かれを召めすもの、皆みな其その不具ふぐにして艷えんなるを惜をしみて、金銀きんぎん衣裳いしやうを施ほどこす。然しかるに後年こうねん、京城けいじやうの諸士しよしにして、かの北狄ほくてきの囘文くわいぶんを受うけたるもの少すくなからず、事こと顯あらはるゝに及およびて、官司やくにん、其その密使みつしを案討あんたうするに、無足むそくの婦人ふじん即すなはち然しかり、然しかも奸黨かんたうの張本ちやうほんたりき。後のち遂つひに誅戮ちうりくせらる、恁かくの如ごときもの人妖じんえう也なり。


少年僧せうねんそう


 明州みんしうの人ひと、柳氏りうし、女ぢよあり。優艷いうえんにして閑麗かんれいなり。其その女ぢよ、年としはじめて十六。フト病やまひを患うれひ、關帝くわんていの祠ほこらに祷いのりて日ひあらずして癒いゆることを得えたり。よつて錦繍きんしうの幡はたを造つくり、更さらに詣まうでて願ぐわんほどきをなす。祠ほこらに近ちかき處ところ少年せうねんの僧そうあり。豫かねて聰明そうめいをもつて聞きこゆ。含春がんしゆんが姿すがたを見みて、愛戀あいれんの情じやうに堪たへず、柳氏りうしの姓せいを呪願じゆぐわんして、密ひそかに帝祠ていしに奉たてまつる。其その句ことばに曰いはく、

江南柳嫩緑かうなんのやなぎふたばみどりなり。

未成陰攀折いまだはんせつのかげをなさず。

尚憐枝葉小なほあはれむしえふのせう。

黄鸝飛上力難くわうりとびのぼるちからかたし。

留取待春深りうしゆしてはるのふかきをまつ。

 含春がんしゆんも亦また明敏めいびんにして、此この句くを見みて略ほぼ心こゝろを知しり、大おほいに當代たうだいの淑女振しゆくぢよぶりを發揮はつきして、いけすかないとて父ちゝに告つぐ。父ちゝや、今古こんこの野暮的やぼてん、娘むすめに惚ほれたりとて是これを公おほやけに訴うつたへたり。時ときに方國沴氏はうこくてんし、眞四角まつしかくな先生せんせいにて、すなはち明州みんしうの刺し史したり。忽たちまち僧そうを捕とらへて詰なじつて曰いはく、汝なんぢ何なんの姓せいぞ。恐おそる〳〵對こたへて曰いはく、竺阿彌ちくあみと申まをしますと。方國はうこく僧そうをせめて曰いはく、汝なんぢ職分しよくぶんとして人ひとの迷まよひを導みちびくべし。何なんぞかへつて自みづから色いろに迷まよふことをなして、佗たの女子ぢよしを愛戀あいれんし、剩あまつさへ關帝くわんていの髯ひげに紅べにを塗ぬる。言語道斷ごんごだうだんぢやと。既すでに竹たけの籠かごを作つくらしめ、これに盛もりて江えの中なかに沈しづめんとす。而しかして國沴こくてん、一偈いちげを作つくり汝なんぢが流水りうすゐに歸かへるを送おくるべしとて、因よつて吟ぎんじて云いふ。

江南竹巧匠かうなんのたけのかうしやう。

結成籠好むすんでかごをつくるによし。

與吾師藏法體ごしにあたへてほつたいをかくす。

碧波深處伴蛟龍へきはふかきところかうりうをともなひ。

方知色是空まさにしるいろこれくう。

 竺阿彌ちくあみ、めそ〳〵と泣なきながら、仰おほせなれば是非ぜひもなし。乞こふ吾わが最後さいごの一言いちごんを容いれよ、と云いふ。國沴こくてん何なにをか云いふ、言いはむと欲ほつする處ところ疾とく申まをせ、とある時とき、

江南月如鏡亦如鉤かうなんのつきかゞみのごとくまたつりばりのごとし。

明鏡不臨紅粉面めいきやうのぞまずこうふんのおもて。

曲鉤不上畫簾頭きよくこうのぼらずぐわれんのほとり。

空自照東流むなしくみづからとうりうをてらす。

 國沴こくてん大おほいに笑わらつて、馬鹿ばかめ、おどかしたまでだと。これを釋ゆるし、且かつ還俗げんぞくせしめて、柳含春りうがんしゆんを配はいせりと云いふ。


魅室みしつ


 唐たうの開元年中かいげんねんちうの事こととぞ。戸部郡こぶぐんの令史れいしが妻室さいしつ、美びにして才さいあり。たま〳〵鬼魅きみの憑よる處ところとなりて、疾病やまひ狂きやうせるが如ごとく、醫療いれう手てを盡つくすといへども此これを如何いかんともすべからず。尤もつとも其その病源びやうげんを知しるものなき也なり。

 令史れいしの家いへに駿馬しゆんめあり。無類むるゐの逸物いちもつなり。恆つねに愛矜あいきんして芻秣まぐさを倍まし、頻しきりに豆まめを食はましむれども、日ひに日ひに痩やせ疲つかれて骨立こつりつ甚はなはだし。擧家きよかこれを怪あやしみぬ。

 鄰家りんかに道術だうじゆつの士しあり。童顏どうがん白髮はくはつにして年とし久ひさしく住すむ。或時あるとき談だん此この事ことに及およべば、道士だうし笑わらうて曰いはく、それ馬うまは、日ひに行ゆくこと百里ひやくりにして猶なほ羸つかるゝを性せいとす。況いはんや乃いま、夜よる行ゆくこと千里せんりに餘あまる。寧むしろ死しせざるを怪あやしむのみと。令史れいし驚おどろいて言いふやう、我わが此この馬うまはじめより厩うまやを出いださず祕藏ひざうせり。又また家いへに騎のるべきものなし。何なんぞ千里せんりを行ゆくと云いふや。道人だうじんの曰いはく、君きみ常つねに官くわんに宿直とのゐの夜よに當あたりては、奧方おくがた必かならず斯この馬うまに乘のつて出いでらるゝなり。君きみ更さらに知しりたまふまじ。もしいつはりと思おもはれなば、例れいの宿直とのゐにとて家いへを出いでて、試こゝろみにかへり來きて、密ひそかに伺うかゞうて見みらるべし、と云いふ。

 令史れいし、大おほいに怪あやしみ、即すなはち其その詞ことばの如ごとく、宿直とのゐの夜よ潛ひそかに歸かへりて、他所たしよにかくれて妻つまを伺うかゞふ。初更しよかうに至いたるや、病やめる妻つまなよやかに起おきて、粉黛ふんたい盛粧せいしやう都雅とがを極きはめ、女婢こしもとをして件くだんの駿馬しゆんめを引出ひきいださせ、鞍くらを置おきて階前かいぜんより飜然ひらりと乘のる。女婢こしもと其その後しりへに續つゞいて、こはいかに、掃帚はうきに跨またがり、ハツオウと云いつて前後ぜんごして冉々ぜん〳〵として雲くもに昇のぼり去さつて姿すがたを隱かくす。

 令史れいし少すくなからず顛動てんどうして、夜明よあけて道士だうしの許もとに到いたり嗟歎さたんして云いふ、寔まことに魅みのなす業わざなり。某それがし將はた是これを奈何いかんせむ。道士だうしの曰いはく、君きみ乞こふ潛ひそかにうかゞふこと更さらに一夕ひとばんなれ。其その夜よ令史れいし、堂前だうぜんの幕まくの中なかに潛伏せんぷくして待まつ。二更にかうに至いたりて、妻つま例れいの如ごとく出いでむとして、フト婢こしもとに問とうて曰いはく、何なにを以もつて此このあたりに生いきたる人ひとの氣きあるや。これを我わが國くににては人臭ひとくさいぞと云いふ議ことなり。婢こしもとをして帚はうきに燭ひともし炬たいまつの如ごとくにして偏あまねく見みせしむ。令史れいし慌あわて惑まどひて、傍かたはらにあり合あふ大おほいなる甕かめの中なかに匐隱はひかくれぬ。須臾しばらくして妻つまはや馬うまに乘のりてゆらりと手綱たづなを掻繰かいくるに、帚はうきは燃もしたり、婢こしもとの乘のるべきものなし。遂つひに件くだんの甕かめに騎のりて、もこ〳〵と天上てんじやうす。令史れいし敢あへて動うごかず、昇のぼること漂々へう〳〵として愈々いよ〳〵高たかく、やがて、高山かうざんの頂いたゞき一いつの蔚然うつぜんたる林はやしの間あひだに至いたる。こゝに翠帳すゐちやうあり。七八人しちはちにん群むらがり飮のむに、各おの〳〵妻つまを帶たいして並ならび坐ざして睦むつまじきこと限かぎりなし。更かう闌たけて皆みな分わかれ散ちる時とき、令史れいしが妻つまも馬うまに乘のる。婢こしもとは又また其その甕かめに乘のりけるが心着こゝろづいて叫さけんで曰いはく、甕かめの中なかに人ひとあり。と。蓋ふたを拂はらへば、昏惘こんまうとして令史れいしあり。妻つま、微醉ほろゑひの面おもて、妖艷無比えうえんむひ、令史れいしを見みて更さらに驚おどろかず、そんなものはお打棄うつちやりよと。令史れいしを突出つきだし、大勢おほぜい一所いつしよに、あはゝ、おほゝ、と更さらに空中くうちうに昇去のぼりさりぬ。令史れいし間まの拔ぬけた事こと夥おびたゞし。呆あきれて夜よを明あかすに、山やま深ふかうして人ひとを見みず。道みちを尋たづぬれば家いへを去さること正まさに八百里程はつぴやくりてい。三十日さんじふにちを經へて辛からうじて歸かへる。武者むしやぶり着ついて、これを詰なじるに、妻つま、綾羅りようらにだも堪たへざる状さまして、些ちつとも知しらずと云いふ。又また實まことに知しらざるが如ごとくなりけり。


良夜りやうや


 唐たうの玄宗げんそう、南みなみの方かたに狩かりす。百官ひやくくわん司職ししよく皆みなこれに從したがふ中なかに、王積薪わうせきしんと云いふもの當時たうじ碁ごの名手めいしゆなり。同おなじく扈從こじうして行ゆいて蜀道しよくだうに至いたり、深谿しんけい幽谷いうこくの間あひだにして一軒家いつけんやに宿やど借かる。其その家いへ、姑しうとと婦よめと二人ふたりのみ。

 積薪せきしんに夕餉ゆふげを調とゝのへ畢をはりて夜よに入いりぬ。一間ひとまなる處ところに臥ふさしめ、姑しうとと婦よめは、二人ふたり戸とを閉とぢて別べつに籠こもりて寢いねぬ。馴なれぬ山家やまがの旅たびの宿やどりに積薪せきしん夜更よふけて寢いね難がたく、起たつて簷のきに出いづ。時とき恰あたかも良夜りやうや。折をりから一室處ひとまどころより姑しうとの聲こゑとして、婦よめに云いうて曰いはく、風かぜ靜しづかに露つゆ白しろく、水みづ青あをく、月つき清きよし、一山いつさんの松まつの聲こゑ蕭々せう〳〵たり。何どうだね、一石いつせき行ゆかうかねと。婦よめの聲こゑにて、あゝ好いいわねえ、お母つかさんと云いふ。積薪せきしん私ひそかに怪あやしむ、はてな、此家このいへ、納戸なんどには宵よひから燈あかりも點つけず、わけて二人ふたりの女をんな、別々べつ〳〵の室へやに寢ねた筈はずを、何事なにごとぞと耳みゝを澄すます。

 婦よめは先手せんてと見みゆ。曰いはく、東ひがしの五からはじめて南みなみの九の石いしと、姑しうと言下げんかに應おうじて、東ひがしの五と南みなみの十二と、やゝありて婦よめの聲こゑ。西にしの八ツから南みなみの十へ、姑しうと聊いさゝかも猶豫ためらはず、西にしの九と南みなみの十へ。

 恁かくて互たがひに其その間あひだに考案かうあんする隙ひまありき。さすがに斯道しだうの達人たつじんとて、積薪せきしんは耳みゝを澄すまして、密ひそかに其その戰たゝかひを聞居きゝゐたり。時とき四更しかうに至いたりて、姑しうとの曰いはく、お前まへ、おまけだね、勝かつたが九目くもくだけと。あゝ、然さうですね、と婦よめの聲こゑしてやみぬ。

 積薪せきしん思おもはず悚然ぞつとして、直たゞちに衣冠いくわんを繕つくろひ、若わかき婦よめは憚はゞかりあり、先まず姑しうとの閨ねやにゆき、もし〳〵と聲こゑを掛かけて、さて、一石いつせき願ねがひませう、と即すなはち嗜たしなむ處ところの嚢ふくろより局盤きよくばんの圖づを出いだし、黒白こくびやくの碁子きしを以もつて姑しうとと戰たゝかふ。はじめ二目にもく三目さんもくより、本因坊ほんいんばう膏汗あぶらあせを流ながし、額ひたひに湯煙ゆけむりを立たてながら、得えたる祕法ひはふを試こゝろむるに、僅少わづかに十餘子じふよしを盤ばんに布しくや、忽たちまち敗まけたり。即すなはち踞ひざまづいて教をしへを乞こふ。姑しうと微笑ほゝゑみて、時ときに起おきて座ざに跪坐ついゐたる婦をんなを顧かへりみて曰いふ、お前まへ教をしへてお上あげと。婦よめ、櫛卷くしまきにして端坐たんざして、即すなはち攻守こうしゆ奪救だつきう防殺ばうさつの法はふを示しめす。積薪せきしん習ならひ得えて、將はた天あめが下したに冠くわんたり。

 それ、放はなたれたる女をんなは、蜀道しよくだうの良夜りやうやにあり。敢あへて目白めじろの學校がくかうにあらざる也なり。

明治四十五年三月・六月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行

   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

※表題は底本では、「唐模樣からもやう」とルビがついています。

入力:門田裕志

校正:川山隆

2011年8月6日作成

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