露宿
泉鏡太郎



 二日ふつかの眞夜中まよなか──せめて、たゞ夜よの明あくるばかりをと、一時ひととき千秋せんしうの思おもひで待まつ──三日みつかの午前三時ごぜんさんじ、半なかばならんとする時ときであつた。……

 殆ほとんど、五分ごふん置おき六分ろつぷん置おきに搖返ゆりかへす地震ぢしんを恐おそれ、また火ひを避さけ、はかなく燒出やけだされた人々ひと〴〵などが、おもひおもひに、急難きふなん、危厄きやくを逃にげのびた、四谷見附よつやみつけそと、新公園しんこうゑんの内外うちそと、幾千萬いくせんまんの群集ぐんしふは、皆みな苦にがき睡眠ねむりに落おちた。……殘のこらず眠ねむつたと言いつても可いい。荷にと荷にを合あはせ、ござ、筵むしろを鄰となりして、外濠そとぼりを隔へだてた空そらの凄すさまじい炎ほのほの影かげに、目めの及およぶあたりの人々ひと〴〵は、老おいも若わかきも、算さんを亂みだして、ころ〳〵と成なつて、そして萎なえたやうに皆みな倒たふれて居ゐた。

 ──言いふまでの事ことではあるまい。昨日さくじつ……大正たいしやう十二年ねん九月ぐわつ一日じつ午前ごぜん十一時じ五十八分ふんに起おこつた大地震おほぢしんこのかた、誰たれも一睡いつすゐもしたものはないのであるから。

 麹町かうぢまち、番町ばんちやうの火事くわじは、私わたしたち鄰家りんか二三軒にさんげんが、皆みな跣足はだしで逃出にげだして、此この片側かたがはの平家ひらやの屋根やねから瓦かはらが土煙つちけむりを揚あげて崩くづるゝ向側むかうがはを駈拔かけぬけて、いくらか危險きけんの少すくなさうな、四角よつかどを曲まがつた、一方いつぱうが廣庭ひろにはを圍かこんだ黒板塀くろいたべいで、向側むかうがはが平家ひらやの押潰おしつぶれても、一二尺いちにしやくの距離きよりはあらう、其その黒塀くろべいに眞俯向まうつむけに取とり縋すがつた。……手てのまだ離はなれない中うちに、さしわたし一町いつちやうとは離はなれない中六番町なかろくばんちやうから黒煙くろけむりを揚あげたのがはじまりである。──同時どうじに、警鐘けいしようを亂打らんだした。が、恁かくまでの激震げきしんに、四谷見附よつやみつけの、高たかい、あの、火ひの見みの頂邊てつぺんに活いきて人ひとがあらうとは思おもはれない。私わたしたちは、雲くもの底そこで、天てんが摺半鐘すりばんを打うつ、と思おもつて戰慄せんりつした。──「水みづが出でない、水道すゐだうが留とまつた」と言いふ聲こゑが、其處そこに一團いちだんに成なつて、足あしと地ちとともに震ふるへる私わたしたちの耳みゝを貫つらぬいた。息いきつぎに水みづを求もとめたが、火ひの注意ちういに水道すゐだうの如何いかんを試こゝろみた誰たれかが、早速さそくに警告けいこくしたのであらう。夢中むちうで誰たれとも覺おぼえて居ゐない。其その間近まぢかな火ひは樹きに隱かくれ、棟むねに伏ふせつて、却かへつて、斜なゝめの空そらはるかに、一柱いつちうの炎ほのほが火ひを捲まいて眞直まつすぐに立たつた。續つゞいて、地軸ちぢくも碎くだくるかと思おもふ凄すさまじい爆音ばくおんが聞きこえた。婦をんなたちの、あつと言いつて地ちに領伏ひれふしたのも少すくなくない。その時とき、横町よこちやうを縱たてに見通みとほしの眞空まぞらへ更さらに黒煙こくえんが舞起まひおこつて、北東ほくとうの一天いつてんが一寸いつすんを餘あまさず眞暗まつくらに代かはると、忽たちまち、どゞどゞどゞどゞどゞと言いふ、陰々いん〳〵たる律りつを帶おびた重おもく凄すごい、殆ほとんど形容けいようの出來できない音おとが響ひゞいて、炎ほのほの筋すぢを蜿うねらした可恐おそろしい黒雲くろくもが、更さらに煙けむりの中なかを波なみがしらの立たつ如ごとく、烈風れつぷうに駈𢌞かけまはる!……あゝ迦具土かぐつちの神かみの鐵車てつしやを驅かつて大都會だいとくわいを燒亡やきほろぼす車輪しやりんの轟とゞろくかと疑うたがはれた。──「あれは何なんの音おとでせうか。」──「然さやう何なんの音おとでせうな。」近鄰きんりんの人ひとの分別ふんべつだけでは足たりない。其處そこに居合ゐあはせた禿頭とくとう白髯はくぜんの、見みも知しらない老紳士らうしんしに聞きく私わたしの聲こゑも震ふるへれば、老紳士らうしんしの脣くちびるの色いろも、尾花をばなの中なかに、たとへば、なめくぢの這はふ如ごとく土氣色つちけいろに變かはつて居ゐた。

 ──前まへのは砲兵工廠はうへいこうしやうの焚やけた時ときで、續つゞいて、日本橋にほんばし本町ほんちやうに軒のきを連つらねた藥問屋くすりどひやの藥くすりぐらが破裂はれつしたと知しつたのは、五六日ごろくにちも過すぎての事こと。……當時たうじのもの可恐おそろしさは、われ等らの乘漾のりたゞよふ地ちの底そこから、火焔くわえんを噴はくかと疑うたがはれたほどである。

 が、銀座ぎんざ、日本橋にほんばしをはじめ、深川ふかがは、本所ほんじよ、淺草あさくさなどの、一時いちじに八はつヶ所しよ、九きうヶ所しよ、十幾じふいくヶ所しよから火ひの手ての上あがつたのに較くらべれば、山やまの手ては扨さて何なんでもないもののやうである、が、それは後のちに言いふ事ことで、……地震ぢしんとともに燒出やけだした中六番町なかろくばんちやうの火ひが……いま言いつた、三日みつかの眞夜中まよなかに及およんで、約やく二十六時間にじふろくじかん。尚なほ熾さかんに燃もえたのであつた。

 しかし、其その當時たうじ、風かぜは荒あらかつたが、眞南まみなみから吹ふいたので、聊いさゝか身みがつてのやうではあるけれども、町内ちやうないは風上かざかみだ。差さしあたり、火ひに襲おそはるゝ懼おそれはない。其處そこで各自めい〳〵が、かの親不知おやしらず、子不知こしらずの浪なみを、巖穴いはあなへ逃にげる状さまで、衝つと入はひつては颯さつと出でつゝ、勝手許かつてもと、居室ゐまなどの火ひを消けして、用心ようじんして、それに第一だいいちたしなんだのは、足袋たびと穿はきもので、驚破すは、逃出にげだすと言いふ時ときに、わが家やへの出入でいりにも、硝子がらす、瀬戸せとものの缺片かけら、折釘をれくぎで怪我けがをしない注意ちういであつた。そのうち、隙すきを見みて、縁臺えんだいに、薄うすべりなどを持出もちだした。何なにが何どうあらうとも、今夜こんやは戸外おもてにあかす覺悟かくごして、まだ湯ゆにも水みづにもありつけないが、吻ほつと息いきをついた處ところへ──

 前日ぜんじつみそか、阿波あはの徳島とくしまから出京しゆつきやうした、濱野英二はまのえいじさんが駈かけつけた。英語えいごの教鞭けうべんを取とる、神田かんだ三崎町みさきちやうの第五中學だいごちうがくへ開校式かいかうしきに臨のぞんだが、小使こづかひが一人ひとり梁はりに挫ひしがれたのと摺すれ違ちがひに逃出にげだしたと言いふのである。

 あはれ、此これこそ今度こんどの震災しんさいのために、人ひとの死しを聞きいたはじめであつた。──たゞ此これにさへ、一同いちどうは顏かほを見合みあはせた。

 内うちの女中ぢよちうの情なさけで。……敢あへて女中ぢよちうの情なさけと言いふ。──此この際さい、臺所だいどころから葡萄酒ぶだうしゆを二罎にびん持出もちだすと言いふに到いたつては生命いのちがけである。けちに貯たくはへた正宗まさむねは臺所だいどころへ皆みな流ながれた。葡萄酒ぶだうしゆは安値やすいのだが、厚意こゝろざしは高價たかい。たゞし人目ひとめがある。大道だいだうへ持出もちだして、一杯いつぱいでもあるまいから、土間どまへ入はひつて、框かまちに堆うづたかく崩くづれつんだ壁土かべつちの中なかに、あれを見みよ、蕈きのこの生はえたやうな瓶びんから、逃腰にげごしで、茶碗ちやわんで呷あふつた。言いふべき場合ばあひではないけれども、まことに天てんの美祿びろくである。家内かないも一口ひとくちした。不斷ふだん一滴いつてきも嗜たしなまない、一軒いつけんとなりの齒科しくわの白井しらゐさんも、白しろい仕事着しごとぎのまゝで傾かたむけた。

 これを二碗にわんと傾かたむけた鄰家りんかの辻井つじゐさんは向むかう顱卷はちまき膚脱はだぬぎの元氣げんきに成なつて、「さあ、こい、もう一度いちど搖ゆすつて見みろ。」と胸むねを叩たゝいた。

 婦をんなたちは怨うらんだ。が、結句けつく此これがために勢いきほひづいて、茣蓙ござ縁臺えんだいを引摺ひきずり〳〵、とにかく黒塀くろべいについて、折曲をりまがつて、我家々々わがや〳〵の向むかうまで取とつて返かへす事ことが出來できた。

 襖ふすま障子しやうじが縱横じうわうに入亂いりみだれ、雜式家具ざふしきかぐの狼藉らうぜきとして、化性けしやうの如ごとく、地ちの震ふるふたびに立たち跳をどる、誰たれも居ゐない、我わが二階家にかいやを、狹せまい町まちの、正面しやうめんに熟じつと見みて、塀越へいごしのよその立樹たちきを廂ひさしに、櫻さくらのわくら葉ばのぱら〳〵と落おちかゝるにさへ、婦をんなは聲こゑを發たて、男をとこはひやりと肝きもを冷ひやして居ゐるのであつた。が、もの音おと、人聲ひとごゑさへ定さだかには聞取きゝとれず、たまに駈かける自動車じどうしやの響ひゞきも、燃もえ熾さかる火ひの音おとに紛まぎれつゝ、日ひも雲くもも次第々々しだい〳〵に黄昏たそがれた。地震ぢしんも、小をやみらしいので、風上かざかみとは言いひながら、模樣もやうは何どうかと、中六なかろくの廣通ひろどほりの市いちヶ谷や近ちかい十字街じふじがいへ出でて見みると、一度いちどやゝ安心あんしんをしただけに、口くちも利きけず、一驚いつきやうを喫きつした。

 半町はんちやうばかり目めの前まへを、火ひの燃通もえとほる状さまは、眞赤まつかな大川おほかはの流ながるゝやうで、然しかも凪なぎた風かぜが北きたに變かはつて、一旦いつたん九段上くだんうへへ燒やけ拔ぬけたのが、燃返もえかへつて、然しかも低地ていちから、高臺たかだいへ、家々いへ〳〵の大巖おほいはに激げきして、逆流ぎやくりうして居ゐたのである。

 もはや、……少々せう〳〵なりとも荷にもつをと、きよと〳〵と引返ひきかへした。が、僅わづかにたのみなのは、火先ひさきが僅わづかばかり、斜なゝめにふれて、下しも、中なか、上かみの番町ばんちやうを、南みなみはづれに、東ひがしへ……五番町ごばんちやうの方はうへ燃進もえすゝむ事ことであつた。

 火ひの雲くもをかくした櫻さくらの樹立こだちも、黒塀くろべいも暗くらく成なつた。舊暦きうれき七月ぐわつ二十一日にちばかりの宵闇よひやみに、覺束おぼつかない提灯ちやうちんの灯ひ一ひとつ二ふたつ、婦をんなたちは落人おちうどが夜鷹蕎麥よたかそばの荷にに踞かゞんだ形かたちで、溝端どぶばたで、のどに支つかへる茶漬ちやづけを流ながした。誰たれひとり晝食ひるを濟すまして居ゐなかつたのである。

 火ひを見みるな、火ひを見みるな、で、私わたしたちは、すぐ其その傍わきの四角よつかどに彳たゝずんで、突通つきとほしに天てんを浸ひたす炎ほのほの波なみに、人心地ひとごこちもなく醉よつて居ゐた。

 時々とき〴〵、魔まの腕うでのやうな眞黒まつくろな煙けむりが、偉おほいなる拳こぶしをかためて、世よを打うちひしぐ如ごとくむく〳〵立たつ。其處そこだけ、火ひが消きえかゝり、下火したびに成なるのだらうと、思おもつたのは空頼そらだのみで「あゝ、惡わるいな、あれが不可いけねえ。……火ひの中なかへふすぶつた煙けむりの立たつのは新あたらしく燃もえついたんで……」と通とほりかゝりの消防夫しごとしが言いつて通とほつた──


(──小稿せうかう……まだ持出もちだしの荷にも解とかず、框かまちをすぐの小間こまで……こゝを草さうする時とき……

「何どうしました。」

 と、はぎれのいゝ聲こゑを掛かけて、水上みなかみさんが、格子かうしへ立たつた。私わたしは、家内かないと駈出かけだして、ともに顏かほを見みて手てを握にぎつた。──悉くはしい事ことは預あづかるが、水上みなかみさんは、先月せんげつ三十一日にちに、鎌倉かまくら稻瀬川いなせがはの別莊べつさうに遊あそんだのである。別莊べつさうは潰つぶれた。家族かぞくの一人いちにんは下敷したじきに成なんなすつた。が、無事ぶじだつたのである。──途中とちうで出であつたと言いつて、吉井勇よしゐいさむさんが一所いつしよに見みえた。これは、四谷よつやに居ゐて無事ぶじだつた。が、家いへの裏うらの竹藪たけやぶに蚊帳かやを釣つつて難なんを避さけたのださうである──)


 ──前まへのを續つゞける。……

 其處そこへ──

「如何いかゞ。」

 と聲こゑを掛かけた一人ひとりがあつた。……可懷なつかしい聲こゑだ、と見みると、弴とんさんである。

「やあ、御無事ごぶじで。」

 弴とんさんは、手拭てぬぐひを喧嘩被けんくわかぶり、白地しろぢの浴衣ゆかたの尻端折しりぱしよりで、いま逃出にげだしたと言いふ形かたちだが、手てを曳ひいて……は居ゐなかつた。引添ひきそつて、手拭てぬぐひを吉原よしはらかぶりで、艷えんな蹴出けだしの褄端折つまぱしよりをした、前髮まへがみのかゝり、鬢びんのおくれ毛げ、明眸皓齒めいぼうかうしの婦人ふじんがある。しつかりした、さかり場ばの女中ぢよちうらしいのが、もう一人ひとり後あとについてゐる。

 執筆しつぴつの都合上つがふじやう、赤坂あかさかの某旅館ぼうりよくわんに滯在たいざいした、家いへは一堪ひとたまりもなく潰つぶれた。──不思議ふしぎに窓まどの空所くうしよへ橋はしに掛かゝつた襖ふすまを傳つたつて、上あがりざまに屋根やねへ出でて、それから山王樣さんわうさまの山やまへ逃上にげあがつたが、其處そこも火ひに追おはれて逃のがるゝ途中とちう、おなじ難なんに逢あつて燒出やけだされたため、道傍みちばたに落おちて居ゐた、此この美人びじんを拾ひろつて來きたのださうである。

 正面しやうめんの二階にかいの障子しやうじは紅くれなゐである。

 黒塀くろべいの、溝端どぶばたの茣蓙ござへ、然さも疲つかれたやうに、ほつと、くの字じに膝ひざをついて、婦連をんなれんがいたはつて汲くんで出だした、ぬるま湯ゆで、輕かるく胸むねをさすつた。その婦をんなの風情ふぜいは媚なまめかしい。

 やがて、合方あひかたもなしに、此この落人おちうどは、すぐ横町よこちやうの有島家ありしまけへ入はひつた。たゞで通とほす關所せきしよではないけれど、下六同町内しもろくどうちやうないだから大目おほめに見みて置おく。

 次手ついでだから話はなさう。此これと對つゐをなすのは淺草あさくさの万まんちやんである。お京きやうさんが、圓髷まるまげの姉あねさんかぶりで、三歳みツつのあかちやんを十じふの字じに背中せなかに引背負ひつしよひ、たびはだし。万まんちやんの方はうは振分ふりわけの荷にを肩かたに、わらぢ穿ばきで、雨あめのやうな火ひの粉この中なかを上野うへのをさして落おちて行ゆくと、揉返もみかへす群集ぐんしふが、

「似合にあひます。」

 と湧わいた。ひやかしたのではない、まつたく同情どうじやうを表へうしたので、

「いたはしいナ、畜生ちくしやう。」

 と言いつたと言いふ──眞個ほんたうか知しらん、いや、嘘うそでない。此これは私わたしの内うちへ來きて(久保勘くぼかん)と染そめた印半纏しるしばんてんで、脚絆きやはんの片かたあしを擧あげながら、冷酒ひやざけのいきづきで御當人ごたうにんの直話ぢきわなのである。


「何どうなすつて。」

 少時しばらくすると、うしろへ悠然いうぜんとして立たつた女性によしやうがあつた。

「あゝ……いまも風説うはさをして、案あんじて居ゐました。お住居すまひは澁谷しぶやだが、あなたは下町したまちへお出掛でかけがちだから。」

 と私わたしは息いきをついて言いつた、八千代やちよさんが來きたのである、四谷坂町よつやさかまちの小山内をさないさん(阪地滯在中はんちたいざいちう)の留守見舞るすみまひに、澁谷しぶやから出でて來きなすつたと言いふ。……御主人ごしゆじんの女をんなの弟子でしが、提灯ちやうちんを持もつて連立つれだつた。八千代やちよさんは、一寸ちよつと薄化粧うすげしやうか何なにかで、鬢びんも亂みださず、杖つゑを片手かたてに、しやんと、きちんとしたものであつた。

「御主人ごしゆじんは?」

「……冷藏庫れいざうこに、紅茶こうちやがあるだらう……なんか言いつて、呆あきれつ了ちまひますわ。」

 是これは偉えらい!……畫伯ぐわはくの自若じじやくたるにも我折がをつた。が、御當人ごたうにんの、すまして、これから又また澁谷しぶやまで火かを潛くゞつて歸かへると言いふには舌したを卷まいた。


「雨戸あまどをおしめに成ならんと不可いけません。些ちつと火ひの粉こが見みえて來きました。あれ、屋根やねの上うへを飛とびます。……あれがお二階にかいへ入はひりますと、まつたく危あぶなうございますで、ございますよ。」

 と餘所よそで……經驗けいけんのある、近所きんじよの産婆さんばさんが注意ちういをされた。

 實じつは、炎ほのほに飽あいて、炎ほのほに背そむいて、此この火ひたとひ家いへを焚やくとも、せめて清すゞしき月つき出いでよ、と祈いのれるかひに、天てんの水晶宮すゐしやうぐうの棟むねは櫻さくらの葉はの中なかに顯あらはれて、朱しゆを塗ぬつたやうな二階にかいの障子しやうじが、いま其その影かげにやゝ薄うすれて、凄すごくも優やさしい、威ゐあつて、美うつくしい、薄桃色うすもゝいろに成なると同時どうじに、中天ちうてんに聳そびえた番町小學校ばんちやうせうがくかうの鐵柱てつちうの、火柱ひばしらの如ごとく見みえたのさへ、ふと紫むらさきにかはつたので、消けすに水みづのない劫火ごふくわは、月つきの雫しづくが冷さますのであらう。火勢くわせいは衰おとろへたやうに思おもつて、微かすかに慰なぐさめられて居ゐた處ところであつたのに──

 私わたしは途方とはうにくれた。──成程なるほどちら〳〵と、……

「ながれ星ぼしだ。」

「いや、火ひの粉こだ。」

 空そらを飛とぶ──火事くわじの激はげしさに紛まぎれた。が、地震ぢしんが可恐おそろしいため町まちにうろついて居ゐるのである。二階にかいへ上あがるのは、いのち懸がけでなければ成ならない。私わたしは意氣地いくぢなしの臆病おくびやうの第一人だいいちにんである。然さうかと言いつて、焚もえても構かまひませんと言いはれた義理ぎりではない。

 濱野はまのさんは、其その元園町もとぞのちやうの下宿げしゆくの樣子やうすを見みに行いつて居ゐた。──氣きの毒どくにも、其その宿やどでは澤山たくさんの書籍しよせきと衣類いるゐとを焚やいた。

 家内かないと二人ふたりで、──飛込とびこまうとするのを視みて、

「私わたしがしめてあげます。お待まちなさい。」

 白井しらゐさんが懷中電燈くわいちうでんとうをキラリと點つけて、さう言いつて下くだすつた。私わたしは口吃くちきつしつゝ頭かうべを下さげた。

「俺わしも一番ひとつ。」

 で、來合きあはせた馴染なじみの床屋とこやの親方おやかたが一所いつしよに入はひつた。

 白井しらゐさんの姿すがたは、火ひよりも月つきに照てらされて、正面しやうめんの縁えんに立たつて、雨戸あまどは一枚いちまいづゝがら〳〵と閉しまつて行ゆく。

 此この勢いきほひに乘のつて、私わたしは夢中むちうで駈上かけあがつて、懷中電燈くわいちうでんとうの燈あかりを借かりて、戸袋とぶくろの棚たなから、觀世音くわんぜおんの塑像そざうを一體いつたい、懷中くわいちうし、机つくゑの下したを、壁土かべつちの中なかを探さぐつて、なき父ちゝが彫ほつてくれた、私わたしの眞鍮しんちうの迷子札まひごふだを小ちひさな硯すゞりの蓋ふたにはめ込こんで、大切たいせつにしたのを、幸さいはひに拾ひろつて、これを袂たもとにした。

 私わたしたちは、其それから、御所前ごしよまへの廣場ひろばを志こゝろざして立退たちのくのに間まはなかつた。火ひは、尾をの二筋ふたすぢに裂さけた、燃もゆる大蛇おろちの兩岐ふたまたの尾をの如ごとく、一筋ひとすぢは前さきのまゝ五番町ごばんちやうへ向むかひ、一筋ひとすぢは、別べつに麹町かうぢまちの大通おほどほりを包つゝんで、此この火ひの手てが襲おそひ近ちかづいたからである。

「はぐれては不可いけない。」

「荷にを棄すてても手てを取とるやうに。」

 口々くち〴〵に言いひ交かはして、寂然しんとした道みちながら、往來ゆききの慌あわたゞしい町まちを、白井しらゐさんの家族かぞくともろともに立退たちのいた。

「泉いづみさんですか。」

「はい。」

「荷にもつを持もつて上あげませう。」

 おなじむきに連立つれだつた學生がくせいの方かたが、大方おほかた居ゐまはりで見知越みしりごしであつたらう。言いふより早はやく引擔ひつかついで下くだすつた。

 私わたしは、其その好意かういに感謝かんしやしながら、手てに持もちおもりのした慾よくを恥はぢて、やせた杖つゑをついて、うつむいて歩行あるき出だした。

 横町よこちやうの道みちの兩側りやうがはは、荷にと人ひとと、兩側りやうがは二列ふたならびの人ひとのたゝずまひである。私わたしたちより、もつと火ひに近ちかいのが先さきんじて此この町内ちやうないへ避難ひなんしたので、……皆みな茫然ばうぜんとして火ひの手てを見みて居ゐる。赤あかい額ひたひ、蒼あをい頬ほゝ──辛からうじて煙けむりを拂はらつた絲いとのやうな殘月ざんげつと、火ひと炎ほのほの雲くもと、埃ほこりのもやと、……其その間あひだを地上ちじやうに綴つゞつて、住すめる人ひともないやうな家々いへ〳〵の籬まがきに、朝顏あさがほの蕾つぼみは露つゆも乾かわいて萎しをれつゝ、おしろいの花はなは、緋ひは燃もえ、白しろきは霧きりを吐はいて咲さいて居ゐた。

 公園こうゑんの廣場ひろばは、既すでに幾萬いくまんの人ひとで滿みちて居ゐた。私わたしたちは、其その外側そとがはの濠ほりに向むかつた道傍みちばたに、やう〳〵地ちのまゝの蓆むしろを得えた。

「お邪魔じやまをいたします。」

「いゝえ、お互樣たがひさま。」

「御無事ごぶじで。」

「あなたも御無事ごぶじで。」

 つい、鄰となりに居ゐた十四五人じふしごにんの、殆ほとんど十二三人じふにさんにんが婦人ふじんの一家いつかは、淺草あさくさから火ひに追おはれ、火ひに追おはれて、こゝに息いきを吐ついたさうである。

 見みると……見渡みわたすと……東南とうなんに、芝しば、品川しながはあたりと思おもふあたりから、北きたに千住せんぢう淺草あさくさと思おもふあたりまで、此この大都だいとの三面さんめんを弧こに包つゝんで、一面いちめんの火ひの天てんである。中なかを縫ぬひつゝ、渦うづを重かさねて、燃上もえあがつて居ゐるのは、われらの借家しやくやに寄よせつゝある炎ほのほであつた。

 尾籠びろうながら、私わたしはハタと小用こように困こまつた。辻便所つじべんじよも何なんにもない。家内かないが才覺さいかくして、此この避難場ひなんばに近ちかい、四谷よつやの髮結かみゆひさんの許もとをたよつて、人ひとを分わけ、荷にを避さけつゝ辿たどつて行ゆく。……ずゐぶん露地ろぢを入組いりくんだ裏屋うらやだから、恐おそる〳〵、それでも、崩くづれ瓦がはらの上うへを踏ふんで行ゆきつくと、戸とは開あいたけれども、中なかに人氣ひとけは更さらにない。おなじく難なんを避さけて居ゐるのであつた。

「さあ、此方こつちへ。」

 馴染なじみがひに、家内かないが茶ちやの間まへ導みちびいた。

「どうも恐縮きようしゆくです。」

 と、うつかり言いつて、挨拶あいさつして、私わたしたちは顏かほを見みて苦笑くせうした。

 手てを淨きよめようとすると、白濁しろにごりでぬら〳〵する。

「大丈夫だいぢやうぶよ──かみゆひさんは、きれい好ずきで、それは消毒せうどくが入はひつて居ゐるんですから。」

 私わたしは、とる帽ばうもなしに、一禮いちれいして感佩かんぱいした。

 夜よが白しらんで、もう大釜おほがまの湯ゆの接待せつたいをして居ゐる處ところがある。

 この歸途かへりに、公園こうゑんの木きの下したで、小枝こえだに首くびをうなだれた、洋傘パラソルを疊たゝんだばかり、バスケツト一ひとつ持もたない、薄色うすいろの服ふくを着つけた、中年ちうねんの華奢きやしやな西洋婦人せいやうふじんを視みた。──紙かみづつみの鹽煎餅しほせんべいと、夏蜜柑なつみかんを持もつて、立寄たちよつて、言ことばも通つうぜず慰なぐさめた人ひとがある。私わたしは、人ひとのあはれと、人ひとの情なさけに涙なみだぐんだ──今いまも泣なかるゝ。

 二日ふつか──此この日ひ正午しやうごのころ、麹町かうぢまちの火ひは一度いちど消きえた。立派りつぱに消口けしぐちを取とつたのを見屆みとゞけた人ひとがあつて、もう大丈夫だいぢやうぶと言いふ端はしに、待構まちかまへたのが皆みな歸支度かへりじたくをする。家内かないも風呂敷包ふろしきづつみを提さげて駈かけ戻もどつた。女中ぢよちうも一荷ひとに背負しよつてくれようとする處ところを、其處そこが急所きふしよだと消口けしぐちを取とつた處ところから、再ふたゝび猛然まうぜんとして煤すゝのやうな煙けむりが黒焦くろこげに舞上まひあがつた。渦うづも大おほきい。幅はゞも廣ひろい。尾をと頭あたまを以もつて撃うつた炎ほのほの大蛇おろちは、黒蛇くろへびに變へんじて剩あまつさへ胴中どうなかを蜿うねらして家々いへ〳〵を卷まきはじめたのである。それから更さらに燃もえ續つゞけ、焚やけ擴ひろがりつゝ舐なめ近ちかづく。

 一度いちど内うちへ入はひつて、神棚かみだなと、せめて、一間ひとまだけもと、玄關げんくわんの三疊さんでふの土つちを拂はらつた家内かないが、又また此この野天のでんへ逃戻にげもどつた。私わたしたちばかりでない。──皆みなもう半なかば自棄やけに成なつた。

 もの凄すごいと言いつては、濱野はまのさんが、家内かないと一所いつしよに何なにか罐詰くわんづめのものでもあるまいかと、四谷通よつやどほりへ夜よに入はひつて出向でむいた時ときだつた。……裏町うらまち、横通よこどほりも、物音ものおとひとつも聞きこえないで、靜しづまり返かへつた中なかに、彼方此方あちらこちらの窓まどから、どしん〳〵と戸外おもてへ荷物にもつを投なげて居ゐる。火ひは此處こゝの方はうが却かへつて押おしつゝまれたやうに激はげしく見みえた。灯ひ一ひとつない眞暗まつくらな中なかに、町まちを歩行あるくものと言いつては、まだ八時はちじと言いふのに、殆ほとんど二人ふたりのほかはなかつたと言いふ。

 罐詰くわんづめどころか、蝋燭らふそくも、燐寸マツチもない。

 通とほりかゝつた見知越みしりごしの、みうらと言いふ書店しよてんの厚意こういで、茣蓙ござを二枚にまいと、番傘ばんがさを借かりて、砂すなの吹ふきまはす中なかを這々はふ〳〵の體ていで歸かへつて來きた。

 で、何なににつけても、殆ほとんどふて寢ねでもするやうに、疲つかれて倒たふれて寢ねたのであつた。


 却説さて──その白井しらゐさんの四歳よツつに成なる男をとこの兒この、「おうちへ歸かへらうよ、歸かへらうよ。」と言いつて、うら若わかい母かあさんとともに、私わたしたちの胸むねを疼いたませたのも、その母かあさんの末すゑの妹いもうとの十一二に成なるのが、一生懸命いつしやうけんめいに學校用がくかうようの革鞄かばん一ひとつ膝ひざに抱だいて、少女せうぢよのお伽とぎの繪本ゑほんを開あけて、「何なんです。こんな處ところで。」と、叱しかられて、おとなしくたゝんで、ほろりとさせたのも、宵よひの間まで。……今いまはもう死しんだやうに皆みな睡ねむつた。──

 深夜しんや。

 二時にじを過すぎても鷄とりの聲こゑも聞きこえない。鳴なかないのではあるまい。燃もえ近ちかづく火ひの、ぱち〳〵〳〵、ぐわう〳〵どツと鳴なる音おとに紛まぎるゝのであらう。唯たゞ此時このとき、大路おほぢを時ときに響ひゞいたのは、肅然しゆくぜんたる騎馬きばのひづめの音おとである。火ひのあかりに映うつるのは騎士きしの直劍ちよくけんの影かげである。二人ふたり三人みたりづゝ、いづくへ行ゆくとも知しらず、いづくから來くるとも分わかず、とぼ〳〵した女をんなと男をとこと、女をんなと男なとこと、影かげのやうに辿たゞよひ徜徉さまよふ。

 私わたしはじつとして、又またたゞひとへに月影つきかげを待まつた。

 白井しらゐさんの家族かぞくが四人よにん、──主人しゆじんはまだ燒やけない家いへを守まもつてこゝにはみえない──私わたしたちと、……濱野はまのさんは八千代やちよさんが折紙をりがみをつけた、いゝ男をとこださうだが、仕方しかたがない。公園こうゑんの圍かこひの草畝くさあぜを枕まくらにして、うちの女中ぢよちうと一ひとつ毛布けつとにくるまつた。これに鄰となつて、あの床屋子とこやしが、子供弟子こどもでしづれで、仰向あふむけに倒たふれて居ゐる。僅わづかに一坪ひとつぼたらずの處ところへ、荷にを左右さいうに積つんで、此この人數にんずである。もの干棹ほしざをにさしかけの茣蓙ござの、しのぎをもれて、外そとにあふれた人ひとたちには、傘かさをさしかけて夜露よつゆを防ふせいだ。

 が、夜風よかぜも、白露しらつゆも、皆みな夢ゆめである。其その風かぜは黒くろく、其その露つゆも赤あかからう。

 唯と、こゝに、低ひくい草畝くさあぜの内側うちがはに、露つゆとともに次第しだいに消きえ行ゆく、提灯ちやうちんの中なかに、ほの白しろく幽かすかに見みえて、一張ひとはりの天幕テントがあつた。──晝間ひるま赤あかい旗はたが立たつて居ゐた。此この旗はたが音おともなく北きたの方はうへ斜なゝめに靡なびく。何處どこか大商店だいしやうてんの避難ひなんした……其その店員てんゐんたちが交代かうたいに貨物くわもつの番ばんをするらしくて、暮くれ方がたには七三しちさんの髮かみで、眞白まつしろで、この中なかで友染いうぜん模樣もやうの派手はでな單衣ひとへを着きた、女優ぢよいうまがひの女店員をんなてんゐん二三人にさんにんの姿すがたが見みえた。──其その天幕テントの中なかで、此この深更しんかうに、忽たちまち笛ふえを吹ふくやうな、鳥とりの唄うたふやうな聲こゑが立たつた。

「……泊とまつて行ゆけよ、泊とまつて行ゆけよ。」

「可厭いやよ、可厭いやよ、可厭いやあよう。」

 聲こゑを殺ころして、

「あれ、おほゝゝゝ。」

 やがて接吻キツスの音おとがした。天幕テントにほんのりとあかみが潮さした。が、やがて暗くらく成なつて、もやに沈しづむやうに消きえた。魔まの所業なすわざではない、人間にんげんの擧動ふるまひである。

 私わたしは此これを、難なんずるのでも、嘲あざけるのでもない。況いはんや決けつして羨うらやむのではない。寧むしろ其その勇氣ゆうきを稱たゝふるのであつた。

 天幕テントが消きえると、二十二日にちの月つきは幽かすかに煙けむりを離はなれた。が、向むかう土手どての松まつも照てらさず、此この茣蓙ござの廂ひさしにも漏もれず、煙けむりを開ひらいたかと思おもふと、又また閉とざされる。下したへ、下したへ、煙けむりを押おして、押分おしわけて、松まつの梢こずゑにかゝるとすると、忽たちまち又また煙けむりが、空そらへ、空そらへとのぼる。斜面しやめんの玉女ぎよくぢよが咽むせぶやうで、惱なやましく、息いきぐるしさうであつた。

 衣紋えもんを細ほそく、圓髷まげを、おくれ毛げのまゝ、ブリキの罐くわんに枕まくらして、緊乎しつかと、白井しらゐさんの若わかい母かあさんが胸むねに抱だいた幼兒をさなごが、怯おびえたやうに、海軍服かいぐんふくでひよつくりと起おきると、ものを熟じつと視みて、みつめて、むくりと半なかば起おきたが、小ちひさい娘むすめさんの胸むねの上うへへ乘のつて、乘のると辷すべつて、ころりと俵たはらにころがつて、すや〳〵と其そのまゝ寢ねた。

 私わたしは膝ひざをついて總毛立そうけだつた。

 唯今たゞいま、寢ねおびれた幼をさないのの、熟じつと視みたものに目めを遣やると、狼おほかみとも、虎とらとも、鬼おにとも、魔まとも分わからない、凄すさまじい面つらが、ずらりと並ならんだ。……いづれも差置さしおいた荷にの恰好かつかうが異類いるゐ異形いぎやうの相さうを顯あらはしたのである。

 最もつとも間近まぢかかつたのを、よく見みた。が、白しろい風呂敷ふろしきの裂さけめは、四角しかくにクハツとあいて、しかも曲ゆがめたる口くちである。結目むすびめが耳みゝである。墨繪すみゑの模樣もやうが八角はつかくの眼まなこである。たゝみ目めが皺しわ一ひとつづゝ、いやな黄味きみを帶おびて、消きえかゝる提灯ちやうちんの影かげで、ひく〳〵と皆みな搖ゆれる、猅々ひゝに似にて化猫ばけねこである。

 私わたしは鵺ぬえと云いふは此これかと思おもつた。

 其その鄰となり、其その鄰となり、其その上うへ、其その下した、並ならんで、重かさなつて、或あるひは青あをく、或あるひは赤あかく、或あるひは黒くろく、凡およそ臼うすほどの、變へんな、可厭いやな獸けものが幾いくつともなく並ならんだ。

 皆みな可恐おそろしい夢ゆめを見みて居ゐよう。いや、其その夢ゆめの徴しるしであらう。

 其その手近てぢかなのの、裂目さけめの口くちを、私わたしは餘あまりの事ことに、手てでふさいだ。ふさいでも、開あく。開あいて垂たれると、舌したを出だしたやうに見みえて、風呂敷包ふろしきづつみが甘澁あましぶくニヤリと笑わらつた。

 續つゞいて、どの獸けものの面つらも皆みな笑わらつた。

 爾時そのときであつた。あの四谷見附よつやみつけの火ひの見み櫓やぐらは、窓まどに血ちをはめたやうな兩眼りやうがんを睜みひらいて、天てんに冲ちうする、素裸すはだかの魔まの形かたちに變へんじた。

 土手どての松まつの、一樹いちじゆ、一幹いつかん。啊呍あうんに肱ひぢを張はつて突立つツたつた、赤あかき、黒くろき、青あをき鬼おにに見みえた。

 が、あらず、それも、後のちに思おもへば、火ひを防ふせがんがために粉骨ふんこつしたまふ、焦身せうしんの仁王にわうの像ざうであつた。

 早はや、煙けむりに包つゝまれたやうに息苦いきぐるしい。

 私わたしは婦人ふじんと婦人ふじんとの間あひだを拾ひろつて、密そつと大道だいだうの夜氣やきに頭あたまを冷ひやさうとした。──若わかい母かあさんに觸さはるまいと、ひよいと腰こしを浮うかして出でた、はずみに、此この婦人ふじんの上うへにかざした蛇目傘じやのめがさの下したへ入はひつて、頭あたまが支つかへた。ガサリと落おとすと、響ひゞきに、一時ひとときの、うつゝの睡ねむりを覺さますであらう。手てを其その傘かさに支さゝへて、ほし棹ざをにかけたまゝ、ふら〳〵と宙ちうに泳およいだ。……この中なかでも可笑をかしい事ことがある。

 ──前刻さつき、草くさあぜに立たてた傘かさが、パサリと、ひとりで倒たふれると、下したに寢ねた女中ぢよちうが、

「地震ぢしん。」

 と言いつて、むくと起返おきかへる背中せなかに、ひつたりと其その傘かさをかぶつて、首くびと兩手りやうてをばた〳〵と動うごかした……

 いや、人ひとごとではない。

 私わたしは露つゆを吸すつて、道みちに立たつた。

 火ひの見みと松まつとの間あひだを、火ひの粉こが、何なんの鳥とりか、鳥とりとともに飛とび散ちつた。

 が、炎ほのほの勢いきほひは其その頃ころから衰おとろへた。火ひは下六番町しもろくばんちやうを燒やかずに消きえ、人ひとの力ちからは我わが町まちを亡ほろぼさずに消けした。

「少すこし、しめつたよ。起おきて御覽ごらん、起おきて御覽ごらん。」

 婦人ふじんたちの、一度いちどに目めをさました時とき、あの不思議ふしぎな面めんは、上﨟じやうらふのやうに、翁おきなのやうに、稚兒ちごのやうに、和なごやかに、やさしく成なつて莞爾につこりした。


 朝日あさひは、御所ごしよの門もんに輝かゞやき、月つきは戎劍じうけんの閃影せんえいを照てらした。

 ──江戸えどのなごりも、東京とうきやうも、その大抵たいていは焦土せうどと成なんぬ。茫々ばう〳〵たる燒野原やけのはらに、ながき夜よを鳴なきすだく蟲むしは、いかに、蟲むしは鳴なくであらうか。私わたしはそれを、人ひとに聞きくのさへ憚はゞからるゝ。

 しかはあれど、見みよ。確たしかに聞きく。淺草寺あさくさでらの觀世音くわんぜおんは八方はつぱうの火ひの中なかに、幾十萬いくじふまんの生命いのちを助たすけて、秋あきの樹立こだちもみどりにして、仁王門にわうもん、五重ごぢうの塔たふとともに、柳やなぎもしだれて、露つゆのしたゝるばかり嚴おごそかに氣高けだかく燒殘やけのこつた。塔たふの上うへには鳩はとが群むれ居ゐ、群むれ遊あそぶさうである。尚なほ聞きく。花屋敷はなやしきの火ひをのがれた象ざうは此この塔たふの下したに生いきた。象ざうは寶塔はうたふを背せにして白しろい。

 普賢ふげんも影向やうがうましますか。

若有持是觀世音菩薩名者じやくうじぜくわんぜおんぼさつみやうしや。

設入大火せつにふたいくわ。火不能燒くわふのうせう。

由是菩薩ゆぜぼさつ。威神力故ゐじんりきこ。

大正十二年十月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行

   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「露宿ろしゆく」とルビがついています。

入力:門田裕志

校正:川山隆

2011年8月14日作成

青空文庫作成ファイル:

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