雨ふり
泉鏡太郎



 一瀬ひとせを低ひくい瀧たきに颯さつと碎くだいて、爽さわやかに落おちて流ながるゝ、桂川かつらがはの溪流けいりうを、石疊いしだたみで堰せいた水みづの上うへを堰せきの其その半なかばまで、足駄穿あしだばきで渡わたつて出でて、貸浴衣かしゆかたの尻しりからげ。梢こずゑは三階さんがいの高樓かうろうの屋根やねを抽ぬき、枝えだは川かはの半なかばへ差蔽さしおほうた槻けやきの下したに、片手かたてに番傘ばんがさを、トンと肩かたに持もたせながら、片手釣かたてづりで輕かるく岩魚いはなを釣つつて居ゐる浴客よくきやくの姿すがたが見みえる。

 片足かたあしは、水みづの落口おちくちに瀬せを搦からめて、蘆あしのそよぐが如ごとく、片足かたあしは鷺さぎの眠ねむつたやうに見みえる。……堰せきの上かみの水みづは一際ひときは青あをく澄すんで靜しづかである。其處そこには山椿やまつばきの花片はなびらが、此このあたり水中すゐちうの岩いはを飛とび岩いはを飛とび、胸毛むなげの黄色きいろな鶺鴒せきれいの雌鳥めんどりが含ふくみこぼした口紅くちべにのやうに浮うく。

 雨あめはしと〳〵と降ふるのである。上流じやうりうの雨あめは、うつくしき雫しづくを描ゑがき、下流かりうは繁吹しぶきに成なつて散ちる。しと〳〵と雨あめが降ふつて居ゐる。

 このくらゐの雨あめは、竹たけの子こ笠がさに及およぶものかと、半纏はんてんばかりの頬被ほゝかぶりで、釣棹つりざをを、刺さいて見みしよ、と腰こしにきめた村男むらをとこが、山笹やまざさに七八尾しちはつぴき、銀色ぎんいろの岩魚いはなを徹とほしたのを、得意顏したりがほにぶら下さげつゝ、若葉わかばの陰かげを岸きしづたひに、上流じやうりうの一本橋いつぽんばしの方はうからすた〳〵と跣足はだしで來きた。が、折をりからのたそがれに、瀬せは白しろし、氣きを籠こめて、くる〳〵くる、カカカと音ねを調しらぶる、瀧たきの下したなる河鹿かじかの聲こゑに、歩あゆみを留とめると、其處そこの釣人つりてを、じろりと見遣みやつて、空むなしい渠かれの腰こしつきと、我わが獲えものとを見較みくらべながら、かたまけると云いふ笑方ゑみかたの、半面はんめん大おほニヤリにニヤリとして、岩魚いはなを一振ひとふり、ひらめかして、また、すた〳〵。……で、すこし岸きしをさがつた處ところで、中流ちうりうへ掛渡かけわたした歩板あゆみいたを渡わたると、其處そこに木小屋きごやの柱はしらばかり、圍かこひの疎あらい「獨鈷とつこの湯ゆ。」がある。──屋根やねを葺ふいても、板いたを打うつても、一雨ひとあめ強つよくかゝつて、水嵩みづかさが増ますと、一堪ひとたまりもなく押流おしながすさうで、いつも然さうしたあからさまな體ていだと云いふ。──

 半纏着はんてんぎは、水みづの淺あさい石いしを起おこして、山笹やまざさをひつたり挾はさんで、細流さいりうに岩魚いはなを預あづけた。溌剌はつらつと言いふのは此これであらう。水みづは尾鰭をひれを泳およがせて岩いはに走はしる。そのまゝ、すぼりと裸體はだかに成なつた。半纏はんてんを脱ぬいだあとで、頬ほゝかぶりを取とつて、ぶらりと提さげると、すぐに湯氣ゆげとともに白しろい肩かた、圓まるい腰こしの間あひだを分わけて、一個いつこ、忽たちまち、ぶくりと浮ういた茶色ちやいろの頭あたまと成なつて、そしてばちや〳〵と湯ゆを溌はねた。

 時ときに、其その一名いちめい、弘法こうぼふの湯ゆの露呈あらはなことは、白膏はくこうの群像ぐんざうとまでは行いかないが、順禮じゆんれい、道者だうじや、村むらの娘むすめ、嬰兒あかんぼを抱だいた乳ちゝも浮うく……在ざいの女房にようばうも入交いれまじりで、下積したづみの西洋畫せいやうぐわを川かはで洗濯せんたくする風情ふぜいがある。

 この共同湯きようどうゆの向むかう傍がはは、淵ふちのやうにまた水みづが青あをい。對岸たいがんの湯宿ゆやどの石垣いしがきに咲さいた、枝えだも撓たわゝな山吹やまぶきが、ほのかに影かげを淀よどまして、雨あめは細ほそく降ふつて居ゐる。湯氣ゆげが霞かすみの凝こつたやうにたなびいて、人々ひと〴〵の裸像らざうは時ときならぬ朧月夜おぼろづきよの影かげを描ゑがいた。

 肝心かんじんな事ことを言忘いひわすれた。──木戸錢きどせんはおろか、遠方ゑんぱうから故々わざ〳〵汽車賃きしやちんを出だして、お運はこびに成なつて、これを御覽ごらんなさらうとする道徳家だうとくか、信心者しんじんしやがあれば、遮さへぎつてお留とめ申まをす。──如何いかんとなれば、座敷ざしきの肱掛窓ひぢかけまどや、欄干らんかんから、かゝる光景くわうけいの見みられるのは、年ねんに唯たゞ一兩度いちりやうどださうである。時候じこうと、時ときと、光線くわうせんの、微妙びめうな配合はいがふによつて、しかも、品行ひんかうの方正はうせいなるものにのみあらはるゝ幻影まぼろしだと、宿やどの風呂番ふろばんの(信しんさん)が言いつた。──案あんずるに、此これは修善寺しゆぜんじの温泉いでゆに於おける、河鹿かじかが吐はく蜃氣樓しんきろうであるらしい。かた〴〵、そんな事ことはあるまいけれども、獨鈷とつこの湯ゆの恁かゝる状態じやうたいをあてにして、お出でかけに成なつては不可いけない。……


 ゴウーンと雨あめに籠こもつて、修禪寺しゆぜんじの暮くれ六むつの鐘かねが、かしらを打うつと、それ、ふツと皆みな消きえた。……むく〳〵と湯氣ゆげばかり。堰せきに釣つりをする、番傘ばんがさの客きやくも、槻けやきに暗くらくなつて、もう見みえぬ。

 葉末はずゑの電燈でんとうが雫しづくする。

 女中ぢよちうが廊下らうかを、ばた〳〵と膳ぜんを運はこんで來きた。有難ありがたい、一銚子ひとてうし。床とこの櫻さくらもしつとりと盛さかりである。

 が、取立とりたてて春雨はるさめのこの夕景色ゆふげしきを話はなさうとするのが趣意しゆいではない。今度こんどの修善寺しゆぜんじゆきには、お土産話みやげばなしが一ひとつある。

 何事なにごとも、しかし、其その的まとに打撞ぶつかるまでには、弓ゆみと云いへども道中だうちうがある。醉よつて言いふのではないけれども、ひよろ〳〵矢やの夜汽車よぎしやの状さまから、御一覽ごいちらんを願ねがふとしよう。

 先まづ以もつて、修善寺しゆぜんじへ行ゆくのに夜汽車よぎしやは可笑をかしい。其處そこに仔細しさいがある。たま〳〵の旅行りよかうだし、靜岡しづをかまで行程ゆきを伸のして、都合つがふで、あれから久能くのうへ𢌞まはつて、龍華寺りうげじ──一方ひとかたならず、私わたしのつたない作さくを思おもつてくれた齋藤信策さいとうしんさく(野のの人ひと)さんの墓はかがある──其處そこへ參詣さんけいして、蘇鐵そてつの中なかの富士ふじも見みよう。それから清水港しみづみなとを通とほつて、江尻えじりへ出でると、もう大分だいぶん以前いぜんに成なるが、神田かんだの叔父をぢと一所いつしよの時とき、わざとハイカラの旅館りよくわんを逃にげて、道中繪だうちうゑのやうな海道筋かいだうすぢ、町屋まちやの中なかに、これが昔むかしの本陣ほんぢんだと叔父をぢが言いつただゞつ廣ぴろい中土間なかどまを奧おくへ拔ぬけた小座敷こざしきで、お平ひらについた長芋ながいもの厚切あつぎりも、大鮪おほまぐろの刺身さしみの新あたらしさも覺おぼえて居ゐる。「いま通とほつて來きた。あの土間どまの處ところに腰こしを掛かけてな、草鞋わらぢで一飯したくをしたものよ。爐端ろばたで挨拶あいさつをした、面長おもながな媼ばあさんを見みたか。……其その時分じぶんは、島田髷しまだまげで惱なやませたぜ。」と、手酌てじやくで引ひつかけながら叔父をぢが言いつた──古ふるい旅籠はたごも可懷なつかしい。……

 それとも、靜岡しづをかから、すぐに江尻えじりへ引返ひきかへして、三保みほの松原まつばらへ飛込とびこんで、天人てんにんに見參けんざんし、きものを欲ほしがる連つれの女をんなに、羽衣はごろも、瓔珞えうらくを拜をがませて、小濱こはまや金紗きんしやのだらしなさを思知おもひしらさう、ついでに萬葉まんえふの印いんを結むすんで、山邊やまべの赤人あかひとを、桃もゝの花はなの霞かすみに顯あらはし、それ百人一首ひやくにんいつしゆの三枚さんまいめだ……田子たごの浦うらに打出うちいでて見みれば白妙しろたへの──ぢやあない、……田子たごの浦うらゆ、さ、打出うちいでて見みれば眞白ましろにぞ、だと、ふだん亭主ていしゆを彌次喜多やじきたに扱あつかふ女をんなに、學問がくもんのある處ところを見みせてやらう。たゞしどつち道みち資本もとが掛かゝる。

 湯治たうぢを幾日いくにち、往復わうふくの旅錢りよせんと、切詰きりつめた懷中ふところだし、あひ成なりませう事ことならば、其その日ひのうちに修善寺しゆぜんじまで引返ひきかへして、一旅籠ひとはたごかすりたい。名案めいあんはないかな、と字じの如ごとく案あんずると……あゝ、今いまにして思當おもひあたつた。人間にんげん朝起あさおきをしなけりや不可いけない。東京驛とうきやうえきを一番いちばんで立たてば、無理むりにも右樣みぎやうの計略けいりやくの行おこなはれない事こともなささうだが、籠城ろうじやう難儀なんぎに及およんだ處ところで、夜討ようちは眞似まねても、朝あさがけの出來できない愚將ぐしやうである。碎くだいて言いへば、夜逃よにげは得手えてでも、朝旅あさたびの出來できない野郎やらうである。あけ方がたの三時さんじに起おきて、たきたての御飯ごはんを掻込かつこんで、四時よじに東京驛とうきやうえきなどとは思おもひも寄よらない。──名案めいあんはないかな──こゝへ、下町したまちの姉ねえさんで、つい此間このあひだまで、震災しんさいのために逃にげて居ゐた……元來ぐわんらい、靜岡しづをかには親戚しんせきがあつて、地ちの理りに明あきらかな、粹いきな軍師ぐんしが顯あらはれた。

「……九時五十分くじごじつぷんかの終汽車しまひぎしやで、東京とうきやうを出でるんです。……靜岡しづをかへ、丁ちやうど、夜よあけに着つきますから。其それだと、どつちを見けんぶつしても、其その日ひのうちに修善寺しゆぜんじへ參まゐられますよ。」

 妙めう。

 奇きなる哉かな、更さらに一時間いちじかんいくらと言いふ……三保みほの天女てんによの羽衣はごろもならねど、身みにお寶たからのかゝる其その姉ねえさんが、世話せわになつた禮れいかた〴〵、親類しんるゐへ用ようたしもしたいから、お差支さしつかへなくば御一所ごいつしよに、──お差支さしつかへ?……おつしやるもんだ! 至極しごく結構けつこう。で、たゞ匁もんめで連出つれだす算段さんだん。あゝ、紳士しんし、客人きやくじんには、あるまじき不料簡ふれうけんを、うまれながらにして喜多八きたはちの性しやうをうけたしがなさに、忝かたじけねえと、安敵やすがたきのやうな笑ゑみを漏もらした。

 處ところで、その、お差支さしつかへのなさを裏うらがきするため、豫かねて知合しりあひではあるし、綴蓋とぢぶたの喜多きたの家内かないが、折をりからきれめの鰹節かつをぶしを亻にんべんへ買出かひだしに行ゆくついでに、その姉ねえさんの家うちへ立寄たちよつて、同行三人どうかうさんにんの日取ひどりをきめた。

 ──一寸ちよつと、ふでを休やすめて、階子段はしごだんへ起たつて、したの長火鉢ながひばちを呼よんで曰いはく、

「……それ、何なに──あの、みやげに持もつて行いつた勘茂かんもの半はんぺんは幾いくつだつけ。」

「だしぬけに何なんです。……五いつつ。」

「五いつつか──私わたしはまた二ふたつかと思おもつた。」

「唯たつた二ふたつ……」

「だつて彼家あすこは二人ふたりきりだからさ。」

「見みつともないことをお言いひなさいな。」

「よし、あひ分わかつた。」

 五いつつださうで。……其それを持參ぢさんで、取極とりきめた。たつたのは、日曜にちえうに當あたつたと思おもふ。念ねんのため、新聞しんぶんの欄外らんぐわいを横よこに覗のぞくと、その終列車しうれつしやは糸崎行いとざきゆきとしてある。──糸崎行いとざきゆき──お恥はづかしいが、私わたしに其その方角はうがくが分わからない。棚たなの埃ほこりを拂はらひながら、地名辭典ちめいじてんの索引さくいんを繰くると、糸崎いとざきと言いふのが越前國ゑちぜんのくにと備前國びぜんのくにとに二にヶ所しよある。私わたしは東西とうざい、いや西北せいほくに迷まよつた。──敢あへて子供衆こどもしうに告つげる。學校がくかうで地理ちりを勉強べんきやうなさい。忘わすれては不可いけません。さて、どつち道みち、靜岡しづをかを通とほるには間違まちがひのない汽車きしやだから、人ひとに教をしへを受うけないで濟すましたが、米原まいばらで𢌞まはるのか、岡山をかやまへ眞直まつすぐか、自分じぶんたちの乘のつた汽車きしやの行方ゆくへを知しらない、心細こゝろぼそさと言いつてはない。しかも眞夜中まよなかの道中だうちうである。箱根はこね、足柄あしがらを越こす時ときは、内證ないしようで道組神だうそじんを拜をがんだのである。

 處ところで雨あめだ。當日たうじつは朝あさのうちから降出ふりだして、出掛でかけける頃ころは横よこしぶきに、どつと風かぜさへ加くははつた。天てんの時ときは雨あめながら、地ちの理りは案内あんないの美人びじんを得えたぞと、もう山葵漬わさびづけを箸はしの尖さきで、鯛飯たひめしを茶漬ちやづけにした勢いきほひで、つい此頃このごろ筋向すぢむかひの弴とんさんに教をしへをうけた、市いちヶ谷や見附みつけの鳩はとじるしと言いふ、やすくて深切しんせつなタクシイを飛とばして、硝子窓がらすまどに吹ふきつける雨模樣あまもやうも、おもしろく、馬うまに成なつたり駕籠かごに成なつたり、松並木まつなみきに成なつたり、山やまに成なつたり、嘘うそのないところ、溪河たにがはに流ながれたりで、東京驛とうきやうえきに着ついたのは、まだ三十分さんじつぷんばかり發車はつしやに間まのある頃ころであつた。

 水みづを打うつたとは此この事こと、停車場ステエシヨンは割わりに靜しづかで、しつとりと構内こうない一面いちめんに濡ぬれて居ゐる。赤帽君あかばうくんに荷物にもつを頼たのんで、廣ひろい處ところをずらりと見渡みわたしたが、約束やくそくの同伴つれはまだ來きて居ゐない。──大𢌞おほまはりには成なるけれど、呉服橋ごふくばしを越こした近ちかい處ところに、バラツクに住すんで居ゐる人ひとだから、不斷ふだんの落着家おちつきやさんだし、悠然いうぜんとして、やがて來こよう。

「靜岡しづをかまで。」

 と切符きつぷを三枚さんまい頼たのむと、つれを搜さがしてきよろついた樣子やうすを案あんじて、赤帽君あかばうくんは深切しんせつであつた。

「三枚さんまい?」

「つれが來きます。」

「あゝ、成程なるほど。」

 突立つツたつて居ゐては出入ではひりの邪魔じやまにもなりさうだし、とば口くちは吹降ふきぶりの雨あめが吹込ふきこむから、奧おくへ入はひつて、一度いちど覗のぞいた待合まちあひへ憩やすんだが、人ひとを待まつのに、停車場ステエシヨンで時ときの針はりの進すゝむほど、胸むねのあわたゞしいものはない。「こんな時ときは電話でんわがあるとな。」「もう見みえませう。──こゝにいらつしやい。……私わたしが行いつて見張みはつて居ゐます。」家内かないはまた外そとへ出でて行いつた。少々せう〳〵寒さむし、不景氣ふけいきな薄外套うすぐわいたうの袖そでを貧乏びんぼふゆすりにゆすつて居ゐると、算木さんぎを四角しかくに並ならべたやうに、クツシヨンに席せきを取とつて居ゐた客きやくが、そちこちばら〳〵と立掛たちかゝる。……「やあ」と洋杖ステツキをついて留とまつて、中折帽なかをればうを脱とつた人ひとがある。すぐに私わたしと口早くちばやに震災しんさいの見舞みまひを言交いひかはした。花月くわげつの平岡權八郎ひらをかごんぱちらうさんであつた。「どちらへ。」「私わたしは人ひとを一寸ちよつと送おくりますので。」「終汽車しまひぎしやではありますまいね。それだと靜じつとしては居ゐられない。」「神戸行かうべゆきのです。」「私わたしはそのあとので、靜岡しづをかまで行ゆくんですが、糸崎いとざきと言いふのは何處どこでせう。」「さあ……」と言いつた、洋行やうかうがへりの新橋しんばしのちやき〳〵も、同おなじく糸崎いとざきを知しらなかつた。

 此この一ひとたてが、ぞろ〳〵と出でて行ゆくと、些ちと大袈裟おほげさのやうだが待合室まちあひしつには、あとに私わたし一人ひとりと成なつた。それにしても靜じつとしては居ゐられない。……行ゆき──行ゆきと、呼よぶのが、何どうやら神戸行かうべゆきを飛越とびこして、糸崎行いとざきゆき──と言いふやうに寂さびしく聞きこえる。急いそいで出でると、停車場ステエシヨンの入口いりくちに、こゝにも唯たゞ一人ひとり、コートの裾すそを風かぜに颯さつと吹ふきまどはされながら、袖そでをしめて、しよぼ濡ぬれたやうに立たつて、雨あめに流ながるゝ燈ひの影かげも見みはぐるまいと立たつて居ゐる。

「來きませんねえ。」

「來こないなあ。」

 しかし、十時四十八分發じふじよんじふはちふんはつには、まだ十分間じつぷんかんある、と見較みくらべると、改札口かいさつぐちには、知しらん顏かほで、糸崎行いとざきゆきの札ふだが掛かゝつて、改札かいさつのお係かゝりは、剪はさみで二ふたつばかり制服せいふくの胸むねを叩たゝいて、閑也かんなりと濟すまして居ゐらるゝ。此これを見みると、私わたしは富札とみふだがカチンと極きまつて、一分いちぶで千兩せんりやうとりはぐしたやうに氣拔きぬけがした。が、ぐつたりとしては居ゐられない。改札口かいさつぐちの閑也かんなりは、もう皆みな乘込のりこんだあとらしい。「確たしかに十分じつぷんおくれましたわね、然さういへば、十時五十分じふじごじつぷんとか言いつて居ゐなすつたやうでした。──時間じかんが變かはつたのかも知しれません。」恁かう言いふ時ときは、七三しちさんや、耳みゝかくしだと時間じかんに間違まちがひはなからう。──わがまゝのやうだけれど、銀杏返いてふがへしや圓髷まるまげは不可いけない。「だらしはないぜ、馬鹿ばかにして居ゐる。」が、憤いきどほつたのでは決けつしてない。一寸ちよつとの旅たびでも婦人をんなである。髮かみも結ゆつたらうし衣服きものも着換きかへたらうし、何なにかと支度したくをしたらうし、手荷てにもつを積つんで、車くるまでこゝへ駈かけつけて、のりおくれて、雨あめの中なかを歸かへるのを思おもふとあはれである。「五分ごふんあれば間まにあひませう。」其處そこで、別べつの赤帽君あかばうくんの手透てすきで居ゐるのを一人ひとり頼たのんで、その分ぶんの切符きつぷを託ことづけた。こゝへ駈かけつけるのに人數ひとかずは恐おそらくなからう、「あなた氣きをつけてね、脊せのすらりとした容子ようすのいゝ、人柄ひとがらな方かたが見みえたら大急おほいそぎで渡わたして下ください。」畜生ちくしやう、驕おごらせてやれ──女をんなの口くちで赤帽君あかばうくんに、恁かう言いつた。


「お氣きの毒樣どくさまです。──おつれはもう間まに合あひません。……切符きつぷはチツキを入いれませんから、代價だいかの割戻わりもどしが出來できます。」

 もう動うごき出だした汽車きしやの窓まどに、する〳〵と縋すがりながら、

「お歸途かへりに、二十四──と呼よんで下ください。その時ときお渡わたし申まをしますから。」

 糸崎行いとざきゆきの此この列車れつしやは、不思議ふしぎに絲いとのやうに細長ほそながい。いまにも遙はるかな石壇いしだんへ、面長おもながな、白しろい顏かほ、褄つまの細ほそいのが駈上かけあがらうかと且かつ危あやぶみ、且かつ苛いらち、且かつ焦じれて、窓まどから半身はんしんを乘のり出だして居ゐた私わたしたちに、慇懃いんぎんに然さう言いつてくれた。

 ──後日ごじつ、東京驛とうきやうえきへ歸かへつた時とき、居合ゐあはせた赤帽君あかばうくんに、その二十四──のを聞きくと、丁ちやうど非番ひばんで休やすみだと云いふ。用ようをきいて、ところを尋たづねるから、麹町かうぢまちを知しらして歸かへると、すぐその翌日よくじつ、二十四──の赤帽君あかばうくんが、わざ〳〵山やまの手ての番町ばんちやうまで、「御免ごめん下くださいまし。」と丁寧ていねいに門かどをおとづれて、切符代きつぷだいを返かへしてくれた。──此この人ひとばかりには限かぎらない。靜岡しづをかでも、三島みしまでも、赤帽君あかばうくんのそれぞれは、皆みなもの優やさしく深切しんせつであつた。──お禮れいを申まをす。


 淺葱あさぎの暗くらい、クツシヨンも又また細長ほそながい。室しつは悠々いう〳〵とすいて居ゐた。が、何なんとなく落着おちつかない。「呼よんだら聞きこえさうですね。」「呉服橋ごふくばしの上うへあたりで、此このゴーと言いふ奴やつを聞きいてるかも知しれない。」「驛前えきまへのタクシイなら、品川しながはで間まに合あふかも知しれませんよ。」「そんな事ことはたゞ話はなしだよ。」唯と、バスケツトの上うへに、小取𢌞ことりまはしに買かつたらしい小形こがたの汽車案内きしやあんないが一册いつさつある。此これが私わたしたちの近所きんじよにはまだなかつた。震災後しんさいごは發行はつかうが後おくれるのださうである。

 いや、張合はりあひもなく開ひらくうち、「あゝ、品川しながはね。」カタリと窓まどを開あけて、家内かないが拔出ぬけだしさうに窓まどを覗のぞいた。「駄目だめだよ。」その癖くせ私わたしも覗のぞいた。……二人ふたり三人さんにん、乘組のりくんだのも何處どこへか消きえたやうに、もう寂寞ひつそりする。幕まくを切きつて扉とびらを下おろした。風かぜは留やんだ。汽車きしやは糠雨ぬかあめの中なかを陰々いん〳〵として行ゆく。早はやく、さみしい事ことは、室内しつないは、一人ひとりも殘のこらず長々なが〳〵と成なつて、毛布まうふに包つゝまつて、皆みな寢ねて居ゐる。

 東枕ひがしまくらも、西枕にしまくらも、枕まくらしたまゝ何處どこをさして行ゆくのであらう。汽車案内きしやあんないの細字さいじを、しかめ面づらで恁かう透すかすと、分わかつた──遙々はる〴〵と京きやう大阪おほさか、神戸かうべを通とほる……越前ゑちぜんではない、備前國びぜんのくに糸崎いとざきである。と、發着はつちやくの驛えきを靜岡しづをかへ戻もどして繰くると、「や、此奴こいつは弱よわつた。」思おもはず聲こゑを出だして呟つぶやいた。靜岡着しづをかちやくは午前ごぜんまさに四時よじなのであつた。いや、串戲じようだんではない。午前ごぜんなどと文化ぶんくわがつたり、朝あさがつたりしては居ゐられない。此この頃ごろではまだ夜半よなかではないか。南洋なんやうから土人どじんが來きても、夜中よなかに見物けんぶつが出來できるものか。「此奴こいつは弱よわつた。」──件くだんの同伴つれでないつれの案内あんないでは、あけ方がたと言いつたのだが、此方こちらに遠とほき慮おもんぱかりがなかつた。その人ひとのゆききしたのは震災しんさいのぢきあとだから、成程なるほど、その頃ころだと夜よがあける。──此この時間じかん前後ぜんごの汽車きしやは、六月ろくぐわつ、七月しちぐわつだと國府津こふづでもう明あかるくなる。八月はちぐわつの聲こゑを聞きくと富士驛ふじえきで、まだ些ちつと待またないと、東ひがしの空そらがしらまない。私わたしは前年ぜんねん、身延みのぶへ參まゐつたので知しつて居ゐる。


「あの、此この汽車きしやが、京きやう、大阪おほさかも通とほるのだとすると、夜よのあけるのは何處どこらでせうね。」

「時間じかんで見みると、すつかり明あかるくなるのは、遠江國とほたふみのくに濱松はままつだ。」

 と退屈たいくつだし、一ひとつ遠江國とほたふみのくにと念ねんを入いれた。

「横よこに俥くるまが二挺にちやうたゝぬ──彼處あすこですか。」

「うむ。」とばかりで、一向いつかうおもしろくも何なんともない。

「其處そこまで行ゆきませうよ。──夜中よなかに知しらぬ土地とちぢやあ心細こゝろぼそいんですもの。」

「飴あめぢやあるまいし。」

 と、愚ぐにもつかぬことをうつかり饒舌しやべつた。靜岡しづをかまで行ゆくものが、濱松はままつへ線路せんろの伸のびよう道理だうりがない。

 ……しかし無理むりもない。こんな事ことを言いつたのは恰あたかも箱根はこねの山中さんちうで、丁ちやうど丑三うしみつと言いふ時刻じこくであつた。あとで聞きくと、此この夜汽車よぎしやが、箱根はこねの隧道トンネルを潛くゞつて鐵橋てつけうを渡わたる刻限こくげんには、内うちに留守るすをした女中ぢよちうが、女主人をんなしゆじんのためにお題目だいもくを稱となへると言いふ約束やくそくだつたのださうである。

「何なんの眞似まねだい。」

「地震ぢしんで危あぶないんですもの。」

「地震ぢしんは去年きよねんだぜ、ばかな。」

 然さりとは雖いへども、その志こゝろざし、むしろにあらず捲まくべからず、石いしにあらず、轉ころばすべからず。……ありがたい。いや、禁句きんくだ。こんな處ところで石いしが轉ころんで堪たまるものか。たとへにも山やまが崩くづるゝとか言いふ。其その山やまが崩くづれたので、當時たうじ大地震おほぢしんの觸頭ふれがしらと云いつた場所ばしよの、剩あまつさへ此この四五日しごにち、琅玕らうかんの如ごとき蘆あしノ湖この水面すゐめんが風かぜもなきに浪なみを立たてると、うはさした機をりであつたから。

 山北やまきた、山北やまきた。──鮎あゆの鮓すしは──賣切うりきれ。……お茶ちやも。──もうない。それも佗わびしかつた。

 が、家うちを出でる時ときから、こゝでこそと思おもつた。──實じつは其その以前いぜんに、小山内をさないさんが一寸ちよつと歸京ききやうで、同行いつしよだつた御容色ごきりやうよしの同夫人どうふじん、とめ子こさんがお心入こゝろいれの、大阪遠來おほさかゑんらいの銘酒めいしゆ、白鷹はくたかの然しかも黒松くろまつを、四合罎しがふびんに取分とりわけて、バスケツトとも言いはず外套ぐわいたうにあたゝめたのを取出とりだして、所帶持しよたいもちは苦くるしくつてもこゝらが重寶ちようはうの、おかゝのでんぶの蓋ふたものを開あけて、さあ、飮やるぞ! トンネルの暗闇やみに彗星はうきぼしでも出でて見みろと、クツシヨンに胡坐あぐらで、湯呑ゆのみにつぐと、ぷンとにほふ、と、かなで書かけばおなじだが、其そのぷンが、腥なまぐさいやうな、すえたやうな、どろりと腐くさつた、青あをい、黄色きいろい、何なんとも言いへない惡臭わるくささよ。──飛とんでもないこと、……酒さけではない。

 一體いつたい、散々さん〴〵の不首尾ふしゆびたら〴〵、前世ぜんせの業ごふででもあるやうで、申まをすも憚はゞかつて控ひかへたが、もう默だまつては居ゐられない。たしか横濱よこはまあたりであつたらうと思おもふ。……寂さびしいにつけ、陰氣いんきにつけ、隨所ずゐしよ停車場ステエシヨンの燈ともしびは、夜汽車よぎしやの窓まどの、月つきでも花はなでもあるものを──心こゝろあての川崎かはさき、神奈川かながはあたりさへ、一寸ちよつとの間まだけ、汽車きしやも留とまつたやうに思おもふまでで、それらしい燈影ひかげは映うつらぬ。汽車きしやはたゞ、曠野あらのの暗夜やみを時々とき〴〵けつまづくやうに慌あわたゞしく過すぎた。あとで、あゝ、あれが横濱よこはまだつたのかと思おもふ處ところも、雨あめに濡ぬれしよびれた棒杭ぼうぐひの如ごとく夜目よめに映うつつた。確たしかに驛えきの名なを認みとめたのは最もう國府津こふづだつたのである。いつもは大船おほふなで座ざを直なほして、かなたに逗子づしの巖山いはやまに、湘南しやうなんの海うみの渚なぎさにおはします、岩殿いはとの觀世音くわんぜおんに禮れいし參まゐらす習ならひであるのに。……それも本意ほいなさの一ひとつであつた。が、あらためて祈念きねんした。やうなわけで、其その何どの邊へんであつたらう。見上みあげるやうな入道にふだうが、のろりと室しつへ入はひつて來きた。づんぐり肥ふとつたが、年紀としは六十ばかり。ト頭あたまから頬ほゝへ縱横たてよこに繃帶ほうたいを掛かけて居ゐる。片頬かたほゝが然さらでも大面おほづらの面つらを、別べつに一面ひとつ顏かほを横よこに附着くツつけたやうに、だぶりと膨ふくれて、咽喉のどの下したまで垂下たれさがつて、はち切きれさうで、ぶよ〳〵して、わづかに目めと、鼻はな。繃帶はうたいを覗のぞいた唇くちびるが、上下うへしたにべろんと開あいて、どろりとして居ゐる。動うごくと、たら〳〵と早はや膿うみの垂たれさうなのが──丁ちやうど明あいて居ゐた──私わたしたちの隣席となりへどろ〳〵と崩くづれ掛かゝつた。オペラバツグを提さげて、飛模樣とびもやうの派手はでな小袖こそでに、紫むらさきの羽織はおりを着きた、十八九の若わかい女をんなが、引續ひきつゞいて、默だまつて其その傍わきへ腰こしを掛かける。

 と言いふうちに、その面つら二ふたつある病人びやうにんの、その臭氣にほひと言いつたらない。

 お察さつしあれ、知己ちきの方々かた〴〵。──私わたしは下駄げたを引ひきずつて横飛よことびに逃出にげだした。

「あゝ、彼方あつちがあんなに空すいて居ゐる。」

 と小戻こもどりして、及腰およびごしに、引ひつこ拔ぬくやうにバスケツトを掴つかんで、慌あわてて辷すべつて、片足かたあしで、怪飛けしとんだ下駄げたを搜さがして逃にげた。氣きの毒どくさうな顏かほをしたが、女をんなもそツと立たつて來くる。

 此この樣子やうすを、間近まぢかに視みながら、毒どくのある目めも見向みむけず、呪詛のろひらしき咳しはぶきもしないで、ずべりと窓まどに仰向あふむいて、病やまひの顏かほの、泥濘ぬかるみから上あげた石臼いしうすほどの重おもいのを、ぢつと支さゝへて居ゐる病人びやうにんは奇特きどくである。

 いや特勝とくしようである。且かつ以もつて、たふとくさへあつた。

 面當つらあてがましく氣きの毒どくらしい、我勝手われがつての凡夫ぼんぷの淺あさましさにも、人知ひとしれず、面おもてを合あはせて、私わたしたちは恥入はぢいつた。が、藥王品やくわうぼんを誦ずしつゝも、鯖さばくつた法師ほふしの口くちは臭くさいもの。其その臭くささと云いつては、昇降口しようかうぐちの其方そつちの端はしから、洗面所せんめんじよを盾たてにした、いま此方こなたの端はしまで、むツと鼻はなを衝ついて臭にほつて來くる。番町ばんちやうが、又また大袈裟おほげさな、と第一だいいち近所きんじよで笑わらふだらうが、いや、眞個まつたくだと思おもつて下ください。のちに、やがて、二時にじを過すぎ、三時さんじになり、彼方此方あちこちで一人ひとり起おき、二人ふたりさめると、起おきたのが、覺さめたのが、いづれもきよとんとして四邊あたりを見みながら、皆みな申合まをしあはせたやうに、ハンケチで口くちを押おさへて、げゞツと咽むせる。然さもありなん。大入道おほにふだうの眞向まむかうに寢ねて居ゐた男をとこは、たわいなく寢ねながら、うゝと時々とき〴〵苦くるしさうに魘うなされた。スチームがまだ通とほつて居ゐる。しめ切きつた戸との外そとは蒸むすやうな糠雨ぬかあめだ。臭くさくないはずはない。

 女房にようばうでは、まるで年としが違ちがふ。娘むすめか、それとも因果いんぐわ何なにとか言いふ妾めかけであらうか──何なににしろ、私わたしは、其その耳みゝかくしであつたのを感謝かんしやする。……島田髷しまだでは遣切やりきれない。

 もう箱根はこねから駈落かけおちだ。

 二人分ににんぶん、二枚にまいの戸とを、一齊いつしよにスツと開ひらくと、岩膚いははだの雨あめは玉清水たましみづの滴したゝる如ごとく、溪河たにがはの響ひゞきに煙けむりを洗あらつて、酒さけの薫かをりが芬ぷんと立たつた。手てづから之これをおくられた小山内夫人をさないふじんの袖そでの香かも添そふ。

 二三杯にさんばいやつつけた。

 阿部川あべかはと言いへば、きなこ餅もちとばかり心得こゝろえ、「贊成さんせい。」とさきばしつて、大船おほふなのサンドヰツチ、國府津こふづの鯛飯たひめし、山北やまきたの鮎あゆの鮓すしと、そればつかりを當あてにして、皆みな買かつて食たべるつもりの、足柄あしがらに縁えんのありさうな山やまのかみは、おかゝのでんぶを詰つまらなさうに覗のぞきながら、バスケツトに凭もたれて弱よわつて居ゐる。

「なまじ所帶持しよたいもちだなぞと思おもふから慾よくが出でます。かの彌次郎やじらうの詠よめる……可いいかい──飯めしもまだ食くはず、ぬまずを打過うちすぎてひもじき原はらの宿しゆくにつきけりと、もう──追おつつけ沼津ぬまづだ。何事なにごとも彌次喜多やじきたと思おもへば濟すむぜ。」

 と、とのさまは今いまの二合にがふで、大分だいぶ御機嫌ごきげん。ストンと、いや、床ゆかが柔軟やはらかいから、ストンでない、スポンと寢ねて、肱枕ひぢまくらで、阪地到來はんちたうらいの芳酒うまざけの醉ゑひだけに、地唄ぢうたとやらを口誦くちずさむ。

お前まへの袖そでと、わしが袖そで、合あはせて、

 ──何なんとか、何なんの袖そで。……たゞし節ふしなし、忘わすれた處ところはうろ拔ぬきで、章句もんくを口くちのうちで、唯たゞ引張ひつぱる。……

露地ろぢの細道ほそみち、駒下駄こまげたで──

 南無三寶なむさんばう、魔まが魅さした。ぶく〳〵のし〳〵と海坊主うみばうず。が──あゝ、之これを元來ぐわんらい懸念けねんした。道みち其その衝しようにあたつたり。W・Cへ通とほりがかりに、上うへから蔽おつかぶさるやうに來きた時ときは、角つののあるだけ、青鬼あをおにの方はうがましだと思おもつた。

 アツといつて、むつくと起おき、外套ぐわいたうを頭あたまから、硝子戸がらすどへひつたりと顏かほをつけた。──之これだと、暗夜あんやの野のも山やまも、朦朧もうろうとして孤家ひとつやの灯ともしびも透すいて見みえる。……一ひとつお覺おぼえ遊あそばしても、年内ねんないの御重寶ごちようはう。

 外套ぐわいたうの裡なかから小ちひさな聲こゑで、

「……返かへつたかい。」

「もう、前刻さつき。」

 私わたしは耳みゝまで壓おさへて居ゐた。

 鰌どぢやうの沼津ぬまづをやがて過すぎて、富士驛ふじえきで、人員じんゐんは、はじめて動うごいた。

 それもたゞ五六人ごろくにん。病人びやうにんが起たつた。あとへ紫むらさきがついて下おりたのである。……鰌どぢやうの沼津ぬまづと言いつた。雨あめふりだし、まだ眞暗まつくらだから遠慮ゑんりよをしたが、こゝで紫むらさきの富士驛ふじえきと言いひたい、──その若わかい女をんなが下おりた。

 さては身延みのぶへ參詣さんけいをするのであつたか。遙拜えうはいしつゝ、私わたしたちは、今いまさらながら其その二人ふたりを、涙なみだぐましく見送みおくつた。紫むらさきは一度いちど宙ちうで消きえつゝ、橋はしを越こえた改札口かいさつぐちへ、ならんで入道にふだうの手てを曳ひくやうにして、微かすかな電燈でんとうに映うつつた姿すがたは、耳みゝかくしも、其そのまゝ、さげ髮がみの、黒髮くろかみ長ながく﨟らふたけてさへ見みえた。

 下山げざんの時ときの面影おもかげは、富士川ふじがはの清きよき瀬せに、白蓮華びやくれんげの花はなびらにも似にられよとて、切せつに本腹ほんぷくを祈いのつたのである。

 興津おきつの浪なみの調しらべが響ひゞいた。

大正十三年七月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行

   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行

初出:「苦楽 第二巻第一号」プラトン社

   1924(大正13)年7月1日

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「燈ともしび」と「灯ともしび」の混在は、底本の通りです。

※「繃帶」に対するルビの「ほうたい」と「はうたい」、「二人」に対するルビの「ふたり」と「ににん」の混在は、底本の通りです。

※表題は底本では、「雨あめふり」となっています。

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

入力:門田裕志

校正:岡村和彦

2018年3月26日作成

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